『ブレイド』三部作を観た。きみも観ろ。

 昨今世間でにわかに大流行中でみんな(この場合における「みんな」とは小学三年生が持ち出す「みんな買ってもらってるもん!」と同程度の範囲しか示さず、つまり精々四五人程度である)観ているので『ブレイド』三部作を通して観た。とても面白かったです。

画像1

 言わずもがな『ブレイド』三部作とは吸血鬼が暗躍するアメリカ国の都市部でウェズリー・スナイプス演じる超格好いい黒尽くめのタフガイが卓越したカラテや取っ手から人間の腕を破壊する棘が飛び出すサムライ・ソード、あと超ナウい手裏剣や極細ワイヤーなどでウルトラスタイリッシュかつスーパークールに悪しき眷属どもを一網打尽にするハイパーにゴキゲンなシリーズである。

 今ほどマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)が勃興していない時期の映画なので(「1」は98年)、割と全体的に大味なイメージがあった。が、そのあたりの時代性を踏まえたうえで今回十ン年ぶりくらいに観返してみたのだけど存外にスタイリッシュさが鼻につかなかったかというか、特に1に関していえば「格好良さ重点主義」が突き抜け過ぎていて今でもかなり楽しく観ることが出来た。

 映画単作でいえばギレルモ・デル・トロ監督がメガホンをとった「2」が都市吸血鬼伝奇譚として一番設定やストーリーに厚みがあるし今みると思いっきりデルトロ監督お得意のうじょうじょしたクリーチャーやモツの造形を楽しめたり若き日のノーマン・リーダスが良い感じにしょっぱい役をやっていたりドニー・イェン師が振り付けた鈍重な殺人アクションやしれっとマイノリティに対する憐憫に満ちたデルトロ節が炸裂していたりしていてなにかと心憎く、「オタクが嬉しくなったときに押すボタン」をいっぱい連打できてかなり楽しい感じだったのだけど、ただ意外と私的には三作の中では「1」が一番好ましく思えたかも知れない。
 というのは都市の暗部に根付き、秘密裏に眷属の領土を維持しようと画策したり四苦八苦したりする吸血鬼たちの都市生活が一番精到に描かれていたのが「1」だからで、かつ90年代ふうのアーバンスタイルな空気感の中にほのかに80年代っぽい空気が残っていて(『ブロブ』とか『ウォーゲーム』とか、ああいう空気感ね/余談だけど、血清を打ち込まれてぶくぶくに膨らんで破裂する吸血鬼たちの描写はたぶんカーペンターの『ゴーストハンターズ』が元ネタですね)、そこにマトリックスで爆発的に流行する直前の「フワ~ッ」としない、さりげないワイヤーアクションを携えたブレイドおじさんがキメッキメに必要以上に見栄を切りながらじゃあくな吸血鬼たちをばったばったとなぎ倒していくので、たまらねぇ~~~。
 幼少期の夏は毎年クーラーの効いた部屋で苦手なコーラ(基本的に炭酸がダメなので。痛いから)片手に土曜のゴールデン洋画劇場で息を殺して往年の名作ホラー映画(『グレムリン』とかね)を観ていたという原体験に近い記憶があり、ブレイド1はその辺りにあるぼくの原始的なスイッチを連打してくる感があった。

 ところで最終作の「3」ですが、そもそも観たことあるのかないのか自分でもひどく曖昧だったのだけど今回改めてちゃんと視聴しても結局以前に観たことあるのかないのか不明瞭なままで、まだ観終わってから二三日しか経っていないのに既に記憶がぼんやりし始めているので相当だと思う。
「3」は取りも直さずラスボス氏のヴィジュアルが物凄く、「原初のヴァンパイア」として鳴り物入りで登場した最強最悪の吸血始祖の物理的なスケール感と全身から漂う覇気のコンパクトさにまず肝をつぶし、それがそのまま赤いインナーにノースリーブのベスト状ボディアーマーを合わせた結果どうみても「工事現場によくいるおじさん」にしか見えなくなったブレイド氏が激しく切り結ぶラストバトルが凄すぎるので、これは是非とも皆さんにも観て欲しい。すごいので。

 斯様な次第で、「黒人ヒーロー」映画としてあまりに気合が入り過ぎていた『ブラックパンサー』が単作映画として上映された2018年まで、多感な黒人映画少年にとってブレイドは大きな精神的支柱のひとつだったのだろうな……と勝手に勘繰って勝手に暖かな気持ちになっている。

いいなと思ったら応援しよう!