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【旅記録】知覧特攻平和会館 @鹿児島県南九州市

皆さん、こんにちは。一乃です。

今回は、2021年6月に当時20歳の私が、鹿児島県南九州市にある「知覧特攻平和会館」に行ったときに、感じたことを綴りたいと思います。
それではよろしくお願いします🙇🏻‍♀️


そもそも「特攻」とは何か

 「特攻」とは、「特別攻撃」の略で、第二次世界大戦末期に旧日本軍が採用した、爆弾をたくさん載せた飛行機などで敵の空母や飛行機などに体当たりする攻撃のことです。
 敵に体当たりするのですから、当然飛行機に乗っている人は決して生きて帰ることはできません。また、特攻の成功率は高かったかというとそうではなく、敵の艦砲射撃や飛行機に撃ち落とされ、作戦は失敗に終わることが多かったそうです。そして、特攻が行われることは一度や二度ではなく、終戦まで続き、多くの方が特攻でなくなったそうです。

知覧特攻平和会館に展示品
海底から引き上げられた零戦

戦争と私

 学生時代に学校の授業や私自身の趣味で日本の歴史について勉強したので、戦争でどのようなことが起きたのかなど、歴史的事実は自分なりには理解しています。

 しかし、戦争を経験していない私にとって、戦争は、どこかドラマやアニメの世界のもののようで、今、当たり前に平和に生活しているこの日本で、かつて実際に起きた出来事とは考えられないものでした。


知覧特攻平和会館を訪れて感じたこと

「知覧特攻平和会館」

 「知覧特攻平和会館」では、特攻兵の遺書や遺品、また、戦争関連の映像や戦争経験者のお話の動画を見ることができますりそれらを見た私は、強く胸が締めつけられるような感じがしました。

 出撃の数十分前に撮られた特攻兵の写真には、17歳~22歳の若者が多く写っていました。まさに私の年齢に近い人たちが、戦争時には特攻で命を落としているのです。

 ここを訪れたときに大学生だった私は、趣味の旅行などに没頭し、人生の夏休みとも言われる大学生活を満喫していました。そして、それが当たり前の日常だと思ってました。しかし、戦争があったころはそういったことができるはずがありません。戦争をしていた約80年前は、戦争中心の生活が日常です。贅沢も一切できなかったと思います。

 今、私が旅行したり、美味しいご飯を食べたり、普通の、当たり前の生活ができているのは、今の日本が平和だからできることなんだということに気が付きました。そして、平和な日本で生活できている私は幸せ者なのだと思いました。

 また、この平和な日本が今あるのも、先の戦争で国のため、家族のために戦った英霊のおかげであることは間違いありません。
 知覧特攻平和会館を訪れて、「平和の尊さ」と「英霊への敬意と感謝の気持ち」を感じるとともに、「平和が未来永劫続いて欲しい」と心の底から思いました。

 多くの日本人の方に、この「知覧特攻平和会館」に訪れていただき、平和の尊さについて考えてもらいたいと思います。

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