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三宅健のうちわ片手に井ノ原快彦に落ちた話

井ノ原さんのことを初めて意識した瞬間のことは、よく覚えている。

当然これは「井ノ原快彦という人を知った瞬間」ではなく、「井ノ原快彦って良くない?と気付いた瞬間」という意味である。


20代後半のある日、私は突然三宅健のことを好きになった。それまでジャニーズにほとんど縁の無かった私の中では、これは革命的な出来事だった。
それ以降、彼が出ているとなれば舞台に足を運び、ラジオを聞き、音楽番組を見るようになった。

皆様ご存知の通り、彼はV6のメンバーである(これを書いている時点ではもう過去形にするのが正しいのだが)。つまり彼を見るために音楽番組を見るということはV6を見るということとニアリーイコールである。「ニアリー」が付く意味というのは、オタクならば分かる人もいるだろう、自分の推しばっかり見すぎて、横にいる人物のことは往々にして目に入っていないからだ。
つまり、V6を見ているようで三宅健しか目に入っていないのである。

ある冬のMステだか何かだったと思う(確認したらFNSだった)。そこでV6はDarlingと、50枚目のシングルでありアニメワンピースの主題歌になっていたSuper Powersを披露した。
この時の三宅健のビジュアルは、金髪の前髪あり。奇跡のおじさん三宅健のことなので「盛れてない」なんてことは決してないのだが、黒髪テクノカットで落ちた私からすると、この日のビジュアルはベストではなかった。きっと、そのせいだったのかもしれない。目が泳いだ。

その日、私の視線と心を奪い去っていったのは井ノ原快彦だった。ゆるふわパーマの間から少しだけおでこを覗かせたヘアスタイルに、丈の長い純白の衣装。
その日、興奮に任せて撮影したテレビ画面に映るビジュアル大爆発の井ノ原快彦が、私のスマホのロック画面になった。

予兆はあった、という前振りである。


そしてそれから3年間、私はやはり三宅担として生き続けてきた。いのけん2ショットの公式写真を少しだけ買い漁ったりしたこともあったが、それくらいだった。

V6は最後のツアーを迎えた。奇跡的に復活当選を果たした私は、サンドーム福井で、満を持しての初生V6に会うことになるのだが、結果的にこれが決定打となった。

発券したチケットと座席表を見比べて、あまりの神席にもうすぐひっくり返るところだった。最初で最後のV6、そしてアイドル三宅健を目に焼き付けたいと思った。ペンライトと健くんのうちわをそれぞれ右手と左手に握りしめてライブに臨んだ。
しっとりというか厳かとさえも言える楽曲「雨」とともに、キラキラと上品にラメが輝くストライプ柄の黒スーツに身を包んだ彼らがステージ上へと姿を見せる。そこからTL、Hart Beat Groovin'と立て続けに大好きなダンスナンバーが続き、感激で涙が止まらない。歪む視界の中、私の視線を繋ぎ止めて離さなかったのは、井ノ原快彦だった。
ふんわりと遊ばせた毛先、あの日と同じように少しだけ覗くおでこ、ほんのり茶色がかった髪色、すらりと細い体のライン、長い手足を巧みに使ったしなやかでメリハリの効いたダンス。彼から振り撒かれる色気に眩暈がした。


言い訳をさせて欲しい。
僅か3メートルほどの至近距離で三宅健がこちらを見たとき、あまりのかっこよさに身体機能も心臓も一度停止した。アイドル三宅健の破壊力はすごかった。
非常に重たい話をすると、私は三宅健に命を救われたと思っている。
似たような経緯を持つオタクも世の中にはそこそこの数存在していると思っているのだが、端的に言えば、病んでいる時に彼の存在によって光が差したのだ。
言うなれば三宅健は私にとって恩人であり、こんなことを言うと健くんには「僕はあなたが思ってるような崇高な人間じゃありません」って鼻で笑われるだろうが、心持ちとしては私は三宅健の従者のような感じだ。主君様は最高にイケておいでです。

なんて言いながらこの日、井ノ原さんのトロッコを目で追っていて、すぐ真後ろの三宅健に気付かなかったことが2回以上はあった。

言い訳をさせて欲しい。何か、言い訳をさせて欲しい。


ラストライブ翌日のテレビや新聞にも掲載されたので見た人も多いと思うが、最後の衣装は花柄のスーツだった。メンバーカラーと対応しているわけではなくそれぞれに似合う色調のセットアップだったが、井ノ原さんはメンバーカラーでもあるグリーン。そして、似合うと評判が良いのだろう、近年彼によく充てがわれてきたように、これもまた片側がスカートのように丈を長く伸ばされたデザインジャケットだった。

このスタイリングが特別私の心に刺さったわけではない。しかしこの衣装がトドメになった。

幕張メッセのラストライブでは、各種メディアに載るということもあり正装だったのだろう、最後の最後まで全員セットアップのスーツのままだった。
しかし私が参戦した福井公演では、アンコールで再登場したとき彼らはジャケットを脱いでいた。井ノ原さんは裾の長いジャケットを脱ぎ去ったうえに、ネクタイを外し、シャツをウエストから出して着崩して、私の欲望が見せた幻でなければ、汗染みなんていうスパイスまで加えられていたような気がする。

簡潔に申し上げれば、ドストライクだった。

彼が目の前を歩いていくその数秒間、息が止まった。激しく動悸がした。そして私はうちわを裏向けた。君主様、ごめんなさい。


V6が解散して良かったことがたった一つだけある。
ジャニーズグループのファンクラブに入っている人なら分かると思うが、入会の際に「好きなアーティスト」を選ばなくてはいけないというシステムがある。
当然私はV6のファンクラブには「三宅健」名義で籍を置いていたわけだが、このたび三宅健とトニセンのファンクラブがそれぞれ独立したおかげで、私は正式に「三宅健」と「井ノ原快彦」両方の名義を手に入れることができたのだった。自己満足の話である。

"三宅担"なのか"井ノ原担"なのか、なんて話はどうでもいい。そこに優劣などないし決める必要もない。V6というのは奇跡であり伝説、三宅健は私の主君、井ノ原快彦は性癖、すべて事実である。それだけだ。


あるジャニオタが思いがけず推しを増やすことになった、そんなありふれた事件の話。
最後まで読んでくださってありがとうございました。

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