危険はないけれど汚れたりするときに、どう子どもの活動を見守るか、という相談に答えました
お伺いしたいのですが、本人に特に危険はないが、汚れる濡れることが予想される時はどうしていますか?
本人が汚れる場合と、周囲(床など)が汚れる場合の両方教えて頂きたいです
例えば、絵の具に夢中になり、絵筆を洗う水入れを倒しそうみたいな時です
という質問を下のツイートからいただきました。
返信を書いていたのですが、長文になったためこちらに掲載します。お昼休みにババババッと書いたので乱文でごめんなさい。
誰がどう困るかで考える
汚れる、濡れる
で、
a誰が困るか
bどう困るか
を考えます。
例1)本人が汚れる場合
a.誰が困るか
『子どもが困る場合』
汚れてもいい服だけれど、(bどう困るか)[本人が後で風邪をひくかも〜気持ち悪いかも〜]など度合いは様々ですが、基本的にはチェックシートにあるような形で把握します。(風邪ひくような環境なら制止する、濡れないクレヨンなどの代替を出すなど)
困りごとが少ない場合は手を加えなくていいでしょうし、困りごとがあるならばスモッグ、汚れていい服に着替えるなど環境を支援します。
いまの楽しみを止めるのはもっと楽しめるようにするためだよという意図が伝わるように「着替えようか」と促してみます。汚れるよりも今の集中を途切れさせたくないという方が優先される場合もあるでしょう。
また、促して嫌がる場合もありますが、まあ汚れてもいいか、という余裕が大人にあるなら→気をつけるように伝える→気をつけても失敗する→「だから言ったでしょう」とは怒らない→「汚れたから着替えようね」とひとつの経験として声をかけながら着替えを促す。といったように汚れることが良いこととか悪いこととか考えないでいいかなと思います。
もっと余裕があるなら、汚れたことを大人が楽しめるのも子どもは安心するかもしれません。そんな余裕なかなかないですが。
『大人が困る場合』
ほとんどがこの場合だと思います。
洗濯大変だし、なかなか着替えてくれないし。だからと言って子どもの主体性を尊重しなければならない、と無理に我慢する必要はないと思っています。
(bどう困るか)[「汚れると洗濯が大変だから」「今日は着替えを持ってきていないから」「この後買い物に行けなくなるから」]という自分の都合をきちんと子どもに伝えます。もう買い物くらい後で行くか!という諦めにも似た余裕があるならそうしたりもします。
人として、自分の思いを伝えることは、子どもの活動を止めることであっても大切なことだと思います。
つい、こちらの都合なのに「〇〇できなくなくなるよ!」と、その子の不利益になるようなことを言ってしまいがちですが、それを言う場合でも「自分が困るから、悪いけど」と言うように心がけています。
ついつい怒っちゃうので、あらかじめ着替えを持ち歩くなどの備えをしていれば(怒らなくていい環境を整えておく)、怒らなくていい余裕を持てるから大切だと思います。(ぼくはついつい忘れてその時になって気づいてイライラしちゃいます)
例2)床などが汚れる場合
a.誰が困るか
『子どもが困る場合』
(bどう困るか)周りが汚れて子どもが困る状況はあまりないですが、滑ってこけるなどのリスクがあるならもちろん環境を変えるなどの支援はします。二次的な困りごと、例えば汚してしまって他の子が困る、地域の人が困るなどする場合はそのことを伝えて環境を変えますし、その子自身が今後その遊びができなくなったりする場合もありますからそれを伝えたりもします。
『大人が困る場合』
(bどう困るか)床を汚されたら掃除が大変、機械が壊れてしまう、掃除する時間がないなど、様々あると思いますが、それをきちんと伝えます。
例えば、質問にある「絵の具に夢中になり、絵筆を洗う水入れを倒しそうみたいな時」は、「汚れたら掃除に困るから避けた方がいいよ」と助言します。
夢中になっているのの邪魔になりそうなら、「倒れて汚れたら掃除に困るから除けておくね」と一言声をかけながら環境を整備してあげるなどします。
汚れてもいい余裕があるなら、声をかけるだけで様子を見たり、自分で気づくか観察したりします。自分で気づかずに倒してしまってその子の不利益になりそうなら、倒れる前に対応します。
優先順位をどこに置くかで様々な関わりがあり変わってくると思いますが、誰がどう困るのかを分離して、どちらかが我慢したり無理したりするのではなく、大人も子どももしんどくないように子どもの活動を尊重できるのが理想だなと思っています。
また、きちんとチェックシートにおこしてみたいと思います。