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自己流とタロット

前回の記事で、「自己流でやってみる」と書いたが、本流とはなにかなどぼんやり考えたときに、「タロットの引き方やカードの種類と意味、スプレッドをいくつかは覚えたけど、タロット自体の背景や経緯を全然知らない!」となった。
その上で、「いや、背景や経緯だけでなく、タロットについてなにもしらない!」となった。お手上げ。

今なにがわからないのか、なにが知りたいのかを記録しておくために書きます。
これをキーワードに本を探すつもり。
少しでも齧ったことがある方が聞いたら一笑に付すようなことを書いているんだろうな。
これから書けば書くほどバカがばれるとわかっている状況で書き連ねていくのは恥ずかしい。書くけど。

一言でいえば、
「因果関係が証明できない事象において、その信頼性を担保するものはなにか」

一言か?

「タロットがなぜ当たるのかが不明な以上、カードの引き方(過程)をどう扱うか、考えるかって難しいよね」と思っています。
それか、なぜ当たるかってわかっているのかな?
もし神様だとしたら、お礼にたこ昌でもお供えした方がいいかな。

一旦の結論としては、「タロットがどういう過程を経たら当たるかは、各自のやり方でやった集合知でしかないから、その知識も享受しつつ自分に合ったやり方を模索していくしかないんじゃない。」となってしまうんだけど、これは私の中の自称中立派が「まあまあ落ち着いて」としているだけな気がする。勉強した上で再考する。

本流について考えた時に、カードの切り方一つにしても複数あることに思い当たった。
なにか目的を成し遂げるためのルートが複数あること自体は、なんらおかしいことではない。
山の頂上への登山ルートが何通りもあるのと同じだ。
ただその過程の一部について、それが必要かどうか、省略してもいいかが、タロットの場合だと不明瞭に思えた。
山の場合、歩いたりケーブルカーに乗ったりする必要はあるが、ハンドスピナーを回す必要はない。どんなにゆっくりでも頂上に向かって移動していればいつかは着くが、ハンドスピナーを回しても頂上に近づかないからだ。
それに比べて、タロットではどうすれば当たりになるのか、近付けるのかが知識にない。
ここを勉強すれば、あらかた解けたも当然かもしれない。

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必要最低限の要素さえあれば、もしかしたらカードのカットもしなくてもいいかもしれない。
前回閉まった時のまま出てくるだろうが、その時点で自分がなにに悩んで引くかが運命付けられているとしたら、それでもいいはずだ。
カードの運命が先か、自分の運命が先か。
たまごが先か、にわとりが先か。
それにカットをする目的がランダムにすることだとしたら、乱数表を代理で使ってもいい。

(話がそれるが、タロットを引く際の禁忌はあるのだろうか。
個人的に控えているものではなく、タロット占い師共通の禁忌。
同じ呪術のくくりでいえば、呪いの禁忌はわかりやすいのは面白いですね。
丑の刻参りは他人に見つかってはいけないし、こっくりさんは十円玉から指を離してはいけない。)

ただなんでもありにしてしまうと、そもそもタロットである必然性がなくなってくる。
タロット占いをタロット占いたらしめる、最低限の要素はなんなのか。
ただそれを知ってしまうと、私は怠け者なので、最低限より少し悪い方法を取ってしまいそうだ。
知らない方がいいのかもしれない。

なんでもありは必然性のなさとともに、なんとなく嫌だ。
「2つの国旗を目の前に置かれて、サッカーの試合でどちらの国が勝つかを当てるタコ」と一緒に思えてしまう。

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別に今でも私の方が優位である証拠はなに一つないけども。

余談だけど、改めて調べてみたら、出荷されてた。タコだもんね……。

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決して本に載っているとおりにやるのが嫌なわけではなく、むしろ自分で一から作るのは大変なので、巨人の肩に乗せてもらいたい。

わからないと投げている部分を調べるか、自分のn数を増やして証明するかがよいかなー。どうかなー。

ここまで書いておいてではあるが、
「当たるし、楽しいし、なんでもいーじゃん!ぼくのかんがえたさいきょうのたろっとをつくろう!!」
という気持ちも常にある。


書いているうちによくわからなくなってきたので、散歩に疲れたパグの写真でお茶を濁そうと思います。

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