見出し画像

忘れ物をした子がいた時に、ぼくが気をつけたいこと

忘れ物に限らず、失敗したときに咎めたり追い討ちをかけてきたりされても解決には向かわないと思っていて、じゃあどんなふうに向き合うの?というと、具体的にイメージできなかったりするのでまとめてみました。

仕事の失敗とかもそうだと思うんだけれど「できなかったこと」にフォーカスするのではなくて、それによって起こるしんどさに焦点を合わせてフォローしていきたいなと思っています。

なにかの参考にしてもらえたら幸いです。

早速ご意見をいただいて、参考になるかもと思うのであわせて載せておきます。

自分の失敗で困ったことが起きた時にその子供が泣いてパニックになってるとしたらどうされますか?私も同じようにどうしたらいいか一緒に考える・手助けをする、を実行はしようとするもののパニックでそこに行き着くまで時間がかかって…と聞く側が参ってしまって。

という質問をいただきました。4歳前の子とのこと。

ザックリではあるけれど、

A.困ったことでパニックになっているのか
B.失敗が腹立つのか
C.助けてほしくて泣いているのか
は見極められるならしてみます。

それぞれ、
A.→困りごとを解消
(「怒られるかも」という思いでパニックになっているかもしれないことも考慮)

B.→自分の気持ちに向き合っているので見守り(できるなら共感)

C.→助ける(何度か続けていくなかで、パニックではなく言葉で助けを求められるように支援)

など気をつけていたいです。また改めて漫画にできればと思います(口だけになりませんように)

また、

「助けず、自身で痛い思いをさせる。次からは自分で気をつける」こちらの学童保育では、楽しい事が忘れ物のせいで出来なかった辛さを忘れない様にする事を目標にしてます。

というご意見もいただきました。
やっぱりそういう現場も多くあるよなあ、と思いながら批判しそうなりましたが、そのため(批判するため)に書いたわけではなくてひとつの視点として書いたので、その場合に気をつけたいことを書いておこうと思います。

実際に、依存症等の対応で手助けをしてしまうことで回復を遅らせてしまう(イネイブリングと言うそうです)ということがあります。手助けをする事でその人が自分で「やばい」という感覚(底つき体験)ができなくなるというもの。(↓参考資料)

https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/alcohol/ya-056.html

https://www.jiji.com/ad/korosho/izonsho_manga_v01.html

依存症とは全く状況は違うので混同してしまわないようにしたいですが、「困らないと行動しない」という理論としては正しいと思います。

子どもの失敗については「次に」繋がるかを考えていたいなと思います。
その「次に」のためにあえて手助けはせずに「自分で気づく」ように見守る場合は、その子の経験なのでこちら側が「分からせる」など何かを与えたという感覚を持たないように気をつけていたいなと思っています。こちら側がなにもしなくても、勝手に困るわけですから。

ただ、そんな時でも「助けを求めたら手を差し伸べてもらえる」という思いは持ってもらえるように側で見守りっていたいです。「自己責任でしょう、反省しなさい」ではなく、「まあ、今回は忘れたししゃーないよな。予備があったら貸せたけどそうはいかんしなあ、残念やけどなあ」とその子のしんどさに共感していたいなと思います。

いつもいつも余裕をもって関わることはできなくても、大事なところをブレずに持っていたいなあと。そして、自分自身もできてない自分を責めたり自己嫌悪にならないように、どうやったらできるだろうと前向きに考えてできた時にはちゃんと自分を褒めるようにしておきたいなあ、と思っています。自分の失敗にも同じように向き合うってことで。

毎度、漫画のときには書いているのですが画一的な方法論は逆に本質から遠ざかると思っているので、ひとつの視点として、子どもとの関わりに悩んでいる方のなにかのヒントにしてもらえたら嬉しいです。

また、これが正しくてこれが間違っているというような視点ではないので、前向きに見ていただけたら。

どうしても、漫画だと分かりやすすぎて「それが正しいもの」だと思いやすいので。子育てや保育の「いまのしんどさ」が解消されるための手助けになれば幸いです。

いいなと思ったら応援しよう!