本日のテーマは「諦めない心」でした。せっかくなので再び語源を調べてみたところ…意外や意外!

「諦める」の語源は「明らむ」=明らかにすることと言われており、「道理や真理を見極め、他の選択肢も視野に入れる」という意味合いから、仏教ではむしろポジティブに解釈されるようです。

諦めが肝心、というのはこの仏教的な解釈において、かもしれないですね。諦めが肝心=見極めが肝心、と言い換えればスッと受け入れられる気がします。

さて井上先生の音声解説では、「涙が出るほど諦めたくないことは、必ず達成しようとする」とあり、ご自身の例として歯科医として開業されてなお、NY大学への留学を諦められず、死に物狂いで実現されたことを語っておられました。

自分に当てはまることがあるとすれば、やはりグロービス経営大学院を首席で卒業、になります。当時は信念が強過ぎて吐きそうになったり自分に怒鳴りまくったり…それを3年間を継続できるほどの狂気の精神がなければ、絶対に達成出来なかったと断言できます(笑)

この経験を経た上で「諦めない心」について改めて考えると、2つの相反する思いが交錯します。
1)グロービスの経験があるんだから、次も絶対に諦めずやり切れる!
2)あそこまでの狂気を身に纏わなければいけない…(あそこまでのストレスに耐えられるか…)

1と2は人間どちらも感情として抱き得るものですので、結局のところ、自分のミッションに対してどれだけ強い想いを持てるか、次第ですね。

という考察や振り返りを踏まえ、本日のお題は「余命間近だったら、最期に何を成し遂げたいか?」でした。

自分のミッションに関連して、最期に何かを遺すことを人生の目的に掲げています。これは、10歳の時に亡くした父親から受けた教育が、今の自分の土台になっていると心から感謝しているためであり、2人の娘にも父親として何かを遺したいと強く思うようになりました。

従いもしも余命間近だったとしたら、2人の娘に本を書いて渡したいです。自分の生き様や伝えたいメッセージを散りばめ、彼女達の人生の指針となるような言葉を書き物として残したいという想いからです。

一方、自分の中で「遺す」とは、託された人がそれを活用してくれることで初めて意味を持つものであり、そうでなければ単に「捨てる」のと同義になってしまいます。

2人の娘にしっかりと自分のメッセージを受け取ってもらうためには、日頃からビジョン・ミッションに対して父親としてブレない姿勢を見せていること、自分の考えを言語化していること等が大事だと思いますので、三日坊主にならぬよう心して取り組んでいきます!

本日も最幸の一日にしましょう♪

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