コロナ禍を見送りながら
桜が奇麗に咲き乱れる季節になりました。
毎年この時分になるとアコースティックギターを担いで適当に公園などで弾き散らして通りすがりの人々やご老体に絡まれてすこし嫌な顔をするという謎ムーブを繰り返していたのだけど、このご時世だとその手の荒行も自粛せざるを得ない(平常時でも斯様な異常行動はやめろ)。
Fukuoka住まいなので、どことなく遠巻きに眺めていてコロナ禍ですが日に日にその立体感を増していき、気がつけば緊急事態宣言云々で少なからずぼく自身も影響を受けることになった。明日から露骨に生活リズムが変わってしまうのでちゃんと順応できるかしら。
ほんの一ヵ月くらい前までは路傍に溢れるマスクで半顔を覆い隠した人々を見遣りながら「『天冥の標』の二巻で"殺人ウイルスが蔓延し切った日本社会では国民がマスクをつけて外出するのが当たり前になった"という読んだ当時はあまりピンとこなかった描写が当たり前の景観になるなんてなぁ」なぞとどこかすっとぼけた雑感を抱いたり、半月くらい前に平日の日中に所用があって中規模のスーパーマーケットに立ち寄ったとき、そこでみたフードコートで屯する老人の群れ群れとノートや参考書を突き合わせる私服姿の中高生をみて「こういうのも今だけの光景なんだろうな」なんて素朴に感じてみたり、昨年末から今年の年始にかけて複数人の知人の職場で正体不明の熱病が蔓延したという話をきいて「Fukuokaではすでにコロナが蔓延しきっていて、もうピークアウトを迎えているのかもね」と笑い合ったりしている間にあれよあれよという間に近隣でも感染報告があがり始めて気がつけば比較的ヘヴィネスっぽい事態に放り込まれていて「わぁ」という感じです。うわぁ。
まぁ至極月並みな感じですけど、参加する予定だったイベントだとかライブだとか友人間での集まりだとかが次から次へと自粛/延期/中止に追い込まれており、というかそもそも二ヵ月くらいまったく遊びに行けていない日々が続いていたので、エッ?この生活が少なくともあと一ヵ月以上続くの?というささやかな動揺もある。や、もとからさして出歩かないし趣味も個人で完結するものばかりなのでまぁそれなりに上手いことやり過ごせるだろうけど、それでも単純に「日常に与した選択肢が奪われていく」というのは少なからず気が塞ぐ部分もあり、日々は圧迫される。
いつか遠巻きに眺めていたはずのものが人生の内側へと着実に押し入ってきて、それはいつの日か取り返しがつかなくなるだろうと確約されている過去の時間を強烈に想起させることになる。そんな予感を齎している。
なんて、考えてばかりだと頭がおかしくなって死ぬので、少しでも日々を健やかに過ごすためにギターを弾いたり詩吟を詠んだりしてなんとかやり過ごしていきたいですね。
とにかく今は水族館で魚とペンギンをみたい。