自然活動で感性を育む その2
自然活動を通して感性を育むことは、自分が育児をする上で大事にしていることのひとつ。
強制的にこうしなければならないとか、こうなってほしいというのは思っていなくて、自然に委ねて、自然の良さを感じて、季節を感じて、伸び伸びと育ってくれたらいいな、と子どもが大きくなる上でベターかなと自分なりに思ったので、チャンスが有ったら機会を増やしている感じではある。
もともと自分が好きで自然の中で一緒に遊びたいというのも、有ったのだけれど。
以前にも書いたが
子どもの興味にまた少し磨きがかかってきたから
面白い
感性云々の前に子どもに見られた変化を大きくまとめて見ようかなと思う。
1.木の実や収穫に対する興味
以前、木の実をと、(採る)と言い始めた時期のことを書いたが植物に対する興味が大きいな、と思う。これは、自然活動をしているからかどうかは分からないが、公園や庭で花や木の実、葉っぱをやたら採りたがる。
園の庭のブルーベリーがまだ青いにも関わらず、採ってから帰るのがルーティン化している。熟したら、どうなることか…。
畑のトマトもまだ青いにも関わらず、やはり採る。熟してからと言うのがまだ理解出来ない。採るのがどうしようもなく楽しいらしい。トマトは残念だけれど、ダメというのを諦める。仕方ない採るのが楽しい、を満たす畑もいいか。
熟すまで待つ楽しみが少しずつ伝わればいいな、と思う。
少し我慢を学ぶのも大事だ。
ジャガイモは作りすぎ、とれすぎだった。子どもにも掘ったイモを箱に入れる作業を手伝ってもらった。
それでも飽きるから、一緒には無理して収穫しなかった。
そんなに楽しんでいないと思っていたのだ。
雨前に腐ると行けないから、私だけで慌てて収穫する。
ある日の帰り道、急に思い出したように「ジャガイモ掘りたい」という。
焦る。だって、もう畑にはジャガイモが無いのだ。
「ごめん」と言ったって、子どもの記憶は2人で掘ったところまでで畑にジャガイモが残っているのだろう。説明しても納得してくれない。
土を掘り返して堀こぼしを探そう、と何とか着地点。イモが有ったから、ご機嫌。良かった。
マイペースな子どもを見ながら、収穫、楽しんでくれてたんだな…と思って目を細める。
ジャガイモは何で出来ているの?とふとした時に言う。イモを植えたでしょう、そこから芽が出てきて大きくなったでしょうと言うが、まぁなかなか難しいみたいで、何度も何度も聞く。他の何で出来ているの?質問攻めも大体植物は一粒の種からだよ。と言うが、どこまで分かってきただろう。
2.いきものに対する興味
最近はカタツムリやチョウなんか少し動きがゆったりのいきものに興味が出てきた
生きるペースが似ているのかもしれない
もしカタツムリと同じペースなら
待って見守るというのはある意味正解?
でんでんむしとカタツムリが一緒とか、教えた事が無いけれど
歌で覚えて一致している。
いつの間にか、歌も上手に歌う。
せーので一緒に歌う。
せーのと言ったから、でんでんむしのうたを歌うかと思ったら、「あったま、かた、ひーじゃ、ぽん」と元気に歌い出す。何か1人で恥ずかしい感じになる。
家で飼っているカタツムリを2匹に増やしたら
大きい方がもう1匹を食べてる?事態が起こった!
(実際は交尾のようでした)
「食べちゃっているかも知れない!どうする?別々にしてやる?」と焦って聞く自分に対して、ずっと「イヤ、しない」と言う子ども。
弱肉強食を知っていたのか、単に怖かったのか、何だったんだろうかと思う。
可哀想だから、という自分が恥ずかしいくらいサバサバしてるもんでした。
自分自身が生き物を飼う事に対してノーマーク。
カタツムリをペットボトルの簡易な環境で育ててしまっているから、卵を産む前に整えてやらんと、なと思う。
カタツムリが産まれたら、どういう反応をするだろうか。私はそれが楽しみでもある。
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