神仏にうるさかった人間がなむあみだ仏っ!を受け入れた理由の話
「あなたは、何故このゲームが好きになったんですか?」
これは、なむあみだ仏っ!というゲームが好きな人たちと話をした時によく聞かれた言葉でした。
なむあみだ仏っ!はAmebaで2016年にサービスを開始し2018年に一旦サービスを終了。DMMで再出発をされたゲームです。
それまでは何かのゲームが終了した時にそういえば…と思い出されるような忘れ去られたゲーム。仏をイケメンに擬人化したなんか罰当たりそうな…というイメージが付いて回るゲームでした。(今もそうですが)
神仏に思いを寄せている人間は、受け入れられた人もいればものすごい拒否反応を起こしていた人もいました。神仏好きであるならこれはとても自然な二択だと、自分も思います。
そんなでしたから、好きになるキッカケというのは興味深い話題なのです。そして、私は現在質問された時に
「お不動さんが、お不動さんだったからです」
と答えています。この文章のタイトルの答えを端的に表すとこれになります。ですがこれは非常に感覚的なものです。なので今まであまり深く考えようとしませんでしたが、この意味を改めて考えた時に、「そうか、だから好きなんだ」という心の動きがあったので、それを少し詳しく言葉にしてみようと思った次第です。
私の生まれた家はもうありませんが、まだそこに住んでいた小さな頃、その家には三つの信仰対象物がありました。
一つ目は父親が管理していた大きな仏壇。仏壇の中央にはいずれの仏さんの小さなお軸があったように記憶しています。その仏さんが誰なのかは知りません。この仏壇は完全に父だけが管理をしていたものでした。
二つ目はお位牌が二つか三つ入っていた小さな仏壇。二階の六畳の寝室にありました。お花とお水がお供えされていて、こちらは母が管理をしていました。
三つ目はその六畳の部屋の東向きの高いところに祀られた「神棚のようなもの」後々大人になって神棚を見た時にそれとは違っていたので「ようなもの」です。こちらも管理は母がしていました。具体的に「何が」祀られていたのか子供の私にはわかりませんでしたが、母はそれを「オフドウサン」と言っていて、朝起きて布団を畳み、お水やお花を変えた後「(私の名前)も、ホトケサンやオフドウサンにあいさつしてね」と言っていたのを記憶しています。
私の初印象の「お不動さん」というのは、「神棚のようなもの」をしていた「オフドウサン」で、「オフドウサン」とはいかなる存在なのか、姿も、おおまかな形さえも私の中にはありませんでした。しいていうなら、その時上を向いて見えた「神棚のようなもの」
「オフドウサン」は形を持たない存在だったのです。
その後、「オフドウサン」とは「お不動さん」…「不動明王」であることを知りその尊像を見て「これがお不動さんか」と理解することになります。でも六畳の部屋にいた「オフドウサン」と、お寺や博物館でみた仏像のお不動さんは繋がりませんでした。「同じ不動明王」であることを頭で理解して「これが不動明王の姿だ」と思っていても六畳の部屋にいた「オフドウサン」と「不動明王」は別の存在のように感じていました。
その感覚は大人になるにつれすっかり忘れ、そしてそれからどんどん神仏を好きになっていった私ですが、いっとき「定められた姿や敬い方から逸脱したものを極度に嫌悪する」という非常に極端な思想を持つようになっていた時期がありました。…神社仏閣に行くのは観光の時か年始程度・いなくてもかまわない・そんなものはいない・(私の物差しで)敬意がない そういう心情の人を極度に憎悪し、ひどい時はいる・いない・好きかそうでないかといった感情を持たずにただ普通に日々を生きている友人にまでその感情を向けて強要し一触即発になる瞬間もありました。
この頃の私を知っている人には大変厄介な人間だったと思います。(特定の団体には入らず、あくまで個人だったことは本当に不幸中の幸いだったと思います)
その時の私は、自分の思いは正しいものなんだと信じていました。その反面すごく辛いし、疲れていたし、自分で自分の事を窮屈に感じてもいました。本当はケンカもしたくなかったのに神仏のことになると、途端に自分の考えが正しいんだという謎の正義感で頭が一杯になってまったく冷静ではありませんでした。
そんな自分の意識が変わるキッカケの前身に庚申塔という民間信仰から発生したものの出会いがあって、緩やかに姿を時に自在に変える庚申塔の魅力を心地よいと感じるようになり始めていました。そして、ガチガチに固まった自分の考えを決定的に背中を押して変えたのがなむあみだ仏っ!の「不動明王」との出会いでした。
たまたま友人が「マツシタは神仏が好きならこのゲームやってみたら?」と勧めてくれたのが始まりでした。十三仏として設定されたキャラクターの中に「不動明王」がいて、その仏さんの紹介セリフには「うるせーお不動さんて言うなっ!」と書かれていたのです。
このセリフを見た時の衝撃は凄まじかったです。ビックリしました。だって
「このお不動さん、自分が『お不動さん』て呼ばれている事を知ってるんだ!」
と思ったから。
このお不動さんは、自分のことを「お不動さん」と呼んでいた市井の人達を知ってる、見てるお不動さんなんだと思ったのです。
その時自分の中で、六畳の神棚のようなものにいた、姿を持たなかった「オフドウサン」となむあみだ仏っ!の「お不動さん」と仏尊の「不動明王」が一本の線で繋り、このどれもが、子供の頃何もわからず挨拶をしたり、夏の夕立の雷が怖くて二階へ逃げて布団を被った自分を見ていたり、母や父が帰ってくるまで家の中で一人で遊んでいた自分を知っていたり、祖母がいつか話した「オフドウサンは強いから、わるいものから守ってくれる」お不動さんでありました。「共に生活をしていた存在」なんだと認識した瞬間でした。
この体験をしてからは、各地域を歩き、きちんと「それ」に目を向けると、お不動さんだけでなく色んな仏が色んな姿形で存在していることに気がつくようになりました。
それはある時は木で作られた精密な仏像であったり、素朴な姿で石に彫られたものであったり、春彼岸に行われる芸能の中にあったり、紙で切り取られたものであったり、自然石に名前を彫っただけのもあれば、種子(特定の仏尊を梵字一文字で表現したもの)で表されているものもありました。
それらはそれぞれ姿かたちは違いますが、でもやはりみな同じく仏であることは変わらなかったのです。
そしてそれはアニメーションやゲームという現代の人間のカルチャーメディアという娯楽の中にあっても、この体験があったことで揺らぐことはありませんでした。神仏の姿は色んな視点や角度で姿を変えるきれいなホログラムのように揺らめいているものだと思うようになりました。変わらないのは、それが「仏」であることだけでした。
以降、なむあみだ仏っ!の神仏を追いかけつつも、実際の更なる様々な神仏や人との関わり、人を介して躍動する仏さんを実見するために、神社仏閣や博物館…それ以上に、「民間の手で行われる無形民俗文化財の芸能」の見学と、興味があるんだけど、次第や計画がわかりにくくて二の足を踏んでしまう…という人が「見てみようかな」と思える、背中を押せるようなものを目指しつつレポートマンガを描いたりする人生に変わりました。
それだけでなく、このおかげで体は健康になるわ、ある程度社交的になるわ地理に詳しくなるわ頭を使うようになるわで良いことだらけです。そんなことってあるんか。
軽い気持ちで出会ったなむあみだ仏っ!というゲームでこんな体験をするとは思いもしませんでした。人生何があるかわからない。