22歳の僕がまだサンタさんを信じている理由
僕は、サンタさんを信じている。
正確には、現実を知った上で、幻想を見ていた方がいい、と思っているのだ。
なぜか。
それは、当時、僕がわんぱく少年だった小学三年生のクリスマス。
サンタさんが両親であると周りの友達は既に気がついていた。
そこで私は両親に聞いた。「パパとママがサンタさんなの?」と。2人とも「違うよ」と答えた。
きっと子どもに信じていて欲しかったのだろうし、僕には数年の離れた弟が2人いた。
だから、兄である僕が、サンタさんを信じ続けていなければ、弟達は、早々に幻想を打ち砕かれ、現実を知ることになる。それも、幼稚園児、という若さで。
そんなことを僕が当時考えられるはずもなく…。
どうしてもその事実を明るみに出してやろうと企んだ僕は、とんでもないものをプレゼントに頼むことになる。
僕がサンタさんに頼んだもの
僕がサンタさんに頼んだもの、それはタカラトミーの「i-sobot 」だ。
2007年に発売された当初、世界最小の二足歩行ロボットとして脚光を浴びた。
その発売価格はなんと3マン円を超えた。
その前年、発売された任天堂DS liteが16,800円だったことを考えると、とても小学生においそれとあげるなんて出来ないだろう。
と、僕は踏んだ。
つまり、本当にサンタさんがいるのなら、きちんと届けてくれるはずだ。サンタさんが親ならきっと止められるに違いない。
もちろん、ロボットは欲しかった。トイザらスで一目見た時から釘付けだった。そこに嘘はない。
そして、聖夜。
僕は周りの友達が、カードゲームやゲームカセットをプレゼントでもらう傍ら、僕は1人、世界最小の二足歩行ロボットを手にした。
+αの両親対策
ちなみに、うちは、ベランダからプレゼントを空に向かってお願いするのだが、このとき、わざと直前まで両親に聞こえないよう小声でボヤいた。
両親は僕にしつこく聞いた。僕はそれに対してサンタさんにしか教えないと言い返し続けた。
でも、直前になって、やっぱり来ないのは困るなと思い、親に教えた。止められた。当日まで永遠に止められ続けた。
でも、来た。
そう、僕が当時、死力を尽くして戦った真実を明かそうとする戦争は、i-sobot という原爆により幕を閉じた。
だからこそ、信じる
このとき僕は、気付いた。親がサンタさんであるという事実に。というか確信した。
僕は、親を負かしたかった、と今になって思う。でも、それは失敗に終わった。
でも、プレゼントを貰ったときは、そんなことより、純粋な嬉しさと、両親の気概に感動した。
事実を知ったところで、自分の納得のいく形に論破したところで、そこに意味はなかった。
ただ、もちろん真実を知ることは大切なことだ。だけど、真実を確信に変える行為に意味がないこともあるのだ。無益な論破もこれにあたる。
意味が無いどころか、いづれその選択に後ろめたさを感じてしまうことすらある。
欲しいものが来た嬉しさと、高額なものを頼んでしまった後ろめたさは確かに共存していた。
だから僕は、現実を知った上で、幻想みていることにした。
楽しんでほしい、笑ってほしい、そんな願いのこもったサンタさんからのプレゼント。
小学3年の冬、僕はサンタさんを信じ続けると固く心に誓った。