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A席より、拝啓BMSG様

「ステージの一部にお客さんが組み込まれる」「一緒に作るものにしたい」SKY-HIの意図を聞いて、A席に当選した事実を「選ばれた」のだと解釈して喜んだ。
当然、私という人間性を知ったうえで選んでもらえたとか引き寄せたとか、そんなことを言うつもりはさらさら無い。たまたまだ。
それでも、BMSGひいてはSKY-HIの理念や信念に賛同し、力になりたい・盛り立てたいと思っている自分からすれば、偶然であっても選ばれたことは光栄だと思った。

そんな私のライブレポート……になる予定だったのだが、失敗した。
BMSGフェス2023に参戦し、感動して筆を取った結果、ド長文のラブレターが出来上がった。


プロローグ

BMSGという音楽事務所に所属するアーティストが一堂に会する、その名もズバリBMSGフェス。2年目の開催である今年、フェスの所要時間は初日公演から4時間半を超えた。

昔から運動神経は絶望的で、学生時代は万年文化部、現在は日がなデスクワーク。自宅が職場で通勤もなし、好きな休日の過ごし方は猫を撫でること、年齢も30を超え、こんな私に体力など、どう考えてもあるはずがない。

爆音で音楽が流れると踊ってしまう。これは、インドアな自分に似つかわしくない特性だ。
長時間に渡るこのフェスで、計算も無しにただ音に身を任せてしまったら、一番盛り上がるであろう終盤になって体力が残っていない!なんて事態になりかねない。自分の貧弱な体力のことを考慮し、「ペース配分に気を使わなくてはならない」と何度も自分に言い聞かせてフェスに臨んだ。

しかし私は4時間半の長丁場の間で、MC中の10分だかそれぐらいとトイレ以外で、腰を下ろすことはなかった。それどころかずっと手を振り上げ、体を上下左右に揺さぶって暴れていた。

楽しい。

もう、それだけだった。
体の中まで響き渡る音圧。ビート、歌声。途中でふと周りの客席を見渡せば、みな同様に音に身を任せていて、その空気感が幸せで涙が出た。
これを求めてたんだなあ、と感慨に浸った。

翌朝。ホテルのベッドの上でふと時計を見ると、まだ6時ごろだった。目覚めた瞬間から頭は冴えていて、スマホを手にとって一番に私は、BMSGの求人ページを眺めていた。


私の昔話を聞いてほしい

幼少期のダンスフロア

私の幼少期の経験は、人に説明するのが難しい。
大勢の子どもが集まって開催される、自然体験と、教育的要素と、学童保育を合体させたようなプログラムに関わっていた。
例えば夏休み中、県内外から応募してきた見ず知らずの小学生たちが三十数人単身で集まって、1週間ほどの期間中ずっと寝食を共にする。グループ対抗でゲームの得点を競ったりする。
そのゲームというのが、ドッジボールだったりクイズ大会だったりと幾種類もあるのだが、この中にかなり前衛的なものが存在していた。
「ダンステンジク」と名付けられていたそれは、主催者でもある私の父のオリジナルだ。

夜である。携帯の電波も届かないような山間部にある小さな旧校舎の体育館、両端には子供の背丈ほどもあるような本格的なスピーカーが複数置かれている。
かつては教室で教科書とノートを乗っけていたであろう小さな学習机がいくつかステージの脇でコの字型に付き合わせられていて、上にはミキサーとアンプとエフェクター。
ステージの前側にはディスコライトが置かれていて、くるくる回りながら、消灯された室内の床や天井に色鮮やかなおもちゃの宝石をばら撒いているようだ。
本当に小さい校舎だったので、体育館とはいっても普通の教室を2つか3つ合わせたほどの面積しかなかった。天井の高さも、いくらかスケールダウンして想像してもらいたい。ステージも大人の腰より低いぐらいの高さ、頑張れば手を使わずにひょいと上がれるぐらいに描き替えてほしい。

さあ、これを読んでいるあなたの頭の中には今、一体どんなイメージが広がっているだろうか。きっと不思議な光景だと思う。
ここで何が起こるかというと、当然、音楽が流れる。普段通りの声で会話がままならないくらいの音量で。そしてみんな踊る。ダンステンジクの始まりだ。

ダンスの「評価」基準

昨今はダンスブームのようで、ダンプラなんてものがババーンと伸びたりするし、TikTokでバズったりもする。そんな流行りもあって、「ダンス」というとしっかりとしたコレオグラフがあって、ある程度の経験者たちがバキバキに(もしくは小慣れた感じでさらりと)踊っている、きっと多くの人が、そんなものばかり思い浮かべると思う。

「ダンステンジク」にコレオなんて概念はなかった。時代的にも、ダンス習ってます!なんて子は今よりずっと稀だった。
ビンテージな洋楽も流行りの邦楽も混ぜこぜで、ノリやすいBPMの楽曲が次々に流れてくる(選曲、曲順、繋ぎは全てDJ父だ)。小さな体育館のフロアに散らばった子供たちは、音に合わせて踊り出す。
絶え間なく飛び跳ねている子、サイドステップを続けながら好きなように手を振り回している子、膝だけでダウンのリズムを刻んでいる子、恥ずかしそうに手拍子をしている子。バラバラで、ぐちゃぐちゃで、爆発的な空間がすぐにできあがる。

審査員となるスタッフたちは、3本入り105円で売られていたサイリウムの細いブレスレットをたくさん握っている。
踊り方に正解なんてものはない。エネルギーが溢れていて楽しそうな子から順に、光るブレスレットが手渡されていく。ブレスレットは1本300ポイントで、それをもらった者はステージに上がって踊る権利を得る、というシステムになっていた。

私は中学生時分からスタッフ側の人間として携わっていて、審査員も務めた。見るからに元気はつらつな子にブレスレットを渡すのはもちろんだが、それだけにとどまらない。少し拗ねたような表情をして、隅の方に固まりながら手拍子をしている女子数人の心の中に、くすぶっている火種を見つけることも大事な仕事だった。
私が見定めてブレスレットを渡すと、ステージに上がった途端に音を立てて殻が破れて、別人のように楽しそうに踊り出す。そんな子がたいてい毎回いるものだった。

「あのエネルギーは普段どこにあるのか」

父がよく言っていた言葉だ。1日に何時間も教室で座って勉強して、家に帰ったって踊れるわけではない。確かに存在しているあのエネルギーは、普段どこで発散されているのか(いや、されていないだろう)、という意味である。
今考えてみると、当時の私はこの言葉の真意をそこまで深く理解していなかったと思う。
ほとんど物心ついた頃ぐらいからこの特殊なプログラムのある環境で育ってきた側の人間なので、当時(中高生ぐらい)の私は、小学生たちが踊る姿を見ても父のようには思わなかったというか、「あ〜今日も盛り上がった!」ぐらいの感じだった。私にとってダンステンジクは日常と地続きでもあったし、疑問を抱きにくかった。

「みんな同じように手を振っていて、がっかり」

SOUL'd OUTというヒップホップグループが大好きだった。10代の頃の私にとって音楽の中心はSOUL'd OUT、これは絶対的で揺るがなかった。
SOUL'd OUTのことを知ったのは、父親がダンステンジクで流していたことがきっかけだった。

自分でライブDVDを購入して見ていたある日、後ろから覗いていた父が静かに、決して嫌味なくこぼした。

「みーんな同じように手を振っててがっかりだなぁ」

と。下の方に映り込む客席のシルエットを見て、そう言った。
いつだって淡々と論理的にものを述べる性格の父だったので、繰り返すが嫌味はない。ひとつの人の感想だと思って何気なく聞いていたが、そのときの私に真意は理解できなかった。

BMSGに出逢い、忘れていた熱を取り戻す

音楽とのすれ違い

SOUL'd OUTのライブというのは、オールスタンディングのライブハウスで行われる。座席がない。勢いと根性があれば最前列近くにまで行くことができるし、そのつもりがなくても流されて、気付いた頃には最初の立ち位置とは全く違う場所にいる。基本ずっとハンズアップだし、コール&レスポンスもある。踊って飛び跳ねて、翌日は筋肉痛。そういう界隈である。

SOUL'd OUT以降、私の音楽経歴は少しジャンルを変える。
まずは東方神起から入ってSHINeeに落ち着く。K-POPだ。こちらのライブはアリーナ〜ドームクラスで座席あり、そして大きな特徴として「ペンライト」という存在が登場してくる。
初めてアリーナのライブに行った時は、座席が決まっているのが不思議な感覚だったし、隣人との隙間に風が吹き抜けるようで落ち着かなかった。

その次に私はジャニオタとなる。ペンライトに加えてさらに、うちわと双眼鏡が持ち物に加わった。
後ろの人の視界を遮ることは決して許されないため、うちわは胸の高さより上に上げてはいけない。

どの時期もそれぞれ幸せではあった。しかしこう改めて書き出してみてようやく、何かが抑圧されていたこともよく分かる。
私は自分でも気付かないうちに、音楽の中でフラストレーションを溜めていた。

音楽との再会

2023年初頭、BE:FIRSTのワンマンツアー。私は約10年ぶりに手ぶらで音楽ライブに参戦することとなった。
ツアーグッズにペンライトがあったが、買わなかった。奇しくも一緒に参戦した友人は、昔一緒にSOUL'd OUTを応援していた仲間で、示し合わせたわけではないが彼女もペンライトは持っていなかった。

楽しかった。

そして話はようやく冒頭に繋がる。今回のBMSGフェス2023。
前日にフェス公式で「公演時間は3時間半〜4時間程度」と発表があったためにそれを目安にしていたら、結果それよりずっと長かったわけで、ライブの途中で「これはまだ終わらないぞ」と気付いた頃にはもう、盛り上がる以外の選択肢がないようなラストスパートのセクションに入っていて、もったいなくて休んでなどいられなかった。

楽しさに理性を失って冒頭から少し飛ばし過ぎていたので、絶対これ無茶しすぎだろ、と頭の中に不安はあった。冒頭に書いた通り、私は普段運動などしない。体力があるわけがない。
同時に困惑もしていた。3時間を過ぎても、全くと言っていいほど疲れを感じなかった。何故だ。最初からほとんど絶え間なく、腕と背中と足の筋肉を酷使して暴れているのに。このエネルギーは体のどこから湧いて出ているのだろう。

音楽を受け取って、自然と体が動く。呼吸をするのと同じくらい当たり前に思えた。
楽しかった。涙が出た。

翌朝

アドレナリンに痛みを麻痺させる作用があることぐらいは知っている。疲れも痛みも感じないからと踊り続けることで、本当は悲鳴を上げているはずの体のどこかを決定的に傷めつけてしまう可能性を少しだけ危惧した。

翌朝は疲れて目が開かないだろうし、何時間もいつもと違う動きをしたとあれば、きっと全身筋肉痛にもなるはずだった。より長く寝て少しでも回復できるようにと、チェックアウトの時間が遅いホテルを選んであった。

AM6:00、すっきりと目覚めた。体はどこも痛くない。
とうとう年か、遅れてやってくるようになったか、と覚悟した筋肉痛は、それから何日待てども気配すらなかった。

音楽の楽しみ方、ダンスの楽しみ方

父の言葉を思い出す。
「みーんな同じように手を振っててがっかりだなぁ」
そういうことだったんだな、と急に腹落ちした。

SOUL'd OUTは、「この曲は縦振り、この曲は横振り」「横振りは左から」「ここで止まる」「ここでピース」みたいなふうに、手の振り方に暗黙の決まりがあった。特定のアーティストに人生で初めてハマった当時の私にとっては、そういうローカルルールを全部知っていて参加するのは満足感もあって楽しかったし、会場の一体感があって好きだったので、これの何が残念なんだろうと思っていた。

「決まり」が増えるほどに、自由度は下がる。「この曲ではどんな動きをするんだっけ」とか、「次はどこでジャンプするんだっけ」とか、思考力を何かに割くほどに、手放しで音楽に浸ることが難しくなっていく。
ボーイズグループ界隈の話でいうと、うちわの掲示、ペンラの色、振り方、双眼鏡を覗くタイミング、撮影の構図など、音楽以外に考えることが多いライブは珍しくない。

音楽の楽しみ方に正解は無いが、手放しの楽しさを父は知っていたということだ。もちろん、私も知っている。

あなたと一緒に日本を踊らせたい

D.U.N.K.という理念に引き寄せられて

私がSKY-HIという人間に決定的に惹かれたのは、2023年に入ってからだ。
BE:FIRSTの存在を通してSKY-HI(社長)の姿はよく見ていたし、オーディションを通じてBMSG設立の動機などもある程度は理解し、賛同していた。各所で語られる思いの端々にシンパシーのようなものも元々感じていた。けれど。
「日本を踊らせる」
カメラの前で語られたその彼の言葉を聞いたとき、衝撃を受けたし武者震いした。

リスナーが踊り出してしまうのが音楽の理想だと、彼は語っていた。「ダンスとは練習してやるもの、間違えずにやるもの、振り付け=ダンスっていうふうにになっちゃってる」ことに、違和感を感じていた。音楽かけたら、子供って動き出すじゃん、本来それがダンスだと思う、と。踊っちゃったらもうそれがダンスだ、と。

全部、私の言葉かと思った。

上記は、D.U.N.K.(DANCE UNIVERSE NEVER KILLED)と名付けられたプロジェクト始動にあたって語られたものだ。
その信念に引き寄せられ、しばらく考えた結果、私はBMSGのArchitect会員(月額5000円とお安くはないオンラインサロンだ)となった。「日本に新しいシーンを作る」と言ったSKY-HIを支援するために手っ取り早く今すぐ出来ることとして、金を払おうと思ったからだ。
私は、日本を踊らせる一助となりたい。受動的ばかりではなく能動的に。


日本を踊らせる、アクセスポイントになる

公演から一夜、目覚めた瞬間に思った。というか、寝ている間からすでに夢の中で考えていた。BMSGが牽引してくれるであろう、これからの音楽の時代のことを。
どうにかしてBMSGを、SKY-HIをもっと支えられないだろうか、と少し考えて、これはもうBMSGの門戸を叩くのが一番ではないかとすぐに思い至った。

堂々と自慢するが、私は、登録者万人越えのYouTubeチャンネルの管理をしているし、企業としてSNS運用もしている。Premiere Proでの動画編集、Illustratorでのデザイン業務もできるし、HTMLやCSSの基礎知識もある。文章力だって少しはあるし、タイピングもそこそこ速い。最小単位ながらも経営者の視点も持ち合わせている。
応募すれば一応、書類ぐらいは見てもらえそうなスペックあるんじゃないか、なんて気もした。妄言である。

公開されている求人ページを改めてじっくりと読みながら、しかし、と思考を巡らせる。信頼できる方の近くで一緒に、というのは分かりやすいし夢もある。しかし、安易すぎるかもしれないな、と、結局思いとどまった。

新たなシーンやカルチャーが中心から波及していくものならば、端に到達するまでに時差はある。では例えば、端の方にアクセスポイントがあったらどうだろう。より一層勢いをつけて盛り上げるための一助になれやしまいか。
具体的に何をどうする、という案は今のところ浮かんでいないけれど、端だからこそ、何らかの形で、そういった役割を担える可能性があるのではないかと考えている。

「世界中の音楽を、どこにいても瞬間的に受け取れるようになったこの時代に」とSKY-HIも言うように、このインターネット全盛時代に「端」とは何だという人もいるかもしれないが、1〜2時間圏内にライブ会場がない、音楽イベントがない、東京や大阪と比べて日常で音楽に触れる機会の少ない地域というのは事実存在している。そして私は今、そういう場所にいる。

…と言いながら実際に何かをするかどうかは分からないが、私は夢を見ながらわくわくする楽しみをもらった。これは確かな事実だ。

伝えたかった思い

この「ラブレター」をしたためた動機

なぜこんな記事を長々と書いたかというと、私は日髙さんという人を見つけて嬉しかった、ということを伝えたかったからである。

上の方に書いたとおり、私には異質な経験がある。「校庭の遊具でよく鬼ごっこしたんだよね」「私も!」とはわけが違う。「ディスコライトが煌めく体育館で爆音の中踊りまくったんだよね」に「私も!」と言ってくれる人なんて、多分そうそういない。
環境が特殊であるがゆえに、そこを基にして生まれた価値観はなかなか誰とでも共有できるものではない。しかし、全く違う道を歩んできたはずの他人が語る言葉が、こんなにも自分の思いに近いものだなんてことが、有り得るのだなと感動した。

それから、フツーに、ありがとうと伝えたかった。
BMSGフェス、最高だった。多分今までの人生で一番最高なライブだった。あまりにも最高すぎるということ以外よく分からなくて、自分が感動しているんだってことにすら数日間気付かなかった。
そんな空間を作ってくれて本当にありがとうございました。私は幸せです。

同志はここにいる

あと、フェス会場周辺でスタッフさんが「なぜBMSGが好きなのか、どこが好きで、何を得たのか」みたいな詳細な聞き込みを行なっているらしいという情報を得たので、資料として読んでいただけるのではないかと思ったから書いた、というのも実はちょっとある。

SKY-HIの周囲には、きっとたくさんの仲間がいると思う。志や信念を同じくする仲間がたくさん。
でもさらに、日本中に、あなたが・あなたにまだ出会っていない同志がきっと沢山いる。
それはSKY-HI-だって想定はしているだろう。しかしこうして一人でも輪郭をくっきりと現すことで、想定の中の群像がただのぼんやりした塊ではなく、1人1人がエネルギーを持った個の集まりとして見えやすくなるのではないだろうか。そう思った。
回りくどい書き方したけど、私は勝手にあなたを同志だと思ってるぞ!関西の片田舎に確かに存在しているぞ!という話。

真面目に、具体的に、「幼少期にダンステンジクを経験している20代〜30代の人間」が、今日本のどこかに少なくとも数百人は散らばって存在している。
SKY-HIが思い描く世界を、同じように望み愛する人間は、きっとたくさんいる。

エピローグ:A席より

自分の座席に着いた瞬間に、思わず「壁!」と声が出て、同時に笑ってしまった。人生で初めて見る景色が広がっていたからだった。
ステージの横幅を100%とした場合、70%ぐらいは人の背丈以上の壁、25%ぐらいは腰ぐらいの高さの壁。そして単管だらけの無骨な障害物の隙間から、反対側に並ぶ客席の様子が見えた。
そう、私の席はファンの中で物議を醸した"あの"A席、ステージの背面だ。

これだけ感動したと言っておきながら、私には演者の表情やダンス、ステージ上の演出の記憶はほぼ無い。物理的に見えていないのだから当然だ。

私の脳裏に残っている映像は、客席のみんなの姿だ。フェスの最中に私は何度も横を見たり、後ろを振り返ったり、ステージ越しに見える対岸の客席を眺めたりしていた。みんないい顔で、楽しそうに自由に音に乗っていた。この空気が私にとってはすごく幸せだった。

それから、「音」だ。ライブの生音のエネルギーは凄まじい。どれほど高品質の機材でレコーディングをして、高級なヘッドホンで聴いたとしても、デジタルに変換しきれないものが生歌にはある。それを自分の鼓膜で捉えるのがライブの醍醐味といっても過言ではない。
ことBMSGとなれば全員が歌唱力おばけの音楽人であり、計り知れない感動をもたらしてくれる。聴覚情報だけにでも進んで対価を支払いたいと思う。

私が元々そういう価値観を持っていたことも相まって、不満足感なんて微塵もなかった。どころか、人生で一番のライブだった、と胸を張って言える。
しかし多くの方がご存知の通り、この「壁」の存在によって悲しさを心に抱きながら4時間半以上を過ごし、そのまま会場を後にした人がいたのも事実だった。私の記憶にはっきりと残っているあの弾けるような笑顔の裏で、やるせない気持ちを必死に押し殺していた人たちがいたのだと思うと、どうしたって胸が痛む。できれば音楽は楽しいものであってほしい。

BMSGは様々な音楽の在り方を肯定してくれるし、様々な音楽の楽しみ方も肯定してくれるだろう。
もし今後もこの背面A席が存在するBMSGのライブがあるなら、私はまた進んでここに入りたいと思うし、似た者が集まってくれたら幸せだと思う。

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