ニューヨーク旅行記 ヤンキースタジアムでのMLB観戦記(前編)
ついにこの日がやってきた、念願のMLB(メジャーリーグ)の観戦だ。
ニューヨーク滞在3日目、前回から説明しているように腹痛に悩まされていた僕だったが、ホテルで少し休んだことで痛いながら歩けるまで回復した。
ゆっくりベッドから起き上がり、足取り重くヤンキースタジアムを目指す。
実はこの日、ホテルと到着と同時に落雷混じりの雨が襲来し、ホテル前の道路には巨大な水たまりができていた。いや、もし健康で普通に観光していたら雨に濡れてしまっていたのでラッキーである。
けれども、雨はまだ小降りで降り続けていた。スマホでヤンキースのHPを見て見ると、プレイボールの時間はどうやら遅れるとのこと。
僕はスタジアムをじっくり見学してみたいと思っていたので、試合開始の3時間前の午後4時にホテルを出発。地下鉄を乗り継いでヤンキースタジアムへと向かった。
ヤンキースタジアムに到着
こちらが、ヤンキースの本拠地であるヤンキースタジアムである。
このスタジアムがあるのは、マンハッタンの北側のサウス・ブロンクス地区。
ここはかつて、ニューヨークの中でも特に治安の悪い場所として有名で、観光客は絶対に立ち寄っていけない場所で有名だった。
ナイトゲームの試合だったので、帰りの治安はどうなるかかなり不安であった。
そして、早速やらかした。
本来161stの駅で降りなければならなかったのだが、間違えて1つ後の駅で降りてしまった。
いや本当に、これには焦った。しかも気づかず外に出てしまうという有様。駅の雰囲気が悪いように感じたので、慌てて駅員に事情を説明。改札のゲートを開けてくれた。
ヤンキースタジアムへ行けるということで、かなり緊張していたのだろう。僕らしくない痛恨のミスだった。
そして改めて地下鉄に乗って、161st駅で下車。ついにヤンキースタジアムに到着した。野球を見始めて25年、ついにここにたどり着いたのだ。
ふと空を見ると、何と虹があらわれた。
これは何だか良いことがありそうである。
ヤンキースタジアムのコンコース
ヤンキースの試合のチケットは、全て電子チケットでペーパーレスを採用している。
前の日にチケットを手配してくれた旅行会社からメールで電子チケットが送られてきたので、入口でQRコードを読み取ってもらい、いざ場内へ。
場内に入ると、ヤンキースの歴代スターの写真の垂れ幕が飾られていた。
このスタジアムは、それまで現スタジアムの向かい側にあった旧ヤンキースタジアムの老朽化に伴って新しく2009年に完成した新しいヤンキースタジアムだ。
新しい空気が充満していて、正直伝統の重みみたいなものはあまりスタジアムから感じられない。
それでも名門チームの本拠地。建物の雄大さは旧球場には負けていない。
ヤンキースタジアムグラウンド
そしていよいよグラウンドへ。
MLBのスタジアムは、試合前だったらどの席にも自由に入って回ることができる。
グランドを見た瞬間、僕は思わず「ウォーーー!!」と唸ってしまった。MLB、いや世界を代表する野球場なのだから、このくらい唸らなければこのスタジアムにきた意味は無い。
グラウンドの内野には、大きなビニールシートが敷かれていた。場内アナウンスによると、夕方からの雨によって開始時間が30分ほど遅れるとのこと。
試合まであと2時間近くあるので、ゆっくり場内を1周することにした。
こちらは、ライト側の外野席周辺。
バックスクリーン周辺の広告の大きさには圧倒された。
ヤンキースタジアムの特徴は、左中間が広く、右中間が極端に狭いということだ。右中間が狭いということで、右打者にとっては圧倒的に有利な球場なのだ。
実際、ベーブ・ルースなどヤンキースの強打者には左打者が多いのが何よりの証拠である。
ヤンキースタジアム メモリアルパーク
スタジアムの外野のセンター部分にあるのが、こちらのメモリアルパークである。
ここは、ヤンキースで活躍した名選手を称える場所で、ヤンキースで背番号が永久欠番になった選手を紹介している。ヤンキースファンはもちろん、昔の名選手を思いだすという意味でMLBのファンにはたまらない場所だ。
上の写真のように、永久欠番の背番号とその選手を紹介する選手名のレリーフがある。
手前の4番はルー・ゲーリック、3番がベーブ・ルース、5番がジョー・ディマジオ、7番がミッキーマントル、37番はケーシー・ステンゲルだ。
とにかくヤンキースは、永久欠番の選手が多いので、1桁の背番号は全て永久欠番になってしまった。
そういうわけで、今ヤンキースでプレイする選手に1桁背番号はいない。
次に紹介するのはこちらの番号である。
この背番号の選手達は、僕が高校時代の時にヤンキースのスーパースターだった選手で、98年、99年、00年のワールドシリーズ3連覇の立役者となった選手達である。
46番は通算256勝をマークした名左腕アンディ・ペティット、20番は不動の捕手ホルヘ・ポサダ、51番はギタリストとしても一流のヒットメーカー、バーニー・ウィリアムズだ。
この番号を見ると、あの頃の強かったヤンキースを思い出して興奮してしまう。
そして2番。
こちらはご存知デレク・ジーターの背番号だ。
MLB最高のショートとして名を馳せ、ヤンキースのキャプテンを務めたジーターは、その素晴らしい人柄で誰からも愛される名選手だった。
あの松井秀喜選手とも仲が良いとしても知られている。
そしてこちらが背番号42番。
ヤンキースでは名クローザーとして名の知れたマリアーノ・リベラの背番号として有名だが、実は背番号42番は全ての球団で永久欠番となっている。
この番号はMLB初の黒人選手、ジャッキー・ロビンソンの背番号である。
MLBでは、彼がデビューした4月15日をジャッキー・ロビンソンデーとして、その日試合に出る全ての選手、監督、コーチが背番号42を身につけることになっているのだ。
A life is not important except in the impact has on other lives(他人の人生に影響を与えられないのであれば、人生なんて意味が無い)
レリーフには、ジャッキー・ロビンソンの有名な名言が刻まれていた。
ヤンキースといえばこの男を忘れてはいけない。
彼の名はジョージ・スタインブレナー。船舶製造会社を経営して巨万の冨を得てヤンキースを1973年に買収。長年ヤンキースのオーナーを勤め、その剛腕ぶりで数々の話題をさらった。
正直ファンの間では嫌われていて、監督との対立、札束を駆使してむりやり大物を獲得したり、不正情報をマフィアにリークして資格停止になるなど、良くも悪くも色々な話題を提供した男である。
2010年に亡くなったが、悲しんでいるファンはあまりおらず、むしろ喜んでいる方が多かった。
もちろん僕も、彼をクソ野郎と思っている。
だからこうやって、わざとドアップで写真を撮った。
席に到着
球場を1周し、ようやく自分の席に到着した。
今回の席は、3塁側の2階内野席。価格は100ドル(約12,000円)とかなりの高額である。
選手の年俸が高額すぎるのが原因なのか、それとも日本人が貧乏になったのか、とにかく高い。
帰国後に、他球団のチケット価格を調べてみたが、ヤンキースのチケット代はトップクラスだった。
ちなみに、シアトル・マリナーズの内野1階席は55ドルである(2022年シーズンの価格)
こうして見ると、やっぱり年俸のせいだろうか?
腹痛のせいで朝からほとんど食べていなかったので、何か栄養を補給しなければと思った自分は、売店でレモネードとホットドックを購入した。
幸いどちらも問題なくお腹の中に入っていって、試合前にはだいぶ体調を戻ってきたようだった。
試合開始
そして本来の開始時間から遅れること30分、いよいよ選手が守備位置につく。
この日の相手はタンパベイ・レイズ。2001年に誕生した新しい球団で、ヤンキースが所属する東地区のライバルである。
2018年当時といえばヤンキースには田中将大投手(現楽天)が所属していたのだが、残念ながらこの日は先発ではなかった。
とはいえ、念願だったヤンキースタジアムでの試合。緊張の中試合は始まった。
次回もヤンキースタジアムでのエピソードをお送りする。