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その夜の音楽の記憶── 2024年9月1日、青木慶則・森永陽実ツーマン公演
あまりにもいつも音楽を聴いたり歌ったり弾いたりしている親のもとで育ったので、音楽は私にとってただ息をしていれば与えられるようなものだった。自分から音楽を求めて聴くようになったのは大人になってからで、それもやはり同じ人やグループの曲ばかり聞いて十分満足していた。いつだって目の前にある大切なものを限界まで楽しんでいたいし、飽きることもない。でもその大切なものとどこかでつながっている何かに偶然呼び寄せられることもあって、それでうっかり虜になったとき、それほど大げさでもなく、生きててよかったなと思う。
この9月、10月に行った2回の音楽ライブで、まさにそのうっかり捕らわれるような体験をした。長く長く続くライブの余韻のなかで、そのアーティストたちの情報をできるだけ読み漁りながら、吸い込むようにアルバムを聴いていたし、今も聴いている。そして、ライブ会場で音楽に包まれたときのあの快楽を、どうしてこれまで言葉にしてこなかったんだろうと思って、焦ってこれを書いている。私には音楽史もわからないし音楽技術もわからないのだから批評なんてとてもできない。できるのはとことん個人的な体験を打ち明けることだけだ。それでも勇気を出して書きたい。あの夜、あの場所で心を奪われたあの感覚を、完全に忘れてしまわないうちにできるかぎり言葉にしておかなくては。当初は観たライブ2件とも書こうとしていたのだけど、1つめだけで1万字を超えてしまったので、まずはその1つめの夜の話だけお見せしたい。
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2024年9月1日、東京・神田 POLARIS での、青木慶則と森永陽実のツーマン公演「kitto novo novo」を観た。1歳7カ月になった子を思いきって夫に預けて、1人で神田へと向かった。台風が通り過ぎようとしているところで、それなりの雨が降っていた。開催が危ぶまれたのだけれど、なんとか暴風雨は止んでいて、予定通り開催されたのだった。駅から歩いて会場に向かうとき、道路に人も車も全然いなかった。休日の夜の神田はこんなに静かなのかと思った。POLARIS はガラス張りの白い会場で、雨のしずくをいっぱいつけて暗闇に浮かんで見えた。早く着きすぎて会場の周辺を歩いていたら、映画『トノバン』のポスターを見つけて思わず写真に撮った。トノバン、加藤和彦は私の父の永遠のスターで、私も感傷抜きには直視できない。でもトノバンの話はここではしない。ライブの話をしなくては。
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会場に入って注文した飲み物を待っているとき、「青木さん、1回も拍手する隙を与えないつもりだって」と楽しそうに話す声が奥から聞こえてきた。曲と曲の間を自然な息継ぎでつなぐような、聴き手の目と耳を吸い寄せて一緒に波を作るようなあの空間が青木さんによって生み出され始めたとき、すんなりと身を任せられたのは、その漏れ聞こえた話のおかげでもあったかもしれない。ただ途中からそんなことどうだってよくなった。気にしなくても身を任せたらいい、心地よい場所に連れて行ってもらえる、と信じて疑わなくなっていた。ちなみにライブの間の要所要所で、拍手のしどころはちゃんと与えてくれていた。空気を読む必要なく、ここぞというときに惜しみなく拍手を送れるのもまた楽しかった。
青木慶則さんのことをほとんど知らない私がこのライブを観に行ったのは、対バンする森永陽実のファンだからだ。ファンだし、大学時代からの友人でもある。ライブの話をすると言ったのに少し寄り道して、森永陽実こと森森(と昔から呼び続けている)と過ごした時間について話させてほしい。というのも彼の音楽を聴くということが私にとって意味するものは、彼との関係性を抜きには語れないからだ。かといって、もちろん、彼の音楽のよさは私にだけわかるなどと言いたいわけではなくて、むしろいずれ数えきれないほど多くの人が彼を知ることになるだろうと思っているのだけど、今日ここで書けるのはあくまで私のその夜の記憶なのだから、許してほしい。そして同じ夜に同じ場所にいた人には、その人にとってのその夜と、その夜に至るまでの話があるはずで、私はそんな打ち明け話をたくさん読みたいなと思う。バラバラな個人的な思い出が、ある日ある場所の1点で接しているって、なんて面白いことなのだろうと思うから。
森森とは法学部生の寄り合いのようなサークルで出会い、週に1回くらい、さほど内容もない場所と時間を10人かそこらで共有して過ごしていた。特に活発に会話をしたこともなかったけれど、各自が何か少しばかり奇妙なことをしたり言ったりして、周囲から笑われたり非難されたりするようなとき、森森は私を否定せず疑問も抱かず静かに見守ってくれているような気がしたし、私もまた森森に対して似た態度をとっていた。それでなんとなくお互いを遠くから承認し合っている感覚があった。
森森は時々ギターを背負っていたので、バンドをしているということは知っていたけれど、バンド演奏を聴いたことはなかった。ただ1回だけ、私の下宿先でサークルメンバー数人とイベント準備か何かをしていた夜、私の部屋にあったエレアコギターを弾いてくれて、一緒に歌った。はっぴいえんどの「風をあつめて」だった。私も兄の影響ではっぴいえんどが好きだったから、それ以前にそんな話をしたことがあったのだろう。森森のギターは上手で、やっぱり上手に弾くんだな、と思った。なぜ「やっぱり」と思ったのかわからないけれど、当然そんな気がしていたのだ。
卒業後も森森が企業に就職をせずに音楽活動を続けていると誰かから聞いたときも特に驚かず、やりたいことを自分なりにできるようにやっていこうとしているんだな、と思った。私もまたそんな感じで小さな出版社に滑り込むように就職し、編集者としての仕事ができるようになりそうもなくて途方に暮れて、他の出版社に移ってもがきながらまた落ち込んで、数年後、ほとんど逃げ出すように仕事を辞めたのだった。その迷いに満ちた数年間に、森森とはときどき会って、ぽつぽつとお互いの仕事の状況や恋愛事情を話しながら、お酒を飲んだり盆栽の植え替えをする庭師のイベントを見物したりした。森永陽実が 1st EP『オマージュの部屋』をリリースしたのは2018年8月なので、その1年前くらいまでの数年間の話だ。
森森と共有する沈黙の時間は通常の私の会話におけるそれの3倍くらい長かったので、そのおかげもあって、私は森森に対して本当に本心で思っていることしか話していない自信がある。繰り出す言葉の数が限られているので、嘘をついている暇なんてないのだ。リリース前の音源や未完成の曲をときどき聴かせてくれたりもしたけれど、聞き流すことができず何度も何度も聴いて、思ったことを正直に伝えてきた。そんなふうに話すなかで森森がある日「もっと曲を作りたい」「歌詞があれば作れる」というようなことを言って、じゃあ歌詞を書いてみるよと私が言って、初めて詞を書いて渡した。2017年5月、出版社を辞めて打ちひしがれ尽くして、少しずつ立ち直ろうとしている頃だった。その詞「帰ってきたら優しくするから」は、森森が曲をつけてくれてから6年弱を経た2023年1月25日、森永陽実の11曲目のシングルとしてリリースされた。それは偶然にも私の出産予定日と同じ日だった。臨月のお腹を抱えながら、リリースにあたって曲名の英語表記の相談をしてくれた森森と「When I come home, I'll be nice to you」という訳を決めた。別の案もあったけれど、最後にこれを提示したときに森森が「これがいいな」と選んでくれた。
私の迷った言葉について、私よりも強く「これだ」と推してくれることが森森にはあって、その感覚を私はとても信じている。この曲の歌詞の「引き止めるあなた片目に/ちょっとだけ行ってくる」という一節の「片目(かため)に」も、当初無意識にそう書いて渡したのだけど、数年経ったあとに、もしかして「傍目(はため)に」のほうがよかったのかな、と迷ったことがあった。それを森森に話すと「いや、片目に、だな」と即座に言ってくれたのだった。今あらためて真剣に検討してみたけれど、「片目に」のままにしてよかったなと思う。たしかに引き止める彼に応じずに部屋から出ていくという突き放したような態度を強調して、「彼を他人事のように見ながら出ていく」という意味で「傍目に」と表すこともできなくはないけれど、自分を心配して引き止める彼をそこまで冷たい目で見ているのであれば、この歌詞中の人のように「ちょっとだけ行ってくる」と宣言して出かけることも、「帰ってきたら優しくするから」と言い聞かせるように繰り返すこともないだろう。
「帰ってきたら優しくするから」はリリースに至る前にも森永陽実ライブでたまに歌ってくれていた。私は歌詞に出てくる「白い部屋」に似た家に同居していた彼とともにライブによく足を運んだ。その人と結婚したときも、森森は「花を添えるよ」と言って披露宴で数曲をソロ演奏してくれた。家族の事情をめぐって複雑な気持ちで迎えたその日、森永陽実の音楽と語りがどれだけ癒しをもたらしたのかは言い尽くせない。結婚後も夫とともに、というかむしろ夫のほうが率先して森永陽実の動向を見ては私に教え、ライブに誘ってくれた。子どもが生まれてからは子を預かって私をライブに送り出してくれた。
そんなわけで森永陽実のライブは度々観ていたのだけど、私が子どもを産むことに集中していた2022年から23年の間に彼の音楽は飛躍的に成熟していて、出産後に初めて訪れた阿佐ヶ谷 Roji でのライブを聴いたとき、本当にびっくりした。バンド編成も大きく変わっていて、それ以前の10人近い大所帯ではなく4人編成となり、森永陽実も歌いながらギターをこれまでになく本気で弾いていた。従来の大型バンドの華やかさの真ん中でみんなに守られるように存在感を放っていた彼が、今や存在感を放つというようなレベルではなく、存在そのものというか舞台そのものとして観客を魅了し始めていた。終了後には、冷めやらぬ興奮を抱えて「私が聴いた森永陽実史上最高の演奏だった!」と本人を前にキャッキャと褒め称えてしまった。友人として誇らしいような気持ちにもなってしまって、余計なことまで言った気がする(余計なことだったのでここでは書かない)。森森は私が畳み掛けるその図々しい称賛や激励を「うん、うん」「いやー、そのとおりだと思うー」「ありがとうー」と小声でゆっくり言って、頷きながら聞いてくれていた。相変わらず目がきれいだった。
阿佐ヶ谷で感じたその劇的な変化の記憶を頭の隅に置きながら、子育てに没頭した1年半を経て、ふと思い出すように今回2024年9月1日、神田 POLARIS での青木慶則・森永陽実ツーマンライブに足を運んだのだった。森永陽実はその頃ライブを精力的にやっていたので他のライブでもよかったのだけれど、告知用の画像に載っている青木慶則さんのアーティスト写真──コラージュを用いた面白い絵でもあった──を見たとき、これはきっと心ときめく何かが待っているに違いないと察したところもあった。(青木さんのその写真と絵のコラージュが、菊池麻衣子さんという人の作品で、その人の一連のアートワークが青木さんの直近のアルバム『FYLYING HOSPITAL』全体を彩っていることを後に知った。)
* * *
さてようやくライブの話に戻る。本当にようやくだ。しんと静まった POLARIS の淡い暗がりのなかで、アップライトピアノに向かった青木慶則さんが演奏を始めたとき(「雨音に閉ざされて」)、想像していたよりも高くて優しげな声がして、少し驚いた。その声は昔、学生時代に、絶対に私の方など向いてはくれないと最初から諦めて距離を置いてしまうような人のイメージを思い出させた。実際にそんな人がいたわけでもないけれど、そういう、「たとえ魅かれたとて手の届くことはないだろう、心が触れ合うことなんてよもや」という反感というか、寂しさを覚えたのだ。そして歌うように鳴るピアノの音色が部屋中にきらきらと染み込むようで、すごく美しかった。ぽかんとして聴きながら、先ほど少し書いたように、曲が終わり、次の息をするときには新たな曲が始まるという波が生み出されたのを感じて、次第に引き寄せられるように見入って、聴き入っていた。
数曲の連なる演奏の2曲目に、「Moon River」が入っていた。ここでさらに個人的すぎる話なのだけれど、映画『ティファニーで朝食を』の中でこの曲を弾き語るオードリー・ヘップバーンが私はとても好きで、中学2年生のときに父に頼んで弾きやすくておしゃれなギターコードの押さえ方を教わり、毎日毎日、真似て歌っていた。その雰囲気を完璧に自分のものにしたくて、CD付きの英語教則本を買って発音を特訓したりもした。あれから20年くらい経つけど、そのときから大して上達もしないギターを弾きながら、赤子に向かっても歌っていた。そんな曲だから、ピアノアレンジの美しさに聞き惚れるとともに、あまりにも私の中の歌のイメージが邪魔してそわそわしてしまった。いっぽうで、私がおそらく初めて聴いた青木さんのオリジナル曲の数々は、詞もメロディも、次の音、次の言葉が待ち遠しくて、聞き逃したくなくて耳を澄ませてしまうのと同時に、なぜか、あたかも昔から親しんできたかのような安らぎをもたらしてくれた。
青木さんが初めてピアノから手を離して「青木慶則です」と言ったとき、その声の低さにハッとした。歌声を聴いたときと同じくらいか、それよりも驚いた。その声が歌になるとあんなに都会的な軽やかさを帯びるのか、と手品のように不思議だった。私が没入していたからそう感じたのか、実際にそんな差があったのかは今はもうわからない。でもそのとき私にはそう思えて、それは青木慶則さんという人の声そのものへの興味が込み上げるような瞬間だった。そしてその心地よい重みを含んだ声から、軽妙で肩の力の抜けたトークが繰り広げられるのを聴いてすごく安心した。最初に歌声を聴いたときに「絶対に心を開くことなんてないんだろう」なんて思って、存在しない高嶺の花の記憶まで持ち出して勝手に感情をこじらせたことを申し訳なく思った。
青木さんのこれまでの仕事を知らなかった私にとって、「パロマ」のCMソングや「HONDA N-BOX」CMナレーションなどを再現してくれたのもすごくありがたかった。それは青木さんをよく知っている人も、ぜんぜん知らない人も等しく楽しめるようにするための配慮なのだと思うし、それを、当たり前のように差し出してくれるのはとても優しくて強い行為だと思う。そういう、その場にいる全員のもつ情報量を揃えるような働きかけは誰もが簡単にできることではないと、ふだん仕事をしているなかで何度も思い知ってきた。他の人がなぜ笑っているのかわからないので静かに微笑みながら黙っているしかないあの瞬間が、私自身とても苦手で、その苦痛を味わう人を少しでも減らそうと、「わかる人にはわかる」笑いが起こった次の瞬間に、可能なかぎりその背景を全員に一生懸命説明しようとしてしまう。それで「わかってるよ大丈夫」とか言われることもある。だから(って、青木さんの振る舞いと私の行動はもしかしたら全然意味の違うことなのかもしれないけど、たとえ私の勘違いでも)青木さんのその振る舞いには尊敬と信頼を禁じえない。
曲間での絶え間ない冗談に笑わされながら、「北斗七星」「最期のスポークスマン」「閉店時間」「嘘つき」「手のひらのニューヨーク」などを聴いた。客席からは歌う青木さんの横顔しか見えない配置だったのだけど、演奏中に青木さんがしばしば客席に目を向けてくれるたびに、心がほぐされていくのを確かめていた。どの曲の演奏中だったか正確には思い出せないのだけれど、ピアノなのか歌詞なのか声なのか、はたまた私の個人的な文脈なのか、判然としない何かが一体となって引き金になって、不意に笑いが込み上げた。ああ、今、完全にハートを持っていかれた!、と思った。
青木さんは最後に、「すごく頑張っている人と、ちょっとだけ頑張っている人と、へっちゃらな人と(笑)……に贈ります」というような趣旨の、これまた優しい気分を膨らませる前置きのあとで、HARCO名義での大ヒット曲「世界でいちばん頑張ってる君に」を演奏してくれた。私でも聴いたことがあるくらい有名なその曲を、その夜そこにいた人に直接手渡すかのように聴かせてくれた。これが人を魅了するステージというものか、と、深い感慨があった。慣れ親しんだ森永陽実の、極めてシャイな立ち振る舞いの記憶と無意識に比較していたのかもしれない。とにかく、今日絶対に青木さんのアルバムを買うぞ、と思った。
* * *
青木さんの演奏が終わり、少しの休憩のあと、森永陽実バンドがステージに揃った。最初の曲「もののけ天使」は、私が社会人になって初めて行った森森のライブで「新曲です」と言って演奏していたものだ。その時もそのライブの中で一番印象に残るくらいキャッチーで、曲内で鮮やかな変化に富んだ面白い曲だなと思った。FUJI ROCK FESTIVAL ’19のROOKIE A GO-GOステージにも出演した8人編成バンド「森永陽実とイル・パラディソ」結成よりも前の、その原形くらいの時代だった。この夜、POLARIS で演奏された「もののけ天使」を昔と比較するつもりなんてないのだけど、いや、でも知ってるからどうしても自動的に比較されるのだけど、その結果何よりも驚いたのは森永陽実の、聴き手の心を自らつかみにくるような堂々たる立ち居振る舞いだった。それはミュージシャンとしたら普通の姿なのかもしれないけど、おそらく相手の心の自由を尊重したい気持ちが強すぎる我らが森永陽実はその昔、自分の曲を「聴いてください」とストレートに言うことさえしないような控えめな態度だったのだ。その人が今、情熱があふれるような演奏を1曲やりきったあと、客席にしっかりと顔を向けて、茶目っけをたっぷり含んだポーズで格好つけているとは。しかもそれがあまりにも板に付いていて魅力的で、私はまた喜びが弾けて笑っていた。演奏それ自体も、1年半前からまた格段に成熟していて、もはや上達を私が喜ぶとかそういう話ではない、と思った。もう飛び立ったんだ、私の友人としての森森とは別に、森永陽実という偉大なミュージシャンとなって世に放たれたんだ、と思った。
「僕は常々、発明的な音楽を作りたいと考えています」「なので、最近の新発明である曲を、聴いてください」と、相変わらず朴訥とした口調ではあるけれどはっきりとそう言って、森永陽実とその素晴らしいバンドメンバーは新曲を演奏した。その曲も、その後の曲も、感激が止まらず飽和して呆然とした。この日演奏されたのは冒頭の「もののけ天使」と新曲のほか、「コカパガーナにて」「愛の宇宙語」「シャカン・ナ・ソン・グー」「雨のシュプール」「ミディアム・ハイ」「私に気がある探偵さん」「ghost story」だった。各曲に対する私の個人的な思いはもう語らない。でも演奏後、他のお客さんがしみじみと言っていた「森永陽実というジャンルを作っているんだな」という言葉がぴったりだと思った。私にはそれを構成する要素を列挙することはできないけれど、膨大な量の音楽体験のなかから彼がシンパシーを感じたものを彼のフィルターを通して縦横無尽に組み合わせているということはわかる。だからこんなに多様な旋律とリズムが生まれるのだろうし、聴いても聴いても飽きなくて、聴くたびに違う表情を見せるんだろう。曲によって前面に出る雰囲気も違って、流行歌のように散歩中に繰り返し口ずさみたくなる曲もたくさんあるし、忘れてしまっていた青春を思い出させてくれる曲もあるし、落ち込んだときに気持ちを明るくしてくれる曲もあるし、エレクトリカルパレードを観ているような気分になる曲もあるけれど、共通するのは1曲ずつがスペクタクルだということ、言い換えるならパッチワークのように、サーカスのように、あるいは星空のように壮観だということだ。緻密で繊細なことがすぐわかる一方で、それを蹴飛ばすように大胆でキャッチーな部分もある。さらにその音の上に彼独特の歌詞が織り合わされているので、そりゃ、飽きないわけだ。
森永陽実の楽曲の歌詞について話しだすとまたちょっと長くなるけれど、少しだけ説明させてほしい。彼の詞は端的に言って難解なことが多いと思う。何を言っているのかわからない、どうしてそこに配置されているのかわからない言葉がふと姿を現すことがある。私は友人だから、「森森の頭の中で何が起こってこうなったんだろう」と想像して、勝手な見当をつけることもあればすぐ諦めることもある。そして聴くたびになぜか微笑んでしまう。微笑んでしまう理由を考えてみると、おそらく、その自在に飛躍する比喩や視点の急転換、唐突な名詞など、私にはどうあがいても書けないような言葉の様相を前にして、大道芸やサーカスを観たときのように喜んでしまうのだろう。彼の詞もやはりスペクタクルなのだ。それと、共感や解読を迫ってくるわけでもない控えめな様子が、彼本人のたたずまいと通じていて好ましいのかもしれない。それでいて、アクロバティックな詞の中でもふと素朴な人が隣で優しくつぶやくような親しみやすさを感じる瞬間もたくさんある。だからこそ彼の曲は、たとえ意味がわからない部分が多くても決して突き放されたり置き去りにされたりする感じがしないのだろう。もちろん、彼の詞の世界は徐々に変化していると思うし、中にはストレートに言いたいことを万人に伝わるように言っていると感じる曲(と曲の中の部分)も増えてきている気がする。その変化もまた楽しい。いつか彼の曲の歌詞をリリース順に並べて、感じることを言葉にしていったらまた1万字くらいは書けそうだなと思う。
今書いたことはこれまで音源で聴いてきた森永陽実の音楽で感じてきたことだけれど、この夜のライブは、その緻密に作り込まれた音源での体験を超えるほどの快楽へと誘うものだった。森永陽実の音楽にとって、これは本当に驚くべきことだと思った。そんなことが起こりうるんだな、とさえ思った。いや、起こりうるんだな。だから世界中の人が音楽をライブで聴きに行くんだ。とにかくこの夜、私が聴いた森永陽実史上最高の演奏がまた大きく更新された。バンドメンバーはドラムス・河合宏知、ベース・厚海義朗、ヴァイオリン/キーボード・渡辺洋輔。みなさんそれぞれ素晴らしい演奏家であるのと、森永陽実を中心とした信頼関係が伝わってくるような一体感に満ちていて、感嘆する。すごく安定した土台の上で、それぞれが、そして誰よりも森永陽実が情熱的に踊っているという印象を受けるバンドセットだ。1年半ほど前にも同様に感動した阿佐ヶ谷 Roji でのライブでは渡辺さんがいなくて、パーカッションの Ryosuke Tomita さんが参加していた。最近の森永陽実はこの4人か5人の編成で演奏することが多いようで、彼らの名前を森永陽実によるライブ告知で見かけるたびにうれしくなる。
そしてこの夜あらためて感じたのは、森永陽実の歌声のよさだ。心臓をなでるような低音とクリアで艶っぽい高音がなめらかに交錯して、とても魅惑的なのだ。昔から不思議な発音をするなと思っていたけれど、──独特の細かい揺れのようなものが含まれていて粘るように残るのと、a 音 や e 音が o 音の響きに近くてこもるような──その印象はいい部分を残して和らいで、逆に素直に発散される声の伸びやかさ、美しさが増した。いや、すでに1年半前の阿佐ヶ谷でその劇的な変化は感じていたので、今回はさらに磨きがかかった、と感じた。これならきっと届く、私に届くとかそういう段階を超えてもっと広く届く、届いて然るべきだと思った。今夜、青木慶則さんを観にきたお客さんたちの心もきっとつかんだはずだ、と思った。私がそう願っただけではなくて、実際に演奏が進むにつれて客席の雰囲気が、確かに打ち解けたものに変わっていった感触があったのだ。森永陽実という、この物静かな人の内側にこんなに生々しい情熱があるって、誰が想像できるだろう。歌い、弾くことでそれが手に取るように姿を現す様は、何度思い出しても圧巻で、少し可笑しくて、その場にいられたことがうれしくて、もっともっと多くの人に居合わせてほしいと思った。でも大丈夫だ、私が願わなくたって森永陽実はきっと届いていく、もっともっと多くの人に、とも思った。
いつまでも聴いていたくて、同じようにそう思ったであろう他のお客さんたちと一緒にアンコールをせがんでいたところ、森永陽実が静かにそれを受け止めて、青木慶則さんをステージへと呼び戻してくれた。ポルトガル語で「新しい」を意味する「novo」を2回も入れた公演タイトル「kitto novo novo」(青木さんが命名したという)に似つかわしいことをしよう、という青木さんの呼びかけと素晴らしい指揮によって、ルールに沿った即興セッションがおこなわれた。スリリングで、遊びに溢れていて、とてつもなく楽しかった。手を高く上げて拍手を送った。そのくらい感謝を送りたかった。
「その夜はその夜にだけ今も存在し続ける。」Instagram に当日のステージ写真を投稿した青木慶則 さんが、そうコメントを添えていた。その通りだと思った。これから私の記憶から消えてしまっても、この夜の存在を感じられるようにしたい。だからここに書いておかなきゃいけないと思ったのだ。それで、けっこう、頼れそうなものが書けたと思う。これで安心して忘れられる。きれいに忘れてしまったとしても、これを読めばきっとまた思い出せるだろう、この夜の確かな存在を。
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参照リンク
Instagramアカウント「Yoshinori Aoki - 青木慶則(@ysnraok)」
X アカウント「Yoshinori Aoki - 青木慶則(@ysnraok)」
9月1日、神田ポラリスでの僕のソロステージと、森永陽実bandとの即興セッション。その夜はその夜にだけ今も存在し続けている。
— Yoshinori Aoki - 青木慶則 (@ysnraok) September 4, 2024
Photo @kaeruman517 @AkimiMorinaga @POLARIStokyo1 pic.twitter.com/s30ZwNsNve
Instagramアカウント「森永 陽実|もりなが あきみ(@morinaga_akimi)」
X アカウント「森永陽実|Morinaga Akimi(@Akimimorinaga)」
9/1"kitto novo novo"ありがとうございました!
— 森永陽実|Morinaga Akimi (@AkimiMorinaga) September 2, 2024
私は4人編成でソリッドに。歌を歌うことが楽しいと感じました。
青木さんのステージは、ピアノ弾き語りだからこそ感じられる楽曲の力、!!
アンコールセッション、バンドメンバーの力と青木さんのプロンプター力によって生み出された魔法の時間でした。 pic.twitter.com/qwuBVeslph
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