![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88633363/rectangle_large_type_2_24768e2ecb30b48f7955c2f1f4b59938.jpeg?width=1200)
雨ニモ負ケズ(一発書き下ろしました。)
賢治はデクと呼ばれていた。
花巻賢治という利発そうな名前だったが、生まれつき吃り(どもり)があり、それこそ雨にも風にも雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持っていたが、人に対して強いことが言えずに、皆にからかわれてもヘラヘラと笑っているだけだった。親に買って貰ったゲームを友達に貸したまま、それが返ってこなくても。やはりヘラヘラと笑うばかりで、皆にいつからかデクノボウと呼ばれるようになった。それが縮まって、デクノとかデクとかとあだ名されるようになったのである。
賢治とはまるきりと言っていいほど性格の違う気の強い妹は、兄を「仕方ないなあ。」というような、少しだけイラッとした感情も込めつつ「デクやん。」と呼び、もう一人母親がいるかのように、いつも兄を説教していた。
デクは妹に、時に馬鹿にされながらも、それでもやはりヘラヘラと笑っているのだった。
デクは妹が欲しがると自分のおもちゃも与えてしまうお人好しだった。妹はそんな兄のことを、「デクやんは、それやからアカンねん。」と言いながら、嫌いになれなかった。
デクは元来食欲が旺盛だったが、世間のご多聞に漏れず父親のサラリーがもう10年も昇給どころか目減りするばかりで、昨今の急激なインフレで母親もカリカリと父親をなじるのをみて、味噌汁と少しの野菜だけのおかずで、「も、もう、お、お、お腹いっぱい。」とうそぶくのだった。
デクの住む町の、信号を二つ東に行ったところに、デクの同級生の又三郎が住んでいた。又三郎は幼い頃から病弱で、風邪の又三郎。と呼ばれていた。本名は西又三郎という古風な名前だった。西家の母親は夫を早くに無くしており、病弱な又三郎を片腕で育てていた。自らも病弱だったが、又三郎の前では気丈にしていた。デクは又三郎の母親を見ると、自分がなんだか申し訳ない気がして、せ、せめて。と時々おつかいを頼まれたりした。
又三郎はデクといつも二人で馬鹿にされていたが、町の北側にある公園で、ガキ大将の山猫(もちろんあだ名である。人の言うことを聞かないので山猫と呼ばれていた)に死ぬほど二人で殴られた時には、
「な、なんで、ま、又三郎をぶ、ぶつんだ。つ、つまらないことは、よ、よ、よせ。」と言ってまた殴られ、殴り疲れた山猫の帰った公園の南側のブランコのところで、「もういいよ。死にたい。」と言う又三郎を「ぼ、ぼ、僕がい、いるから、こ、怖がらなくていいよ。」と慰めた。もちろんデクも山猫が怖かったのだが。
今年の夏はとても暑くて、それでもデクは「電気代がかかるから。」と、年老いた祖母と妹がいる部屋にだけ冷房をつけさせた。「あ、暑いなあ。」と苦く泣き笑いしながら、冷房の効いた図書館に出かけては、良くもわからない本を読むことにも疲れて、館内をオロオロ歩いては、図書館の人に迷惑そうにされた。デクは、「ご、ご、ごめんなさい。」と大して悪くもないのに大人達がこちらを見ると叱られたような気になって、つい謝ってしまうのだった。この姿を妹が目にした時には、妹もさすがに呆れて、「デクやん!ほんとにデクノボウなんだから。」と母親の口調を真似て、仕方ないなあと愚痴るのだった。
そんなデクも学校を卒業する頃には、吃りも減り、根が呆れるほど優しいことを周りの皆も(自らの方が、仕方ない人間だ、と思うほどに)気づいていたので、もう、皆に苦にされることもなくなった。
それでもデクは、こちらが褒めようとすると、照れてまた、「ち、違うよ、そ、そんなんじゃないよ。」と、また吃ってしまうので。皆は、デクのことを褒めないように褒めないようにと、かえって気をつかうのだった。
おしまい。
-宮沢賢治に捧げる。