メモ:高橋三千綱が生きた時代の文学

 芥川賞作家の高橋三千綱が亡くなった。

 彼は、いわゆる「新世代の作家」に分類されている。「新世代の作家は、「内向の世代」の後、1975(昭和50年)前後から登場した作家たちのことをいう。中上健次、村上龍、村上春樹、宮本輝、三田誠広、高橋源一郎、立松和平、増田みず子、津島祐子、中沢けい、などがこれに該当する(コトバンク参照)。村上春樹というビッグネームと同時代の文学者なのである。また、最後の近代文学者と讃えられる中上健次とも登場時期が同じなのだ。

 高橋三千綱のことを検索していて知ったのは、漫画原作を手がけていることだ。『Dr.タイフーン』(1986)、『こんな女と暮らしてみたい』(2013)などがある。中上健次が晩年に漫画原作に挑戦したことは一部で議論されるが(四方田犬彦や大塚英志)、高橋三千綱も行っていたのだった。中上の漫画原作『南回帰線』は1990年だが、高橋の『Dr.タイフーン』は1986年という点で、高橋の方が「近代文学の終り」への対応として、先行していたのではないか。

 ただし、『Dr.タイフーン』は、元天才物理学者がマスターズを目指すというゴルフ漫画で、エンターテイメント性が高いので、劇画で文学の可能性を追求しようとした『南回帰線』とは方向性が違うようである。検討が必要であろう。

 1997年には、角川スニーカー文庫から、『悲しみ君、さよなら』というライトノベルも出している。

 高橋三千綱から分かるように、「新世代の作家」のサブカルチャーとの距離の近さは目を見張るものがある。村上龍の『五分後の世界』などの幻冬社とのタッグによるエンターテイメント小説は、サブカルチャーとの親和性が高いように思われる。村上春樹は、文壇の中では元々サブカルチャー的な位置付け(現代アメリカ小説の影響を受けた作家)である。また、菊田均『新世代の作家たち』で「新世代の作家」に名を連ねている稲葉真弓は、倉田悠子というペンネームでアダルトアニメ「くりぃむレモン」シリーズのノベライズを行っていた。

 文学にサブカルチャーが侵入することは、村上龍『限りなく透明に近いブルー』(1976)が江藤淳に「サブ・カルチュアである」と看破されたときから始まっており、高橋三千綱も調べてみると漫画原作、ライトノベルと、サブカルチャー化といえるような展開を辿っていた。

 三田誠広、立松和平は学生運動に関する小説を書いており、学生運動というものは少なからずサブカルチャー的であったが(学生が担っているのでそうなるだろう)、後に仏教に接近してサブカルチャー的なものから離れたように見える。日本においてハイカルチャーである(それについて語ってもマイナーと見做されることはない)仏教は、サブカルチャーと距離をとるためのツールとして使用されているようだ。

 

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