子どもたちで育ちあう姿
担任のクラスではない学童に顔を出したとき、壁にボロボロの原稿が貼ってあった。なんの文章だろうと読んでみると、ぼくが4年前に法人の広報誌に寄稿したが周りと毛色が違うからとボツになったものだった。
恥ずかしいから剥がしてくださいよ、とそこの職員に声をかけたが、どこにも日の目を見なかった自分でも忘れていた文章を大切にしてくれている人がいることが嬉しかった。
学童ってこうでしょうと、そんな気持ちで貼ってくれているらしかった。
その原稿データを今日たまたま見つけたので、せっかくなのでここに載せておこうと思う。いつもぼくの文章を読んでくれている人にも読んでほしいなって思うことは、とても恵まれているんだろうな。よかったら秋めいてきたかなと期待してクーラーつけたらやっぱり暑くて汗ばんで寝れない夜のおともにでも読んでもらえたら嬉しいです。
「子どもたちで育ち合う姿」
毎年恒例の夏の合同合宿に今年も行ってきた。参加できない子も中にはいたが、約9割の総勢120名が参加する大きな行事となった。夏休みの一大イベントとしてできる限り多くの子に来てもらおうと大きな声でアピールする職員の盛り上げ空しく、乗り気ではない子が数名いた。
初めてのことで気後れしていたり、ひとりで寝ることが不安だったり、友だちとうまくいくか心配したりと、それぞれの思いがあるようだった。
そんな中、4年生の女の子が「夏休みキャンプ練習お泊り会」なるものを企画した。合宿に行ったことがない子たちのために練習のお泊り会を児童館でするというものである。子どもだけで企画・運営をして行った行事で、これはこれで壮大なドラマがあったのだがそれはまた別の機会にお伝えするとして、とにもかくにもその「練習お泊り会」にお泊りに乗り気でなかった子が参加したのである。
当日のギリギリまで参加しないと言っていたのだが、準備を始めた友達たちを見て「参加してみようかな」となった。保育者がいくらしつこく誘っても頑なに拒否していたのに…。「練習お泊り会」はとても楽しかったようで、悩みながらも、その出来事が合宿に参加するきっかけとなった。
また別の子は生活の中でそのきっかけを見つけた。日々の何気ない日常を友だちと過ごす中で充実した日々を積み重ねて、「あいつが行くなら俺もいってみようかな」となった。「なら、俺も行くわ」とお泊り絶対NGのもう一人も来ることになった。「一緒に行こう」と友達の誘いが背中を押した。「行くもんか」と断言していたその子が、ある晩「相談があります」とご両親に切り出した、という話を聞いて微笑ましくも感動した。
開催前からそんなドラマがあった夏の合同合宿は、各保育園の先生にも助っ人として来てもらい充実した活動を行うことができ、子どもたちの成長もたくさん見られた。
いつもやんちゃしている子が率先して年下の子を見てあげたり、高学年に紛れて2年生だけで火を熾したり、数えきれないくらいの輝く子どもの姿があった。
日常の積み重ねが子どもたちの生活経験として息づき、成長してするための種として、保育者ではなく子どもたち同士でそれを育み合う姿が児童館にはあるのだと実感した。
「なにがかは言わないけど、めちゃくちゃ楽しかったみたいです」
後日、何人かの保護者の方に声をかけていただいた。
水族館で見たイルカショーでも、真っ暗になるまで頑張った飯盒炊爨でも、自然のなかで遊んだウォークラリーや水合戦でもなく、「なにが」とは表すことのできないけれど、例えば大好きな仲間と夜更かししたり、お風呂で泳いだり、枕投げをして一緒に怒られたり、そんななんでもないことが思い出になっているのだろう。
「あんなに準備をしたのに」とは意外とならず、子どもたち「らしいな」と微笑ましく夏の疲れも吹き飛ぶのである。
(2016.8)
いまなら、成長したような姿がなくてもいいよねって言えるのかもしれない。この頃とは少し感じ方や捉え方は違うかもしれない。けれど、大事にしたいことはずっとこういうことだよなって思った。