民謡×なむあみだ仏っ!「民謡仏」二次創作アーカイブ
これはなむあみだ仏っ!と民謡にドハマりしたオタクが作った、2020年8月10日から7日間Twitterで公開した個人の二次創作企画をアーカイブ化したものです。
「民謡仏」第一回目は佐賀県の「面浮立」と鬼さん達。自分が聞いた面浮立の唄は三波春夫さんvar.のやつなんですが、これがもう本当にむちゃくちゃにカッコ良い。たぶん七五調で構成されてると思うんですけど、すごいテンポがキリッとしてて、勇壮というか、聞けば体が動く感じのノリの良さがすごい。そういう本能的に、活発に「血が騒ぐ」感じの民謡なのが、伝説の物語としてもノリとしても、とてもポジティブな「鬼」感があるのがものすごく好きです。
鬼って基本は災厄的なイメージがついて回るけど、九州で言えば国東の修正鬼会とか、竹崎の鬼祭のような十二ヶ月を一にRe.スタートするための重要な神事や法事に必要なものとして登場する存在でもある。ポジティブにもネガティブにも振り切れる、エネルギッシュでハイリスク・ハイリターン的な存在だっていう感覚が自分はめちゃくちゃ好きです。羅刹くん然り散脂さん然り、夜叉族の忘年会然りですが「鬼が動けば何かが起こる」みたいな感覚とか、劣勢を優勢に白を黒にする、そういうものすごいエネルギーのいるものに「鬼」がいるというのは、結構昔から土台のある感覚なんだろうなと。
自分にとってなむあみの鬼さんというのは、そういうとにかくエネルギッシュな存在のイメージの延長におられる ということで描きました。
「民謡仏」第二回目は八重山の「弥勒節」と弥勒くん。弥勒節は初めて聞いて以来、ずっと大好きな民謡の一つです。歌詞が本当に素晴らしい。「みろくの世」というのがどういうものなのかということを、ここまで生活に密着したパーソナルな内容として展開されているのがもう本当にめちゃくちゃたまらないです。
ミルク神は弥勒仏の信仰上からも来訪性がものすごく高いので、唄も来訪する地域によってそれぞれ特徴があるのもとても楽しい部分だと思います。八重山民謡としての弥勒節もあるし、自分の場合は縁あって西表島の節祭(シチ)の弥勒節を聞いたことがありました。沖縄本島では弥勒迎え(ミルクウンケー)の神事を唄う「赤田首里殿内」が弥勒節にあたります。そしてそのどれもが、ミルク神が来るということが幸せの象徴であることを唄います。自分はなむあみの弥勒くんの、お釈迦さまを尊敬しつつ背伸びをする感じや責任感の強さ、誇り高さはこの切実な幸福を願う信仰の裏打ちがあるから設定し得るものだと思っています。
沖縄や八重山の他にも「みろく踊り」「ミノコ踊り」「みろく囃子」「鹿島踊り」が弥勒仏の来訪に関する芸能で、主に海沿いに分布しています。こういう踊りがメインの芸能もあります。弥勒くんは日本の海のいろんなとこに来たりしているのです。なむあみはミルク神がとても好きだったようで何度もシナリオ化されていたことが、自分が、何があってもこのゲームについていこうと決めたきっかけだったので弥勒節はとても思い入れの強い民謡です。是非声に出して歌ってみて下さい。
「民謡仏」第三回は「参拝場所づくし」民謡×なむあみだ仏っ!で何かやってみようと思ったきっかけになった唄です。この数え歌を初めて聞いたのは岐阜県郡上は白鳥の「神代」という盆唄ででした。紹介にも描きましたが、「一にゃきのとの大日如来」から始まり十までに各地の有名な神仏を参拝しまくる数え歌なんですけど、いやもうほんとこのリリック控えめに言っても最高ではないでしょうか。韻を踏むのがうますぎてたまらん。
先頭の「きのとの大日如来」についてですが、こちらは新潟の乙宝寺の大日尊のことを指しておられます。「乙」を「きのと」呼びして、きのとの大日如来。かつては「きのと詣り」と呼び名がつくほどのさかんに詣でられたお寺さんでした。今よりも、もっと「参拝」という行動が生活の中の娯楽に直結していた頃を伺える巧みな歌詞だと思います。この数え歌に関してはまだまだ調べてみたいものでありますが、現状知る限りでは岐阜の郡上八幡・白鳥・石徹白、飛んで秋田の飴売り唄、場合によっては富山の新川古代神の中に歌われることがあります。明治からは童歌「一番初めは一の宮」として編纂もされています。
※企画公開時のTwitterでは同時に盆踊りのイメージについてのアンケートをとりました。当時は約700人程度のフォロワーへ向けての質問だったので精度としては微妙ではありますが、回答者のイメージとして盆踊りは高齢の方向けのゆっくりとした踊りというイメージが強いという結果でした。では本当に盆踊りはスローテンポなものであるのかというと決してそれだけではなく、驚くほどBPMが高く躍動感ある盆踊りもあるということを知らない方向けに白鳥の「神代」「世栄」、奥三河津具の「チョイナ節」群馬・栃木の「八木節」などで紹介しました(自分は郡上の春駒がやっとのことで踊れる速さです)
自分は新しい盆踊りも好きですが、伝統的な盆踊りはもっと好きです。単純に楽しさは何百年も引けをとらない娯楽だと感じます。そういう中に仏さんは生きてきたし、生きていると思っています。そして「踊って唄う」という行動自体が仏を讃えることに繋がる盆踊りというものはまことに最高であります。
「民謡仏」第四回は富山の「せり込み蝶六」魚津の夏を彩るめちゃくちゃ粋な民謡です。何事もなければ今年の夏は魚津へ行っていたと思います…。
前回の神代も同じくなのですが、盆唄は仏教の声明や和讃・宗教歌を土台に大衆文化が混ざったものです。中には歌詞や祭具にその名残を強く残している盆唄もあって、せり込み蝶六もとても強く、非常に長い詞章として「二十八日口徳」という真宗由来のものがゴリッと入っています。それがもうとにかくアツい!激アツ詞章!阿弥陀さん好きな方には是非お勧めしたい。昔はこの部分を踊らず「念仏」として手を合わせて聞く方もおられたようです。それくらいこの「二十八日口徳」という詞章はすごい。阿弥陀さんが北陸に暮らす人に与えた影響をせり込み蝶六で垣間見ることできます。
この「二十八日口徳」については保存会の方がフルで説明されているので是非ご参照ください。 二十八日口徳
昔は手踊りのみだったそうですが、現在は提灯や傘、扇子などを使って華やかな町流しをされていて本当にカッコいいそして手踊りだけでもカッコいい。
二十八日口徳は地獄の様子から阿弥陀さんの功徳を話すので、お地蔵さんや閻魔くんを描いてもいいなとも思ったのですが、やはりこの詞章は阿弥陀さんを讃えるためにあるものなので三尊で描きました。自分は本当にこの詞章の部分、大好きです。阿弥陀さんの功徳は、才能や貧富の差は関係ないんだという部分、現代でも心に響きます。
第三回、第四回と盆踊りのイメージとしては変則的なものをプレゼンしましたが、今回の「民謡仏」第五回の市川文殊はおそらく多くの方が思う盆踊りのイメージのテンポであると思います。ゆったりした品のある盆唄で、文殊さんの名前冠する貴重な民謡でもあります。この市川文殊、現在でも大衆盆踊りとして現役なのかがちょっとわからなかったのですが、少なくとも現在踊られている方の踊りではうちわをくるくる回しながら踊られているんですよ。これが盆踊りでもそうであるなら、アクセントとしてのうちわではなく、踊るために必須であるとても珍しい踊りになります。どこか現役で盆に踊られている地区あるのでしょうか、是非見に行きたいです。
ところでこの市川文殊、自分が聞いた市川文殊は歌い出しが「市川文殊 智恵文殊」からだったのですが、基本は「身延の者は 声が良い」から始まるんです。でも個人的な感覚でしたが、「甲州盆唄」という名前がついて、歌い出しが身延のローカルな話題なの、ちょっと違和感があったんですよね。これにはちゃんと理由があって、紹介にも書きましたがそれもそのはずで、この唄自体がもとは身延山の和讃とか宗教歌が盆唄化した「下山甚句」が県西部に伝播したものが「甲州盆唄」なわけです。…これ知った時はマジで大興奮でした。だから身延の話題から始まるんですよ。もとは身延オンリーの唄だったから。下山甚句の方は更にローカルな話題の詞章が130くらいあるそうです。アツい。
「市川文殊」についてですが、この文殊さんは現在でも表門(うわと)神社の「お文殊さん」として現役の文殊さんです。民謡に歌われる仏さんに今でも会いに行けるっていうのはすごくいいですね。盆踊りとうちわ繋がりで普賢さんも一緒に描きました。あの神通絵の普賢さんはいずれ市川文殊に出会うことを予測していたのでしょうか…。
「民謡仏」第六回は石川県の山中節 薬師先生にご登場頂いたのは日本三大民謡と名高い石川の名湯山中温泉を舞台にした「温泉民謡」の山中節。薬師先生縁の温泉です。この民謡は主に山中の芸妓さんが踊られる、ローテンポなお座敷唄的な感じなんですが、まあなんと言っても情緒が素晴らしく良いです。「唄から湯けむりが漂う」という表現がとてもよく似合って心地が良い。自分はラストの二天橋まで送り送られ…の袖引く感じがたまらんです。そういうちょっと艶のあるやりとりを見守っているお薬師さん。こちらも現役の薬師仏です。
山中節も歌詞が何パターンかあってすごい巧みなんですよ。「薬師山から 湯座屋を見れば 獅子が髪結て 身をやつす」というくだりがあるんですが、この「獅子」の部分が「獅子=四×四=十六」の芸妓さんを意味してるというんだからたまげる話です…なんだこのセンス。
この湯けむり漂う民謡の土地を見守る薬師先生のイメージが個人的に心地良くて先生を描きました。※この企画の後、仏さんの名前を冠する温泉ってどれくらいあるんだろと思って調べてみたら結構あって驚きました。そしてやはり薬師先生と観音さまは数としてもダントツで多かったです。
余談ですが山中温泉の近くの薬師仏守護の温泉地「山代温泉」にも「山代大田楽」という素晴らしい民俗芸能があります
「民謡仏」第七回(最終回)は「立つものづくし」 この唄は地域のというよりは「相撲甚句」という相撲の巡業で唄われたものが各地に分布して「どこどこの相撲甚句」として唄われている感じです。この相撲甚句の中に「立つものづくし」という曲目があって「十二ヶ月のうちに立つもの」を正月から師走まで唄います。
これにもやはり歌詞が何パターンかあるようですが、自分が聞いた立つものづくしは以下のもの
正月は門に松が立つ 二月は二の午でのぼり(幟)立つ 三月は雛が立つ 四月8日にゃ釈迦が立つ 五月は鯉が立つ 六月お庭に菖蒲立つ 七月七夕で笹が立つ 八月お盆で市が立つ 九月彼岸で住職立つ 十月は菊で人が立つ 十一月は七五三で子供立つ 十二月は納めの月で紙が立って筆納め で締めくくります。
参拝場所づくしと同じく地域で微妙に歌詞の違いがあって、郡上の「げんげんばらばら」の中でだと、夏は郡上で踊り立つし、秋は埃立つ、納め月の十二月は借金取りが角に立ちます。年越すとチャラになるからね…
今例えば四月をイメージして唄作れってなると、きっと桜だったりお花見だったりになると思うんですけど、民謡の中の「四月」って四月八日の灌仏会…つまりお釈迦さまの誕生日なんですよ。それがとても心動かされました。今よりもっとずっと四月がお釈迦さまであるという共通認識が強い時代があったんだと。それが遊び心たっぷりの巧みなリリックで歌われるんですからたまらんです。民謡の中の仏さんの存在はとても印象深いです。