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つぶやき2022.3.22-3.27

しんどい。軽く目眩がする。

人間は神に似せて作られたらしいから、きっと神様には他者の気持ちなどわからない。

僕の目の前の世界が割れているから、マクロの世界も割れるのである。
なかなか理解されないが、そういうことなのである。

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コロナウィルスの感染者少し減ってきたけど、花粉症で誘発された免疫系がコロナウィルスを攻撃する。なんてことがあるのだろうか?なんて、かかる人がもうかかっちゃってるのと、高齢者が3回目のワクチン打ったからなのかな?(2回目)


電力の80%を電気ウナギに頼る我が国では電気ウナギの乱獲による電力不足が深刻な問題となっている。
#電気は大切に


キモキモい
が令和4年のトレンド。

キモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモい


つかいを頼まれ外に出たとたん花粉にやられた。

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金持ちが慎ましい暮らしをしていると美徳となるが、絶対値として使っているお金が私より少ないわけではない。

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#日曜美術館

Pentti Sammallahti

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モノの価値の一つに市場価値というものがあり、モノの売り買いをしたり、資産として考える時、市場価値を知っておくことは大切だ。
これと別な価値をモノに見出す人もいる。その人にとっての絶対的価値だ。市場価値によらず金に糸目をつけなく買うとか、幾ら高く買うと言われても売らないとか。

誰にでも多少は心当たりがあるかもしれない。
私は多少市場価値を考慮して、適切な値段の範囲でモノを買うが、モノを見る時は市場価値ではなく、そのものに感じる絶対的価値で見ている傾向が強い。
良い点悪い点あり、良い点としてはモノにお金に変えられない何かを感じることができる。

思い入れだったり、思い出なんかも、絶対的価値に計上される。
悪い点としては、お金との等価交換がしにくいので、手放すことに往生際が悪くなることだ。一旦売って、どうしてもまた欲しいなら買い直せば良いと言われても、なかなかにそれは難しい行為なのである。

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お金で売買されないものにこの絶対的価値を見出す人もいる。有名なのは南方熊楠など。
人によっては何の価値もないものに、かけがえのない価値を見出す人が確かにいる。
価値観の合わない人からみたら変わった人に見られるし、ましてや生計を共にする人なら深刻な困りごとかもしれない。

しかし、わたしはこんな、人がどうかってことじゃなくて、物事に独自な価値を見出す人が嫌いではないのだ。わたしにも一部その様なところがあるから、贔屓目に見ているのかもしれないが。

しかし、まあその絶対的価値が、美を見る目利きと相性が良い方が、何かと損はしないだろうね。物欲が無限に広がる落とし穴に嵌まらなければだが。嵌るは嵌るで楽しいが楽しいだけに現実を見失いやすい。

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少し前から奥さんも働きに出ている。世間のご多分に洩れず、生活が大変だ。お金の話ばかりになる。

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人に口うるさくされたくなければ、めんどくさい人になればいい。見事に周りに人が近づかなくなるだろう。

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橋下徹は開き直って炎上商法に徹しているのであろうか?

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鈴木宗男の来世はフンコロガシです。フンコロガシとして50回生まれかわります。後のことはしりません。


プーチン超えの馬鹿がミサイル打ったってな。死ねばいいのに。

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しかし人間は目先のちょっとした損得を気にして顔を立てるべきでない人間の顔を一所懸命立てるのに(諭すべきを諭さないという意味)、顔を立てるべき筋の通った奴のメンツは簡単に無視するタイプが居て、輪廻転生のループから抜け出せそうにない奴が多いね。

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まあこれ言っちゃったのは日本舐められてるからだと思うけどね。舐められてるのは今に始まったことじゃなくてずっと舐められてたんだけどそれを言っちゃったってこと。日本の政治家も舐められてるのわかってるけどそんなことないよって顔してたのが、おいおい言っちゃったよって。その程度の話。

日本国民が日本の政治家舐めてるのに、頭脳が明晰かはともかく、屈強なロシアが舐めない訳がないじゃん。

ロシアが日本を舐めてるのは間違いないんだけど(外交を見てたらそりゃそうでしょ?)、冷静さを持って舐めてる感じだと思うよ。今んとこだけど。
ロシアが道理に反してるから言うことは言わなきゃいけないってのと、牙むかれたらかなわんてところの、匙加減が求められるのだろう。知らんけど。

舐められてると腹が立つものだが、舐められるには舐められるだけのことをしてきた(或いは何にもしなかった)場合とつけいるスキを与えてきた場合と見た目が貧相な場合がある。
プロテクトで身を固めるのも一つだが、人間関係を如才なくやっていたら舐められないものだし少々下手でも親切は身を助く。

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世の中にはタテマエというものがある。
何だかタテマエが立たない時代になってきたけどね。
タテマエであるのにエラそうにフン反りがえって言う人も、タテマエを鬼のクビ取ったようにタテマエじゃないかって言う人も、どちらも考えが浅い気がするよ。

ホンネでものを言う。それが身勝手にならずうまくホンネで渡り歩けてるとしたら。逆説的だけど、世の中にはタテマエというものがあって、そのタテマエを立てておく領分ていうものを心得てて、ここまではホンネで行こうって匙加減してやってるんだと思うよ。
ものごとを知らなきゃホンネも通らないよ。

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人間には感情があるから、こうだったら良いなって目で見たり、自分または相手を贔屓目に見たりしたくなるんだろうけど、それが過ぎて嘘のニュースやプロパガンダに飛びついてたら、すぐ騙されたり利用されたり戦争だったらすぐ死ぬよ。深刻なことほど、できるだけ冷静に引きで見るように心がけないと。

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知らない間に寝ていた。頭すっきり。

気が滅入っている時は眠るのが1番。
美味しいものを食べるのが2番。


午後の珈琲

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肉じゃが!

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#飯テロ

午後の珈琲(2杯目)
浜松のクッキー

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久しぶりに辛いラーメン牛乳半分(以上)仕上げ

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いいかい学生さん

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奥さんのお母さんにカレーのお裾分けいただきました。お肉上等。美味し✨

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一服。

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#なうすぴにんぐ
レインボーインユアアイズは、ロック部門優勝。

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オルガンバースイートに収録のラブラブモードはここに。

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猫へ
定期的に聴きたくなる

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横山剣さんmixの悪玉はここに収録!

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足に科せられたチェーン
白く光るコロシアム
異教徒のごとく礫(つぶて)を投げられて
勝つことを許されない二流で無名の悪玉(ヒール)
反則負けこそが最高の名誉

打ちのめされたこの背中を
息子のお前もさげすむのかい
今宵こそ、見てろよ

高らかに鳴るテーマと決めぜりふ
"破壊の神シヴァよ、血の雨を降らせ給うれ!"
熱い汗をまとい凍える魂と
引き際を鮮やかにする哀しい知恵
吹っ切れたならば俺は自由

これは因縁のカード
リベンジを狙う悪玉(ヒール)
花束も凶器ももやは要らないぜ

捨て身の奴に負けはしない
守るべきものが俺にはあるんだ
このラストスタンドに

高らかに鳴るテーマと決めぜりふ
"破壊の神シヴァよ、血の雨を降らせ給うれ!"
冷酷なこの世から目をそらすな
未だかつてない悪意を魅せてやる
振り切れ、今こそ俺は自由

「マイクよこせ、早く!」


日々音楽に関してつぶやくことが多いですが、昔ほどno music no lifeみたく夢中というわけでもないですし、特に情報を発信したい熱があるわけでもありません。
ただなんとなくモテようとしている。それくらいの軽い動機です。

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モテたいと言いつつ、男女関係をどうにかしたい。というほどの気力も体力もないので、具体的にモテるとそれはそれで扱いに困ります。
何となくモテてるかもしれない感じ。そう勘違いできるユルっとした陽だまり感が欲しい。
そんな不純な動機でモテようとしています。

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人が生きていくのには、誇りが必要なのだろう。
確かに、困難や苦境を前にした時、それを克服するには、一欠片の誇りが必要だったりする。

しかし、この誇りというものも、扱いを誤れば諍いを起こす原因にもなって。
誇りというものは、アイデンティティに直結していて、それこそ各人一人一人に帰属するものだ。誰かの誇りがあなたの誇りにはならない。あなたが誇りと思うものが誇りとなる。
誇りはとても私的なものだ。

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だからこそ難しい。
他者に誇りを押し付けることは、それが私的なものであるが故に、独善的になるのだ。
逆に誇りを失うことは、それがアイデンティティの根幹でもあることだから、時に命をかけても守ろうとする意識が働く。

誇りが大切なことをあなたは知っている。それならば他者の誇りも尊重すべきではないか。
誇りは押し付けるものではない。あなたが自らにしっかりと抱えているべきものだ。そして他者も等しく誇りを抱えて生きていることに、想像を働かせるべきだ。

民族問題を例として、人間のアイデンティティに関わる諍いは全て、この辺りの想像力の欠如が一因となっている。
男女の平等がどうだとか、人権、すなわちアイデンティティの問題は、全て、想像力の欠如が起点となっている。

自らと違うものを理解しろと言っても、理解することは難しい。ただ、あなたが誇りを抱いて、或いは、誇り高く生きようとしているなら、他者もその様に生きようとすることに理解は及ぶはずである。

自らを可愛がるためだけに自分と同じカテゴリーに属するものを擁護するだけでは無く、例え違うカテゴリーに属するものであっても、自分に認められるべき誇りを同様に他者にも認めるべきだと想像してほしい。
他者理解など理想に過ぎないが、他者と共生していくことは、あなたに課せられた命題である。

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陰謀論が蔓延っているようですが、どこにでも陰毛が落ちていることを、陰毛論と言います。掃除はこまめにしましょう。おはようございます。


陰謀論に嵌る人がいる。これは問題の解決をしようとしているのでは無くて、何も世界にはおかしいことが起こる筈がないのに誰かの企みで上手く回っていないのだとの思考に陥ることだ。

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うまく行くのがデフォルトだと思っているから陰謀論に嵌る。世の中は複雑で何もかもは上手くいかないのがデフォルトと知らない。

要は苦労することが嫌いで、問題を解決しようとするのでは無く、不幸や問題を誰かのせいにしたくて、陰謀論に嵌る。

エビデンスや、権威のある機関の発表や、科学的知識に基づく考察や、正当な統計に基づく推察よりも、確率や歴史的事実や実態や道理的に起こりうることかを無視して、自分の不信を説明する突飛な説に飛びついてしまう。

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要はご都合主義なのだ。真実を求めるふりをして、真実を真に見ることから目を背けている。その証拠に、陰謀説を鵜呑みにして、事実そのものを根気強く調べたり、仮説を検証するデータを確認したりする手間を惜しんでいる。

陰謀論は一見学術的な体裁をしているかもしれないが学術に必要な要件をすっとばしていることに気がつかない。
自分だけが知っている突飛な話に飛びつきたくなる心情もわからないではないがそういうのは10代の内にやっておくことだ。まあ、逆に10代の頃に世の中にあることを鵜呑みにしていたのだろう。

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そうならないためにも、若い人は若いうちから、大人が言っていることを、鵜呑みにするんじゃなくて、疑ってかかるくらいで丁度いい。そして自分で色々な観点で物事を調べてみることだ。こういう勉強は身を助ける。

適切な理由でそうなっていることや、多くの事情から仕方なくそうなっていることもあることに、大人になれば腑に落ちるだろう。


必読↓


ものごとが既に世に存在し、複雑に絡みあっている状況ならば、ある単純な一つのことだけで良くなったり悪くなっているのではない。という、構造的な因果的な事実を人は理解しておくべきだ。

例えば、陰謀論の様に、仮想の敵が本当に敵だったとしても、敵を倒せば人生の問題が全て片付くと思っていたら能天気が過ぎる。

いつだって問題はあなたの前に現れる。日々それに対峙していくことからは逃げたくても逃げられない。
この世は誰か1人のためだけに都合よくはできていないのだ。
あなた1人の世界では無いのだから、ものごとには折り合いをつけていく必要がある。どんなに複雑で不条理でもそれがあなたの前にある世界だ。

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陰謀論に嵌るより、今そこにある現実に目を向けるべきだ。
目があっても何も見えていない。現実をありのまま見てほしい。


断言する。
陰謀論は現実からの逃避である。

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現実逃避はオナニーくらいにしておけ。
独りでするものだ。人を巻き込むな。

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ロシア、核兵器使用はもちろんのこと、生物兵器使用も、プーチン政権を崩壊させるための、わかりやすい理由を与えることになるから、あっちもそう簡単に使いたくないのでは?
自分の首がもっと絞まるからね。ギューっと。
知らんけど。

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対中国も睨み、偉そうなことを言うと、ロシアに大負けさせる必要はないんだけど、もちろん大勝ちさせてはいけなくて、一国や個の思惑で侵攻をすると手痛い損をするということを、国際的秩序を持って知らしめるというか、諭すくらいの大人度が各国に求められるのだと思う。

長く続くのも好ましくないけど、やけになってはいけない。
人生は好まずとも根比べだ。

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まあ僕がこの世界の支配者だったら、北方領土はロシアにも日本にも帰属させないね。両国から観光ビザで行けたり、そこがルーツの人はどちらの国の人でも住めるようにしたいけど。その方がむちゃな開発したりせす自然も守られるだろうし。

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何ならイスラエル・パレスチナの聖地だってそんな風にするね。
便宜上、国というものがあった方がおもしろいのかもしれないけど、究極的にはどこの国や地域でもそんな要素があっても良い気がする。知らんけど。
国や国境っていうのは、もともと誰かの都合で決まって、便宜上決まってるもんだから。

まあ、愛国心というか、どの国でも、国というものがアイデンティティの一部になってる人がいて。簡単には否定しないし、良い面悪い面あるね。

アイデンティティって必要なんだけど、アイデンティティって、自分が何者かってことだから、捉われすぎるのもまた考えが固くなるんだよね。
行き過ぎたら何でも毒になるし、無かったら良いかっていうと、それも頼りないのだろう。
僕の人生のテーマだけど、何事も重要なのはバランスですわ。

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敬語を使えると良いのは、もちろんお互いに敬意を持って話すことにも役立つんですが、より実用的なのは相手と距離をはかれることです。これ以上相手を近づけたくない時に、最も適した言葉は敬語です。

逆説的ですが、相手に干渉されたくない時ほど、マナーが役に立つのでしょう。

わたしは大して上等じゃありませんが、敬語とかマナーとか身だしなみとか。その手のものは、無いと、つけいるスキを与えるんです。
プロテクトですね。

聞いた話ですが、ヤリチンは靴の汚い女に目をつけるらしいですからね。
そういうことです。

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声のでかい人が責任を取るとは限らない。経験上逃げる人の方が多い。
責任感が無いから声を荒げられるのかとすら思う。

必ずそうだとは言わない。
或いは、本人が負うべき責任を自覚せず言いたいことだけ先に立つのかもしれない。
まあ、人による。
何でも、人による。
カテゴリー化は便利(あまりモノ考えなくて良い)が、カテゴリーを見て人を判断していると、ロクなことはない。

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全乗せ

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やっとるな。途中からテレビつけたけど。

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ゼレンスキーさん、ようわかってますね。

ゼレンスキー大統領の国会演説のすごいところは、ウクライナへの親しみを呼びおこしたこともさることながら、普段意見の相反している日本人同士すら一つにした感のあることだ。
こと日本人に対しては、強い言葉を用いるよりも心情や立場に配慮するということがものごとに賛同を得る上で最重要なんだな。

ゼレンスキー大統領の演説の通訳に文句言ってる人は、努力して一端の仕事もしたことがないレベルの人だと思うよ。
雑魚は気にしなくていいよ。

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近々の対処的な話は置いといて、ゼレンスキー大統領の演説で重要な部分はこの2点だと思う。

1.そして、ウクライナの復興も考えなければなりません。人口が減った地域の復興を考えなければならないです。避難した人たちが故郷に戻れるようにしなければならないです。

2.また、全世界が安全を保障するために動けるためのツールが必要です。既存の国際機関がそのために機能できていないので、新しい予防的なツールを作らなければなりません。本当に侵略を止められるようなツールです。日本のリーダーシップは、そういったツールの開発に大きな役割を果たせると思います。

ウクライナの大統領が日本に期待していることは、演説を言葉通りに聞いたら良いと思う。
余計なことはしなくて良い。日本が好戦することなど、求めていない。
日本人より、日本が果たすべき役割を心得ている。

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北方領土について言えば、少なくともプーチン政権が置いたゴールは、一島たりとも返還しないことにあったのだろう。
現中国共産党も、香港や台湾に対し、この様な一方的なゴールしか想定していないだろう。
協議による交渉の余地が、本質的なところには無い相手には、少なくとも相手の腹を見抜いた上で対峙することが必要だろう。

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下世話な話、この世界には、自己のメリットだけを行動原理としてる人もいるからね。
そんな人にこうだったらいいのにって期待しても無駄。諦めてそれならそういう人としてしか見ない方がまだ健康的にいられる。

まあそんな相手でも親切にすれば(相手もメリットを感じるから)更に円滑にことは運ぶんだろうけど、相手はずっと悪いとこが改善されないままだから、ストレスはずっとあるよね。
ストレス耐性が強い人や精神的ゆとりがある人や心が老成してる人には後者をお勧めするけど、僕は顔に出るから無理だね。

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誰もやさしくなんかない
思い違い
ひとりよがりの
ぼくはやさしくなんかない
ずるい人だ君は
(ずるいずるいずるいずるい・・・・)
責任のがれ
君の荷物さ
それはぼくのじゃない
ぼくのじゃない
ぼくのじゃない
ぼくに背負わせないで

誰もやさしくなんかない
君と同じさいやらしいのさ
誰もやさしくなんかない

だからせめて
汚ないまねはやめようじゃないか


他人に期待するのも無駄。他人はただの傍観者。他人が何か親切に助けてくれたなんて僕には一度もない。まあこれは僕が人を助けないからだろうけど。人は受けた恩しか返さない。したなり。したことの結果しか返らない。したことの結果すら通常半返しで上等。他人に期待してもラッキーも救いもない。

この点、うちの母は如才ない。一人暮らしだが、周りの人と助け助けられしている。高齢になって地域社会で生きていくにはそうあるべきだ。
若い頃、母の爪の垢を煎じて飲むべきだったかもしれない。

まあ人には長年で染みついたくせがある。簡単に飛び越えていけたら気持ち良く爽快だが、なかなか悪いクセは抜けにくいもので、自分の癖に折り合いをつけていくというのが、30代以降の人生の実感としてある。

しかし、50も過ぎると自分というものも僕の場合薄らいできて、変にこだわることがなくなって、生き方としては楽になりつつある。
こだわってこだわってこだわった上に何ものにもこだわらなくなることが、一つの生き方として悪い気もしない。

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自分と自分の癖に折り合っていく 
それで精一杯なんだけれども

抱え込み過ぎたこの毎日電話することも臆病になる
逃げてる訳ではないけれど逃げられるものならそうしたい
あなた達のやさしさから 
求めるものが判っているのに
そうなればいいと思っているのに
僕のおかしな過去に触れ

君の周到な曖昧さで
練り挙げて出来た話など全て忘れるために聞いているのさ
根本的な新しさはなく大胆なバリエーションに過ぎない
長ったらしいカタログは何の役にもたちはしない
何の役にもたちはしない

自分と自分の癖に折り合っていく 
それで精一杯なんだけれども

抱え込み過ぎたこの毎日 
重なり合う多くの事情
決して悪気があるのではない 
約束したのを忘れたって
やさしさだって忘れていない 
しっかりと全てお膳立てされた君の秘密の動作はまるで 
夢のようにしか見えないのだが
僕だってそれは出来るのだ 
夢見ることも止めることも

守るべき一つの明らかな義務はそれを全て受け入れること
僕らは時に驚くほどの相応しくない事を口にする
来る日も来る日も万事好調 
昨日は本当に良く眠れたか

抱え込み過ぎたこの人生 
君達の顔は思いだせる
本気だったのは間違いない 
夢中になった心もあったけど夢には一度も出てこない

偶然が許した例外なのに贅沢な期待を持ち過ぎたためそれどうしの共食いになってる
始めであり、最中であり、それは君の終わりだった
桁外れの訳あり顔で笑い、苦しみのない方法で癒す
酔わない酒を頭から浴び、夢も見ない多愛のない眠りに、また今日も着くのだろう、
ここと今からは逃げられない

もし君が何かを得ることができ
また君が何かを失うならば
もし君が何かを得ることができ
また君が何かを失うならば


わたしは自分のことしか考えていない人間だ。人間としては安い方だ。だけど可笑しなことに、自分のことが大切だから、人も大切にあるべきだ。と、思っている。共感型の人からするとまわりくどい構造だが、家族や友人を尊重したいのは間違いない。

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早起きしたので歴史についてwikiを色々眺めていた。俺ってネットサーファー。歴史には色々と戦争やら革命やら支配やらがあるが、感じたのは、聞こえの良いイデオロギーは、その時代の多数の人の立場を正当化し向上させるために湧き上がるが、実のところその運動を利用して利権を得るのは一部の者。

すべてと言っていいほど、指導者的立場の者が営利を貪っている。まあ、指導者がいつの間にかすり替わっている場合も含めて。
どんなイデオロギーでも、民主的に好ましいアプローチは、ソ連におけるゴルバチョフのような働きだろう。反一党独裁、権利の分散の方向への働きである。
まあこれを好ましく思わない逆のベクトルの力で阻害されてしまったわけだが。

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日本においては、議会制民主主義、三権分立というものがいかに大切か。
形骸化してきたような、そういう仕組みの働きが弱められたこの何年間だったけど、国民は決して、それを手放してはいけないよ。

日本、或いは、多くの国は、民主主義と言っても間接民主主義だ。権利を信託し政治を委託している。あくまでそうであることを忘れてはいけない。タテマエがただのタテマエとして形骸化し、このシステムを個や特定の利権関係者の私利私欲のためだけに利用されていないか、しっかりと見届ける必要がある。

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陰謀論は好きではないが、あるシステムが生まれようとする時に、これを最大限自己のためだけに利用しようとするフィクサーがまた、自覚的か無自覚か知らないが生まれる。無自覚というのは、ある特定の者に利権を集中させたら、それはフィクサーがいるのと同じ働きをするということである。

競争のすべてを否定するわけではないが大局的に長い時間の流れから見て一国民から政治に求めるのは調和とバランス。調和とバランスにこそ心血を注いでもらいたい。

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システムはもちろん重要だが、それを差し置いてもっと重要なのは、システムをいかに巧く運用するかである。特定の者への集金のためにシステムを作ったのではあるまい。


祖国って何だろうね。


策士が策に溺れるとすれば、その策に身体性が欠けているからだろう。

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事なかれ主義という言葉がある。私もややこしい話は嫌いだ。時には目をつぶり問題を先延ばしすることもある。

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しかし、経験則としては、そこに本質的な問題を孕んでいる場合、いくらやり過ごそうとしても、問題が消えてくれることはない。10年以上の時が過ぎても、解決しない限り同じ問題が何度もあなたを悩ませる。

それは宿命的な因果というよりも、そもそも問題とはそういうものなのだ。流れていく工程に対し、障害物があれば、そこでトラブルが起きやすい。腹を立てても仕方なくて、それだけのことである。
問題に対しては、根本的に障害のタネを取り除くのが1番良い。

しかし、そう都合よくいかないことも多いのが現実だろう。目を瞑っている間に問題が通り過ぎてくれないかと思うのが人情だ。

ところが、問題が起こる構造のままでは、起こるべくして同じ問題が起こる。何度でも。本質的に構造の問題を取り除くことができないなら、関わりのある間ずっとその問題のケアやメンテをする覚悟が必要である。

今ある問題についてはその様なことがついて回るが、あなたが新しく取り組もうとしていることなら、問題を未然に防ぐちょっとしたコツがある。
ものごとを進めていく過程であなたは、ちょっとした違和感を感じることがあるだろう。ここわかりにくいな。とか、ちょっとおかしいな。とか。

その違和感を見過ごさないことだ。違和感を感じたらすぐにピンとこないところを明らかにしたり修正するのだ。違和感を感じたところは、必ずと言っていいほど、後で問題を生じる。(経験則)
こういう違和感を野放しにしておくと、小さな問題が起こり、それが山積すると、全体さえうまく回らなくなる。

繰り返すが、違和感を感じた時点で違和感は解消すべきだ。人が関わっているなら、まっいいか。ではなく、直ちにその違和感を関係者と共有すべきだ。その違和感はやがてあなただけのものではなく、関係者にとっての問題となりうるから、気遅れは無用だ。

あなたの違和感を関係者が無視するなら、むしろ、その関係者が無能なのかもしれない。
何にせよ、問題というものは、初期の小さいうちに対策する方が、手をうちやすいし、簡単な対処で済むし、問題に悩まされる期間も少なく済むから、総じて1番低コストで済む。

直感を馬鹿にしてはいけない。あなたの違和感を大切にしてほしい。

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先程違和感は大切だと言ったが、それは違和感はすごい感度で問題の種となる要素を察知しているからだ。
違和感を感じた時、どの様に違和感を解消したら良いかには、少し経験が必要になるかもしれない。

一つはシンプルで平易な言葉で説明がつくように修正することだ。わかりやすいことには問題を孕みにくい。
複雑化はそもそも問題を孕む機会を多くすることに繋がる。

シンプルであれば、その先に違う問題が起こった時も修正しやすいし、根本対策の手を打ちやすい。リスクを予め感じるなら第2案を予め用意すべきだ。

違和感を感じた時、根本的な修正をするのではなく、違和感を正当化するための言い訳を探そうとするのが1番良くない。
そもそも問題が解決しないばかりか、別の問題を起こすミスリードに繋がる。
筋の悪いものは幾つもの問題を引き起こすのだ。

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先日政治に求めるべきは調和とバランスという話をしたが、調和とバランスだけでは飯は食えない。バランスとはやりくりの話だ。もちろんやりくりは大事であるし、ある程度のところまではお金を増やすのと同等の効果があるが、効果は限定的であることは否めない。生活をプラスに転じるためのアイデアや仕組みが必要だ。

補足すると、収支が黒字化していて分配が悪いだけなら、バランスを調整するだけの話で良い。収支が赤字とか少ないというのならば、バランスを整えるだけでは不足なのだ。(この場合もバランスが重要であることは間違いない。赤字がどこかに集中することになるので。)

岸田政権で言うと、成長と分配、共に重要という言葉に集約されるだろう。この分配には先ほどのバランスが大切という話だ。

(成長と分配は両軸で大切なものであるが、成長なくして分配なし、分配なくして成長なしは、嘘である。)

バランスを整えることと、収支を増やすことは、必ずしも相性の悪いものではなく、必ずしもトレードオフの関係にはならないと直感する。それぞれについて最適化を志向することが可能だろう。それぞれで重要なパラメータも異なるだろう。

いくら収支が黒字化しても、分配が悪ければ、お金のめぐりが悪いところは(程度の差こそあれ)悪いままなので、例え成長時にも分配のことを忘れてはならない。
バランスを取ることは、客観的にデータを取得し解析する能力に優れた人がいれば、あとは実行力さえあれば、それほど難しいことではない。

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問題は成長である。
我が国には資源が少ないとされ、原料の産出には不向きとされる。疑う目も持ち得て良いが、資源豊かな国に比べ不利があるだろう。人を資源として捉えると少子高齢化が著しく進んで、もはやちょっとやそっとじゃこの傾向を変えられない。この資源の少ない国でいかに成長をするのか。

必ずしも成長が必要かはわからないがずっと収支を一定以上の黒字とする必要がある。限られた資源の中、黒字の収支を維持し続ける仕組みをどう作るか。

この成長については自由経済に任せるのなら任せても良い。バランスを取ることに長けたものと、収支を増やすことに長けたものは、必ずしも人格が一致しない。それぞれに調和を持ち連携する機能さえ失わなければ。

とにかく、誰かが成長を牽引する役目を果たさなければならない。そして、成長させるものは、分配に対し協力的でなければ、依然として富は貧富の差を生じ続けるのだ。

何かいいことないか子猫ちゃん?

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極めて少ない人に富が集中している。1人の大金持ちを作るのは、構造的に難しいことでは無い。(わたしにできるかという話ではなく構造的な話だ。)
例えば君が世界中の人から100円寄付してもらえたとしよう。毎晩パーティーをしても簡単には使い果たせないくらいの富を手にできるだろう。

このように、収入の分配比率を少しいじるだけで、他の人にはあまり影響を与えず1人の金持ちを作ることができる。富さえ生み出すことができるなら、その富を1人に集中させることは容易なのだ。

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(収支が同じと仮定して)これと逆に多くの人に富を分配しようとしたら、それまで富を獲得していた人の分け前は著しく減る。これが富を得た人間が分配に非協力的な理由である。

嫌味を言えば、富を新しく築いた新領域については自分の分配比率を高くし、既存益については快く分配するくらいのことをするのが、能力に応じた紳士的(粋)なやり方だと思うけどね。
まあ、一握りの超金持ちを作るのは、それにあなたがなれるかは別に、構造的には努力もいらないむしろ自然なことなのだ。

だから、一握りの大金持ちが生まれるのは陰謀論でもなんでもなくて、むしろ構造的には偏りが生じやすく、分配に無頓着できただけなのである。
いかに、全員のパイを上げるか、必ずしも富でなくても良い、全員の幸福度を上げるかこそが、難しくもあり、目指すべき意義のあることなのだ。

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富さえ生み出すことができたら、大金持ちになるのはたやすい。むしろ分配できない馬鹿(猿)ほど一人勝ちするのだ。
富を生み出すことができるのは素晴らしい。しかし、いかほどの富を得たかは、必ずしも賢さや人間性にはよらないのだ。

ずるく利己的な人間ほど莫大な富を築きやすいだろう。
この話は思いつきで思いつくままに書いたが、ものごとを理屈づけようとしたら簡単にこのように理屈づけられるのだ。
難しいのはほんとに収支を増やすことであり、自分はもちろん多数に生活の糧を与えることである。

実行者たれ。批評で満足するな。

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言っちゃいたくなるってことがある。
言って良かった場合もあれば、自分或いは人から見て、言わない方が良かったって場合もある。
それは、言葉というものは誰かに届いた瞬間から、自分だけのものでは無く、受け手のものになるからだ。

自分の言葉が減るわけではなくて言葉がクローンのように分化して同じ質量の言葉を人が受けとることになる。

自分の言葉が減らないことだけを意識していたら、つまりそこに相手を想像しなかったら、言葉は自分勝手にもなりうるし、人にどう届くかばかりを気にしていたら、言葉を発することが怖くなるかもしれない。

#ことば


否定的な言葉、広義には人に対し反対意見を述べる時、多くの場合、相手を全面否定しているわけではないだろう。しかし、否定的なことだけを言葉にしたら、相手は100%否定された気になることもある。例えば、2割が肯定できるとしたら、その2割は肯定していることを、言葉や態度で伝えることが大切らしい。

馬鹿にできないことだ。こういうことの積み重ねで人間関係の親密さが変わる。不満の一つ一つは小さいことでも、不満と言うのは消えずに堆積していくものだ。堆積したものがリミッターを超えた時、人間関係は終わる。殆どの場合、人間の関係性は不可逆だ。一方向に積算されていく。取り返しはきかない。

いかに理性的な人でも。
人は感情に支配される動物である。

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言い尽くされた感があるけど、子供向けコンテンツに重要なことは、子供向けと意識しないことだと思う。
少し言葉を平易にするくらいでいい。

気にするくらいなら、トラウマになりそうなものは、適切な年齢まで見せないことだ。ゆうても、今時検索できるから、無駄だろうけど。

わかってない人のために言うと、全部わからなきゃ面白くないんじゃなくて、わからないことが(適度に)あるってのが面白いんだ。

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私はわりと、言われたくないやろな。と思うことも口にする。無用なら聞かなきゃいいしね。結果は相手の責任。人前だったり、もっと上の立場だったり、大切な人の前で恥かくより、どうでもいいおっさんから指摘された方がメンタル削られないだろうという親切心または余計なお世話(老婆心)なので、見直しの機会と捉えて欲しい。
知らんけど。

ま、相手の性格は考慮する。
打って響かぬ鐘はならない。

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何だか正しそうなことを言う時、出てくる言葉はどうしたって自分のフィルターを通っているから、自分の都合だったり、性格だったり、価値観だったり、得手不得手だったり、時には皮算用だったりが、どうしたって入る。それは仕方ない。人間だもの(みつを)。

ただ、そういうものを隠して見透かされると、非常にカッコ悪い。どうしたって含まれてしまうそういう不純なものは、痕跡程度に留めたい。僕は。
カッコのつかないええカッコしーが冷やかされる寒さより、正直でいる方がまだ可愛い。と、僕なら思う。

人間正直でいて、その正直(自分自身)をより良い(カッコがつく)方へ、頭打ちながらも少しずつでも修正していく。
そんな生き方の方が私は肯定したくなるのだ。

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何が正解という話じゃなくて、好みの話。
人は知らない。私は私の好むようにできるだけ生きたい。折り合いをつけながら。


僕が言う正直っていうのは、あくまで自分が自分に対してどうかって話で、あまり人の嘘には干渉しない。その人の問題だから。

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まあ、子がいないから、自分の話ばかりになるのだけれどね。
あまりカッコのいい話ではない。


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めげないかと言ったら何度も数え切れないくらいめげてきた。けれど、昨日を引き受けて今日を続けて生きていくしかないんだよね。
それを繰り返してる内、めげることも減った。歳を取るのは悪いことばかりじゃない。

【事の大小はあるけれど、どんな利口そうな「正解」より、ほんとうに大事なのは「めげない」なんだよな。そしてなにより大事な「めげない」方法とは、おそらく「本人=当事者」であることなんだね。】糸井重里・今日のダーリン3月24日


友達がいないとすれば、それは恐らくどこかで人を拒絶しているからだろう。意識的にか無意識にでも人に対し壁を作っている。壁を作りながらも人と関わる人もいるのかもしれないが、友達がいない人はまず自分から関わろうとしない。

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こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに、私は強情だ。ゆうべもおまえと別れてのち、酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝目が覚めて、おまえのやさしさを思い出しながら私は私のけがらわしさを歎(なげ)いている。そして正体もなく、今茲(ここ)に告白をする、恥もなく、

品位もなく、かといって正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂い廻(まわ)る。人の気持ちをみようとするようなことはついになく、こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに私は頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!

目が覚めて、宿酔(ふつかよい)の厭(いと)うべき頭の中で、戸の外の、寒い朝らしい気配(けはい)を感じながら
私はおまえのやさしさを思い、また毒づいた人を思い出す。そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みずか)ら信ずる!


一見これだけ理路整然と屁理屈を捏ねられる私だが、社会的には全く評価されていない。
仕事ができない訳でも無いが、全く評価されない。
AIと違い、人は感情で評価する(対価を与える)のだ。或いは、相手の言い分で対価が決まる。要は人の実力など見ていない。関心ない人のことなど本当に関心ないのだ。

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関心が無ければ人は人に対しどこまでも冷淡になれる。あえて残酷なことをする人は少ないだろうが、助けを求めている人がいても、人々に関心を抱かれなければ、つまり、関心を呼び起こす機会に恵まれないとか、機会があってもシンパシーを呼び起こさなければ、いつまでも人は助けてくれないのだ。

逆にシンパシーを得られたなら、手厚い加護を受けることができる。ウクライナの大統領に対する各国の援助を見てほしい。これはシンパシーを呼び起こすことによって引き寄せたものだ。

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先ほど触れたように、例えば富でも、協力でも、1人、或いは、一団体に益を集中させるのは容易い。各国それぞれの提供するサービス(嫌らしい意味では無い)が限定的でも集まれば全てを補い得る。だから日本に求めるべきは軍事的援助でなく日本の立場に適ったもので充分となる。

その上、深く共感したシンパシーには、人は心付けをしたくなるものだ。ますます協力が得られる。
このように1人のものを豊かにすることは容易い。あなたが1人豊かになるだけなら、人々のシンパシーを獲得することを否定するのは賢いことではない。

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孤独や孤高はある種の陶酔を呼び起こすが、豊かになりたかったら、人々のシンパシーが得られるよう人の感情に対し丁寧に対する方が、よっぽどあなたの身を助ける。
独りよがりや頑なな心はシンパシーを寄せ付けることさえ拒絶している。救われることを自ら拒絶している。

人々からシンパシーを乞うことを恥ずべきとの心情が働くこともあるだろう。独りになりたい時もある。しかし、長く独りでいることは、一層あなたを孤立させる。独りただれて死んでいく道を選ぶことを選ぶなら、それもまた人生だが、それがほんとにあなたの欲しかったものか?

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これはわたしが再び頑なな心になった時(そんなことが来ないと良いが)の自分に向けて書いているようなとこもある。
犬が土に骨を埋める時のように埋めたことすら忘れてしまうかもしれないが。
人生には意味がなくても、ふとしてみたくなることがあるのだ。


The ultimate tragedy is not the oppression and cruelty by the bad people but the silence over that by the good people.

最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。

Martin Luther King, Jr.

無関心は時に残酷さと同じ働きをする。
この世界の残酷さに抗いたければ、人々の関心を呼び起こせ。


自分がマジョリティかマイノリティかは選べるようでなかなか選べない。
マジョリティ100%の人間やマイノリティ100%の人間がいないような、ケースバイケースでマジョリティになったりマイノリティになったりする、比較的恵まれた国に暮らしている。

マイノリティの立場に組み込まれるとき、そのことは殆ど自分の力でどうにもならない。革命を起こそうとしたり、運動を働きかけても、多くの場合、マジョリティに鎮圧されるのが歴史だ。

マジョリティの中にいる優しい人はどちらにもシンパシーを抱き中立的立場を取ろうとするのだろう。私自身、優しいかは知らないが、お互いの立場を理解しようとの意識が働くし、調和を志向する。
しかし、それは客観的でいられる、マイノリティに組み込まれていない立場だから、選択できる行為だ。

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ただ客観的に中立でいることは、多くの場合、マイノリティの人達を救うには至らない。中立という選択は一見自らの心を安心させるが恐らく傍観という態度を取って終わってしまう。言ってみれば何も行動しないわけで。マイノリティの人達を救うことも不幸が起こる構造を変えることもできない。

立場は、中立的であるのでも良い。
しかし、働きかけねばならない。そして、仕組みを変えなければいけない。
かく言う私が果たして何をしているのか。偽善である。偽善者がただこうであれば良いのにと不条理を嘆くだけで何の役にも立たない。

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マイノリティが世界を変えることは難しい。マイノリティに力がないのではない。マイノリティが力を出せない仕組みがあちこちに張り巡らされているのである。マジョリティの暮らしのためにその様な仕組みが張り巡らされている。

例え無自覚であってもマジョリティに最適化された仕組みがマイノリティの弊害となっている。
客観的立場を取るのでもいい。中立的でいてもいい。しかし、ほんとうにマジョリティとマイノリティの立場を公正にしたいのなら、マジョリティの側が働きかけねば、そうすることはできないのだ。

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奥さんから、人のことより自分のことを見直せと。はい。

楽はしたいが、楽の先に楽は無い。
苦労の先に、ほんの少しの楽があるのだ。

しかし、あなたに苦労を押し付ける人には注意した方がいい。
良い苦労とは、人に押し付けられるものではなく、自ら選ぶものだ。

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たぶん1を与えたら、1を超えるものは返ってこない。お返しを期待するというのも嫌らしいが、もし1を超える何かを得たいなら、1を超えるものを提供しなければいけない。


まだはっきりと判っているわけではないが、人が幸福になるには、幸福になる準備が要るのだと思う。


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