巨乳へと分岐する3月4日

昨日は去年からずっと楽しみにしてた「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」と、スピルバーグの「フェイブルマンズ」をハシゴして、家でビール飲んで、とてもいい日だった。本当にいい日だった時に書くことなんて、「いい日だった」しかない。

公式が先回りで提示してくる略称に乗ることに多少の抵抗を感じるのも確かだけど、実際問題としてカタカナでタイトル打つのがクソめんどいし、そんな原題を略さずそのまま邦題にしてくれたことへの感謝も込めて、以下「エブエブ」と表記する。段落一つ使って言い訳してないで、黙って略称使えよ、とも思う。

で、「エブエブ」。分岐した無数の選択から生まれたマルチバースから、別の可能性を生きたバージョンの自分にアクセスして、無限に枝分かれした先にいるカンフーマスターの自分や、歌手の自分、凄腕シェフの自分の技能だけをインストールして戦っていた。とてもいいアイディアだし、なんとも今っぽい。

一日経った今日、ツイッターとかインスタなんかを見てると、若干景色が変わった感じがした。なんか毎日色んな人出てくんじゃん。ギターむちゃくちゃ上手い人とか、ポテチの袋が置いてあると思ったら手描きのイラストでしたとか、完全に話通じない無限大のバカを相手に粘り強く話をし続ける人とか、なんでもいいけども。

選ばなかった無限の選択肢の向こうにいる、あり得たかもしれない無数の自分、みたいなマルチバース的な発想が流行るのは、他人の人生をつまみ食いしすぎてるからってのはある。SNS以前なら卒業後一生会わずに終わってた同級生の子育ての様子とかを日々見ることになれば、そりゃあ「あったかもしれない可能性」みたいなことを無駄に考えることにもなる。

「エブエブ」における戦闘スタイルは、突拍子もないようでいて、いつもSNSで見てる光景と近い。色んな人の技が、流れては消えていく。本来考える必要のない無数の可能性の濁流。そこを溺れないように上手く泳いで渡るんじゃなく、むしろ思いっきり溺れながら、川の水を全部飲み込んでみせた、みたいな映画が「エブエブ」かもしれない。ちなみに、SNSに流れてくる中で個人的にいっぺんインストールしてみたいのは、めちゃくちゃおっぱい揺らしながら踊ってるお姉さんだ。無限のマルチバースには確実にいるんだから、その自分も。

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