まちづくりの失敗
いま私が住む街武蔵小杉。
良いな、と思うこと、
それは違うだろ、と思うこと
ここまで幾つかに分けて書いてきましたが
いよいよ最後。
『まちづくりの失敗』
を考えてみます。
「何もなかった街が便利に
なりすぎてしまったことによる弊害」
として以下の3つを書いてみました。
①公共交通機関の発達
②商業施設がもたらした弊害
③まちづくりの失敗
①、②については以前の投稿で考えた通りなんですけど、それを踏まえて気付いたことがあるんです。
街を作るのって確かに、行政だったり、色んな企業とか権利、権力をもったものなんですけど、
もうひとつあってそれは
人
なんです。
特に大切にすべきなのは以前から住んでる人
何をもってして開発していくか、
その基準は住んでる人が決めるべきだと思うんです。
不便だから不便に感じてるものをフラットにしたり
地域ごとに魅力をつくったり、もちろん、元々もってるポテンシャルを発揮するために促したりとか。
でもこれはあくまでも理想論だし
人がいなきゃはじまらないんだけど、
人を呼び込んだはいいけどそのあとは
しらないよって感じな気がするんですよ。
沢山開発して魅力になりそうな商業施設つくってみて、飲食店も新しくして、人は集まったけど自転車置き場も少なくて、駅は毎日大混雑。
通勤と日常の買い物をするだけの街。
批判を恐れずに言うと
これは、街じゃなくて道具だと思うんです。
それこそホテル暮らしとあんまり変わらない。
もっといいところあるのに。
住んでる人が、くるひとがどんどん気付いて
守って、良くする。
それしかないですね。
これは今住んでる街をどうしようってことで書き始めた訳ではないんです。
あくまで、この状況を伝えたいし、皆さんの住まいの良いところに気付いてほしいな、考えてみてほしいなって思ったんです。
ぼく自身も今住む武蔵小杉周辺は好きな街ですし、不便になったところや面白くないな、と感じることを除けば良いところがあって、それらは大切にしてます。
皆それなりに不満を抱えてるし、足りないことも沢山あるだろうけど、あらゆる事や物が飽和してる状態よりは足りてないくらいが絶対的にいいと思うんです。
さて、このくらいにして
『何もなかった街が便利に
なりすぎてしまったことによる弊害』
おわり。
シノブ オオツキ