「生きちゃった」感想 抵抗すること
さっき、映画「生きちゃった」を見てきました。
結論から言うと「最高~~~~~!」。
私は石井裕也監督作品って「舟を編む」以外見たことが無かったのですが、船を編むもめっちゃ好きで。もしかすると石井監督の作品自体が好きなだけかもしれないけど、生きちゃったは予想以上に良かった。
もうね、この感動を忘れたくないので今の脳みそをそのまま垂れ流します。
完全に備忘録ですので、読みづらいしつまらないですが、とにかく今を忘れたくないので許してね。
あ、あとネタバレ注意です。そして台詞は全部うろ覚えです。
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最初のシーンで流れた挿入歌。パピコ。夏。白線。
多分「夏の花」は三人にとって「あの頃は良かったな」の象徴なんですよね。仲野太賀の声はこの恋あたためますかで聞いてて「良い声だな~」と思っていたのですが、歌も上手なんですね。僻みで嫌いになりそうです。
若葉竜也さんも見た目よりライトな声で、ハモりがすごい綺麗でした。
音もないし、画の感じから「ああ、回想だな」とはすぐわかるんですけど。
そこからブツッと、いきなり現実に引き戻される。
厚久(仲野太賀)の隣には誰も居ないし、夜だし、白線じゃなくて「止まれ」と影だし、白線と違って陰は途切れて先がないし。
ここだけで「この映画、こういうスタンスなんだ」ってわかる。
そして家のシーン。
菜津美(大島優子)が武田(若葉竜也)に「パピコ食べる?」と言うところで、冒頭の三人と同一人物だとわかる。
でね、菜津美がとに~~~~かく腹立たしいんですよ!
「アンタらだけ夢追いかけて、いいよね(笑)」
「アンタが愛してくれないからじゃん(笑)」
これはさ、仲野太賀の悲壮感があまりに生生しいからってのもあると思うんです。それで際立って「自分勝手な妻」「やっぱり女って、感情的になるよね~」みたいな嫌悪感をすごい煽ってくるんです!!
で浮気シーン。厚久のめまいの描写はなんだったんだろう、何かの伏線、トラウマなのかと思ったら胸騒ぎ的なやつだったのかな。
その後の風邪で寝込んでる厚久、序盤の「爽やかな夏」じゃなくてじとっと汗がまとわりつくような「腹立たしいだけの夏」って感じで好きでした。
あのシーン、「どうか風邪の夢であってくれ・・・・・・」とわかってても願っちゃいましたね。ガラスがね、割れてたからさ、何もかも真実だったんですけど・・・・・・。
厚久がさ、英語講師に対して「庭付きの家を・・・・・・妻と娘のために・・・・・・あ、犬も」のシーン辛すぎて「生きちゃった好きなシーンランキング」に食い込みそうです。
ここまで書いた時点で映画を見てから六時間が経過しているので、少し感情が腐り始めています。タイムリミットが迫っている。
あの菜津美が幸子の話をする場面、音響すごくなかったですか? 私最初、「誰かうるさい観客いるな」って思ってましたもん。扇風機で何かが揺れる音だったんですね。
菜津美がさんざん泣いて「私は悪くない」というような弁解をし。
厚久が言うのは
「全部分かった。ただ一つわからなくなっちゃったのは、じいちゃんが本当にいたのかどうか・・・・・・」
ここ一瞬「大丈夫なの、この映画?」って思ったんですが、最後まで見た後だとすごい好きな台詞です。
次は居酒屋で厚久と武田が話すところ。
武田はすごいですね、本当に二人に対して中立の位置で接している。コピーでの「愛を見守る男」は武田なんでしょうが、観客の我々と同じぐらいニュートラルなのはすごいです。
「お前、菜津美と別れてから泣いたか」
「ううん。なんでだろう、すごく悲しいのに涙が出ないんだ。・・・・・・日本人だからかな。心の中では泣いてるよ」
この「日本人だからかな」ってセリフ、予告編か何かで聞いてて「使いどころどこ?」って思ってたんですが、なるほどね~
えっとね、そこからそうだ、菜津美が厚久に金を振り込むように言うところ。洋介(菜津美の浮気相手。厚久の兄に殴り殺される)が毎熊さんだって途中まで気づきませんでした。
「お金、少しでいいから振り込んで欲しい」
「うん。・・・・・・鈴の誕生日、何がいいかな」
「・・・・・・そんなことはいいから」
このね!!! 「そんなことはいいから」!!
最初聞くと「はあ? 子供より金の事優先してんのか?」ってなるんですよ。まるで菜津美が悪女のように見えてるから。
なのに全てが終わった後に聞くと「誕生日どころじゃない。 あの子を育てなくちゃいけない」っていうまさに「子供の為なら何でもやる母親」の像が浮かび上がるんですよね。
なんでなんすか? すご。
まあ今更わかっても遅いんですけど。
私この映画で一番好きだったのは厚久のお兄ちゃん(パク・ジョンボム)でした。初登場の親指立ててるところも好きだったし。
あとこの映画で一番好きな、厚久家族の会話シーン。
「厚久とビールでも買って飲もうかな」
「厚久は朝帰りましたよ」
(揉める両親、兄がそんな二人を面白がりつつ煙草状のものに火をつける)
「・・・・・・お前、それ、大麻だろ! 大麻辞めろ! 次捕まったら実刑だぞ」
「大麻、やめろ!!!!」
このシーン好きだったな~~。両親も掴みかかるわけじゃなく怒鳴るだけなんですよね。感情的なのに醜くなくて、どこか滑稽で。
多分両親は、そんな悪く思ってないんですよね。
だけど犯罪だし、親だし、怒ってはいて、でも一番に「もう良い大人」って気持ちがある気がする。多分兄もそんな悪い奴じゃないんだろうし。
菜津美談の「昔は羽振りが良かったけど、今は壊れた父」ももう少し見たかったな~。嶋田さん良かったです。
そしてあれか。毎熊さんが厚久兄に殺されるところ。
絶対いけないことをしていて、毎熊も働き始めて更生の兆しが見えてて、むしろ「クズが未来ある人間を潰す場面」なんですけど。なんでか好きだったな~。
父がやりたかった「厚久と酒を飲む」をやるために田舎からわざわざ来て、でも弟の嫁は違う男と居て。自分と重なったのかな?
なんかお兄ちゃんの気持ちわかるんですよね~。自暴自棄ですらないっていうか、本当に無の境地でなにもかもがどうでもよいって感覚。
殴られたら殺しちゃえばいっか、刑務所にはいればいっかっていう。
多分見てた人の中には「弟のためにそこまでする?」みたいな疑問抱いた人も居ると思うんです。でも、本当に自分がどうでも良い時って、他愛もないことが人生より重くなっちゃったりするんですよね。
鼻で笑われるようなことで人生を棒に振る人、気持ちわかるな~!
あと刑務所に面会に行ったあとの家族の様子。
普通息子が犯罪したってなれば、泣き崩れる母とか、怒鳴りつける父が書かれるじゃないですか。でも父は
「アイツなんて言ったと思う。『大麻辞めます』だってよ」
これ全く悲しんでなくて笑っちゃいました。もう今更なんでしょうね、田舎で暮らしてたら引きこもりの息子ってすごい目でみられるし。ましてや大麻で捕まってるわけだし。
母もさ、「刑務所見えるよ」って・・・・・・めっちゃウキウキで走ってるし。この親は菜津美とは合わなかったけど、なんか救いでもあるなって思いました。憧れますよね、あんな夫婦。
それで次は、あれか。菜津美追い打ちターン。
まあね、途中までは「よくある悲劇だな」って思うんですよ。子供を守るために、借金を返すために風俗堕ち。
「やってみればね、段々慣れるものですよ」
これとかね。馬鹿って言われても無視して、耳元で言われても我慢して。確かにかわいそうだな、って思うけど、それ以上には近寄ってこない。
で菜津美は殺されてしまう。
「私たちにはどうにもできないんだよね。抵抗する奴馬鹿」
風俗嬢が言ってたみたいに、無抵抗で殺され。それを厚久も知り。
厚久は菜津美の遺族から疎まれ。影絵の犬を掴むこともできず。
ここまではまっさらな「厚久の悲劇もの」で。
だけど、菜津美が大泣きするところ。子供みたいに泣き叫ぶ所。
この場面で一気にぶわって、ああ嫌だな、って思ったんですよね。
厚久も菜津美も抗えない何かがあって、それは自分だったり義務だったり責任だったりして、黙って抵抗せずに受け入れるのが一番だって思ってる。
でも弱いものは死んで、抵抗しても無意味だっていう暗黙のルールが、すっごい悲しくて、悔しくなるんですよ。綺麗に死ぬこともできず、子供みたいに泣き叫ぶ菜津美が本当に可哀そうで、辛く痛々しくて。
風俗に堕ちても、旦那が死んでも、娘を守れれば、生き抜ければそれで良かったんですよね。でもそれすら許されない。
駄々なんですよ、もうどうにもできないことに泣き叫んでる。
でもどうにかしてやりたくなっちゃう。
大島優子がこれをやる意味はなかったって言う人も居ましたが、私はこの演技をしてくれた、できる人だってだけで意味があると思う。
不倫描写とか、セックスシーンとか、ヌード的に「脱いだ」ってことはどうでもよくて、きったなく無様に死んでいく人を演じたっていうこと。
このシーンで全ての苛立ちが菜津美の虚しさを引き立てる材料になる。
菜津美は決して良い人間じゃないし、世間的に言えばクズ。
だけどこれ以上なく悲しくて、無様で、かわいそう。
あと火葬場に行く仲野太賀の笑っちゃうところも好きでした。もうボロボロでしたね、厚久。かわいそうだったな~!
それでもうあれか、ラブホのシーン。
厚久は「自分が間違ってた」と理解して菜津美から離れた。
子宮の病気を持ってた婚約者を退けてまで優先した、そんな女性から。
だけど「俺が間違ってた」と反省すること自体が間違ってた。
菜津美を手放すべきじゃなかった。
もっと遡れば幸子と結婚するべきだったのかも。菜津美は武田と結婚するべきだったのかも。そうすればうまくいってたのかもしれない。
間違ってたと思う事自体間違ってた・・・・・・みたいな「結局どこで間違えた?」っていう構造が虚しくて仕方なかったですね!
でもそれも多分、どうにもならないことなんですよねぇ……。
そしてラスト、鈴を一目見ようとする厚久。
厚久はまた、「ここにいたほうが鈴のため」と思い込もうとします。
厚久は、普通に黙りすぎじゃないですか。日本人だからですか?
周りの人や出来事を「どうにもならない」と思ったら黙って流される。わかるな~! 流された方が普通に楽だし、少なくとも「悪い方向にかじを切らなかった」って言えるし。
でも今回は、兄に口を出さなかった、細かいことは気にするなと助言して結果兄は人を殺し。本人には言わず必死に家族のためを思って働き、身を引いたことで妻は殺され。
それはまさに無抵抗な風俗嬢と同じなんですよね。でも、抵抗しないことが「良かった」とは少なくともいえない。
悪い方向にかじを切らなくても、流れに逆らわなかったら悪い方に進んだ。
抵抗するのは本当に無様ですよね、ラストシーンの厚久と武田みたいに。
言葉もうまく出ないし、涙ぐちゃぐちゃだし。
でも抵抗する厚久の姿に、この上なく救われたのも事実です。
もう応援しちゃいましたもん、武田と同じく。
庭付き一戸建てで犬もいる! この台詞超カッコ悪いけど超すきです。
庭付き一戸建てなんて建てられない、犬なんて飼えない、幸せにできない、それでも自分と生きて欲しい。全然カッコよくないけどまさに愛で、抵抗なんですよ。現実に対する。
とにかくカッコ悪い。でもこの映画のほとんどで厚久はかっこつけ続けてたんですよ、引きこもりの兄に優しい言葉かけるし浮気されても責めないし。でもそれって本当にカッコ良いんですかって話なんですよ!
自分をさらけ出せないってことと何が違うんですかってことなんです!!
自分をさらけ出せないって悩み続けてたことがわかってるから、武田も私たちも! だからさらけ出された中身がどんなに汚くても、かっこ悪くても「ああ、かっこいい」ってなるんですよ!
そして「ごめん、見られない」って言った武田!
それはお前が「傍観者」から「見ててやるよ」という能動的立ち位置についたからでしょ! アンタも共犯です。
黙ってみてるだけなら他人ならいくらでもできます。
それでも「見てられない」って思うのは、自分もまた重ね合わせてるからなんですよ。抵抗した厚久に、抵抗する自分を重ねるから。
意味の無い抵抗がすげなく握りつぶされるところを見てられない。
だけどそれは、「見ててやるから!」って言ったのは、意味あることだと思います。 武田もまた、あそこでさらけ出した気がする。
武田もまた、何かできたかもしれない誰かですからね。
ここまで書いたら一個も言葉が出なくなりました。脳みそを出し終わりました。
あと感受性がバカになったのか、見終わった3時間後ぐらいに見たツイッターのカスカスのレポ漫画で泣きました。
最後にまとめると、なんていうか、私は邦画しか見ないんでよくわからないんですけど、洋画に比べて日本映画面白くないらしいじゃないですか。
なんか最近の映画はつまんないとか、日本映画終わったみたいな意見もみたことあるし。
でも正直「これが面白くないの?」って聞きたいぐらいです。
こんな映画があるのに、日本映画終わった気がしないんですけどね。
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