つぶやき2021.8.30-9.26
いつからか人生に喜びがあるふりをしているだけである。ふりをしていれば錯覚して楽しくなるかと。感ずるところが無いわけではない。もともと人より感受性が強い。ありがたいことだと思うようなことは日々ある。だがわたしの心の半分は死んでいる。一切皆苦だ。一切が皆苦だ。
怒りが受動的なものであるのは恐らく間違いないだろう。
だからこそ自分では怒りを止めにくい。
怒る自分から距離をおくしかあるまい。
母親が昔よく言ってたもう1人の自分というやつだな。
自分をコントロールするには、自分を外から見る目が必要なのだろう。
人の人生は知らないが、僕の人生はつまらない。
中年男性が魚肉ソーセージを手にしても、そこにドラマは生まれない。
お昼ちょっと食欲が無くて。
和三盆 ほうじ茶 フラペチーノ®
京都駅から歩いて行ける東寺に行ってきました。弘法大師ゆかりのお寺です。
五重の塔が立派です。
仏像も見応えがありました。男前の帝釈天さんの仏像(講堂にあります)とても良いです。観智院にある五大虚空蔵菩薩像も趣きがあります。
帰りは東洋亭の百年洋食ハンバーグステーキ
妻と二人暮らしの上、奥さんはリンゴとか限られた果物しか食べないので、イチジク小売りにしてほしい。
イチヂクがどうしても食べたくなり八百屋で買ってきた。4個200円。ついでに梨(幸水)も。豊水の方が好みだが、安かった。
美味しい。
空は秋っぽくなってきたけど、めちゃくちゃ日差しが暑いな。
梨もパックンと戴いちゃいましょう。
猫ちゃん、以前は蜂を見ると追いかけまわしていたのだが、落ち着いたようだ。大人になってきたのかな。(お腹を壊しているからばかりでは無い気がする。刺されて相手にしない方が良いとわかったのかも。)
奥さんのいない間に
いつからか、この世界に現実感があまりない。もちろん暴力に近い現実味というのはあちらこちらに散らばっているのだが。世界の何割かが仮想世界の出来事のように感じてしまう。半分夢を見ているようだ。夢を見ている間に残りの現実が絡まってわたしを絡めとる悪夢。
だるまさんが転んだ。目を瞑っている間に世界の様相が変わる。目を開けてため息とともにその日を乗り切る。また目を瞑る。その間に世界はまた様相を変え現実という質量を持った覆いをわたしに被せていく。いつの間にかその重みでわたしは不自由になる。
心に傷
RIP
明月来相照
Collage "Babe" Ruth
ベーブルースはとても やさしい顔をしている
母の作った折り紙の金魚を色紙に飾ってみる。
父の最期の頃、恐らく尿毒素が全身に回り聡明だった父が周りの出来事がわからなくなっていくのをみていた。治療用のチューブを外そうとするのだが、どうやら家に帰るつもりでいるのだ。なだめ落ち着かせてもまた少しすると帰ろうとする。人間最後は本能だけになるのだと思う。最後は選べない時がくる。
しかし、尊厳は死の間際まで持っていくことができる。
わたしは、それを知っている。
野党の与党を追及したい病は治らないかもしれない。私も腹立つことは多いから100%わからないでもない。しかしそれだけをしてても何にも良くならない。せめて与党追及組と本来の政策を考える組にわけたらどうか?既にそうなってるというならば後者の存在感があまりに薄い。むしろ後者をアピールすべき。
高市早苗はほんまに勘弁してほしい。
立憲民主党のアベノミクスの検証、まあそうやろなってとこに落ち着いたな。
失敗の本質って本、僕は知らないけど、直感的に沢山の日本人が読んだ方が良いんだろうな。
わかる。
ワクチンも行き渡ってきた今、後遺症に対するケアに取り組んで行くべきだろう。すごくドライな見方をしても製薬会社が取り組むべきメリットはあるだろう。コロナ後遺症によるQOLの低下は深刻だ。奥さんの友達にも苦しんでる人がいる。
味覚障害・嗅覚障害だって馬鹿にできないだろう。ご飯を食べて美味しさを感じられないって、どれほどのQOLの低下だろう。
味覚や嗅覚のレセプターの問題なのだろうか?その手の神経細胞に関する過去の研究から、治療薬の候補は見つからないものだろうか?
ちなみに、鰻にかける、あの山椒は味覚を一時的に高める。
Stephen Shore
Jeff Brouws
William Eggleston
Dmitri Cavander
Hans Hofmann
Sabine Weiss
Gianni Berengo Gardin
仲間に置いてけぼりにされた宇宙人みたいな寂寥感がある。
学生時代に両親から貰った一万円札。最後の一枚。どうやら使わなければならない時が来たようだ。使わない間に旧札になり今度はまた新札が出ようとしている。時は過ぎゆく。時間が止まったように生きているのはわたしだけかもしれない。
サンディでお菓子をいっぱい買ってきた。サンディでお菓子をいっぱい買うのは貧乏人の証拠だと思う。
久しぶりに桑原茂一さんのパイレーツラジオ聴いてみた。
これ田舎にあったかなあ。
人のために生きてる人も結局自分のために生きているのでしょう。
自由かはさておき、人は自分の行動原理によって、行動を選択します。
ある意味、不自由なことでもあります。なるべく自由になるためには頭を柔らかくすることです。こうあらねばというのは観念ですから。良し悪しに限らず。
わたしの場合も、親の生き方は、わたしの中に抗えないものを形成しました。
これだけまともに育てられたんじゃ、カッコ悪い生き方はできないというものです。
何がカッコ悪いのかは、両親の価値観にも影響を受けています。背中を見て受け継いだものです。もちろんわたしのフィルターはかかってますし、その後愛すべき友やパートナーから補完した部分もあります。
欠落は埋められないってそうかもなあ。
昔受けた欠落を埋めるように残りの人生を過ごす人っているね。
昔買えなかったものを買い続けるとか。
俺がどうなのか知らんけど。
可愛いところでは、うちの父親バナナをよく買ってたなあ。子供の頃は食べられなかっただろうからね。
聖徳太子が10人の話を同時に聞いたっていうのは、10人いっぺんに喋った言葉を聞き取れたって意味じゃなくて、10人の言い分に対して誰の異存もないことを回答したって意味でしょうね。
若い頃は100点にブラッシュアップしようとして、アカンかったなあ。
若い内(経験が浅い内)は100点なんて取れないのにね。
いぶりがっこタルタルソースか。いぶりがっこにはクリームチーズの方がいいなあ。
ソースにカラシ、タルタル、マヨネーズに一味、塩にレモンと色々あるが、一度、アジフライにブルーチーズを乗せて、蜂蜜をかけて食べてみたい。何なら甘柿をスライスしてトッピングしてもいい。
カマンベールにトリュフでもいい。
彩雲堂のお菓子
めちゃくちゃ久しぶりに野球見てたらサイクルヒットが出た。
海外に比べて競争力が無い、多くの人の生活が以前より豊かで無くなっているなど、これまでのやり方が良くなかったから、そうなっているのだ。政治家にしろ、経営者にしろ、転換すべきは方針を修正したり、調整をしなければならないだろう。
原因を抽出する場合に、過去の自己肯定をしていたら、真相を見誤る。いつまでも改善しないのは、そればかりしているからだろう。
これまでの延長どころか、その強行策を推し進めようとするのは、余計に事態を悪化させる、愚の骨頂以外の何者でもないだろう。間違った方向に舵をとるな。
当然悪いところだけを見ろと言っているわけではない。分析というものは客観的であらねばならない。
結論ありきで分析(や統計)を利用しようとする者があるが(だから本質的な改善がないのだ)、正しい策を打ち出すためには、分析(や統計)は、客観的であらねばならない。
糸井さんの喘息の話じゃないけど、人間長いこと疾患を患っていると、お医者さんよりその病気のエキスパートになる。(自分で調子の悪さをコントロールできるようになる。)
人生と思っていたものは、ただの悪夢ではないのか。
・夢自体が、「受け容れられること」と関連している気がする。
受け入れられない夢ほんとよく見る。
・珍しいタイプの夢を見た。契約か何かに関わる文書の誤りをロジカルに指摘し相手に訂正を迫る手続きをする夢。珍しいというのは、夢というのはどこかちぐはぐな整合性の取れないようなところがあるものだが、完璧にわたしの辻褄が合っていたところ。まじめか。
・システムの数字配列に400個の間違いがあるのに気づいたがどうにもできそうもない夢を見ました。おはようございます。
・正解を出しても間違いと言われるインチキな夢を見ました。夢の中でそのことをずっと考えていました。
・目を覚まさないなら永遠に寝てなさい
#今日の決めゼリフ
帽子をしまう場所がないので、壁に掛けることにした。
何かが欲しい、という思いをキープするのは、その何かが今の自分には無いという無力感をキープする事で、それはとても難しい。
というナレーションが、妙に頭にこびりつく。
9月19日 月が綺麗だ。涼しくなってきたけど、まだガリガリ君食ってる。
起きぬけにものすごいことに気づいてしまった。いや、気づいてる人はいるんだろうけど。
一つ悟った。
政治、経済、宗教、芸術、恋愛、孤独、福祉、嫌がらせ。人間の活動の全ては、たった一つのことで説明できることがわかった。
先日、人間の全ての活動原理はたった一つのことで言い表されると言った話、単純な単語で言い表すことができずにいたけど、今日の水野さんのブログを読んで、広義の「欲」という言葉で言い表されるかもしれないと思った。
そう聞いちゃうと、なあんだ。と思うかもしれないけど。底が無いほど深い話だよ。
相手の方が分が悪いと勝負してもらえないことはあるよね。
四球。四球。四球。
大谷翔平選手が少年達の夢なら、大リーグは誰の夢なのか。
わたしは7-8割の人とはやろうと思えば他の人より上手いくらいにやりとりも協業もできると思っているのだが(事実してる)ごく一部の人から人間離れした嫌がらせを受けて恐らく会社の人事評価もマイナスだし人生のデメリットがもの凄い。ここをクリアできないと将来条件の良い仕事などないだろう。
条件の良い再雇用など、すべてコネである。若い時は、実力ではなく、コネでどうこうというのが大嫌いだったが、おっさんになるとわかる。人間関係はすべてコネクションだ。
自分が人を紹介する立場なら、8割の人とすごく上手くいく人より、全ての人と卒なくやれる人を推薦するだろう。そんな話を奥さんとした。だからあんた仕事無いよと。
友達選びならともかく仕事なんてそんなものだろう。
フランスとかのヨーロッパの文化は分からないところが無いとウケないとか聞いたことがある。日本もエヴァンゲリオンみたいなものはそういう謎が好まれたりするけど一部であって。マジョリティには全て自分のわかる言葉で述べられてどこか馬鹿にできるところがないとウケないんだと思う。
和田アキ子さんのYONA YONA DANCEは、音楽わかってる人にリミックスもしてもらって、12インチを切ったら良いのではないか⁉
キャンプにも行かなくなったし、今年初鮎。鮎好きやわあ。
武田久美子の写真集、リアルタイムのわたしは、ホタテは無いよな。と思った。マジョリティだったのだろうか。マイノリティだったのだろうか。
知らんがな。という声が聞こえてきそうだ。
ホタテ水着と言えば、安岡力也と言うデマを流しても、デマと気づかれないほど時は過ぎたのだ。恐らく。
#なうすぴにんぐ 。
過去にもツイートしたが、好きなアルバム5本の指に入る。DICTIONARYで竹村さんが推薦してたんだったか。
癒される。軽い言葉じゃなく。
このアルバム、確か。ダグ・カーンがイスラムに改宗?したかで、イスラムの名前で出している。
タリバンがどんなに綺麗事を言おうと、音楽を弾圧する宗教など本来無いし、そんなものがあるならそんなもの捨ててしまえ。と思う。
そもそもコーランが「うた」ではないのか。と、僕は、思っている。
ちなみにイスラムの音楽といえば、ヌスラットファテアリハーンも素晴らしい。
なうすぴにんぐ。
ブラジルのファンクバンドの唯一作。1978年。ファンク、スロー、ダンサーどれも良い。なかなかの好盤でお勧めです。ジャケ写もタマりませんね。オリジナルは数万円かな。これは2015年のヨーロッパ再発。
ちなみにジャケの人モデルじゃなくてボーカルです。
なうすぴにんぐ。
ヒップホップのアルバムとしては個人的上位にランキング。Qティップの家が火事になりかなりのレコードコレクションが燃えたと聞いたことがある。これは後にトライブの音楽性に影響を与えたのではないかと推察している。まあ火事が無かったらこのアルバムは生まれていないのだろう。
なうすぴにんぐ。
戦争反対。
フリージャズ的アプローチが垣間見れる作品だが、もちろんフリージャズばかりではなくて、ところどころ、とても演奏が美しくて、泣きそうになる。
興奮とかじゃ無いんだよね。とても静かに、何なら何の感情もないくらいで、涙が流れている。
歳を取ると、そんなことが多くなる。
命に関わるような問題からは今すぐにでも離れた方が良いが、人災みたいなことって、どこ行ったって、同じようなこと、多かれ少なかれ、またあるんだよね。似たようなことは、どこにでもあるから。
自分の対し方を整えていく方が、本質的な問題解決に近い。という話。
人や生き物の死を何度か経験すると、いなくなったあとも、その気配というか存在が漂っているのを感じることが、しばしばある。
龍角散の粉っぽいの昔から好き。
めちゃくちゃ幼かった頃、母親がそこに砂糖をまぶしてくれた気もするんだけど、長い年月をかけて勝手に私の頭の中で捏造された記憶かもしれない。
龍角散、もともと少し甘みみたいなのを感じるしね。
母親が色々送ってくれた。
今夜は鰻。and 巨峰と人生初シャインマスカット。
ご馳走さまです。
絶対に笑ってはいけない。始まったばかりの頃はほんまに腹抱えて笑ったなあ。まだゲストもあまり出てなかった頃。
一つの時代が過ぎたのだなあ。
ファクトフルネス。読んでないのだが、流れてくる情報を読むと、論旨は、世界は少しずつ良くなっている。ということなのかな?
ラーメンに胡椒を一振り。昔はこの胡椒で国が動いたり争いが起きたのだろうか。
悲観論者でも楽観論者でも無いけど、世界は少しずつ良くなっていると思えたなら、それは素晴らしいファンタジーだ。
銀河鉄道999は好きだったし、子どもの頃映画も観て、ゴダイゴの主題歌のドーナツ盤も買ってもらったが、鉄郎がなぜ機械の身体を欲しいと思ったのか、その頃からわからなかったし、たぶん僕には死ぬまでわからない。
松本零士作品は、ヤマトも好きで、その一つに、子供心に女性キャラがとても魅力的に見えたことがあるだろう。根が女性好きなのか、気に入る漫画のほとんどが魅力的な女性のいる漫画だ。
しかし、この人達はなぜ戦っているのか僕にはよく分からなかった。
大人になった今も、なぜ人は争い、戦争をするのか、ほんとうのところ、僕にはわからない。
もちろん、人を憎むほど悲しかったことは何度もあるけどね。
そうなんだよな。
権威大好き人間と上手くいかないんだよな。
別にあんたの権威脅かすつもりもないんですけど。
発端はなびかないのが気に食わないのかね。
かまってちゃんはめんどくさくて嫌い。
私は自分自身から権威という権威を取り払うように生きてきた。
するとやっぱり馬鹿にされたように扱われることが多い。
後悔するほどでは無いが権威に左右される人って思ってたよりめちゃくちゃ多いのだということはようわかった。
程度問題というか致し方ないところはあるのだろうが、ベースがそういうとこじゃなく人と接する人にしか、自ら親しみたいとは思わんな。
当たり障りのない会話くらいならするけど。心の友にはならんわな。
鬼滅の刃には共感しても人間には共感するとかしないとか。
極限状態における人の生き方くらいしか他人には心を動かさないのかな。
人が極限状態になっても無関心そうだけど。
人間なんてモモーモモモモモーモー
燃え殻さんの小説読了。燃え殻さんの本は読み終えるのが惜しくてこの本も2ページ読んでは閉じたり。1ヶ月ほどかかり夏も終わった。初めから終わりを予感させる物語が終わらないことを祈るようにして。それでも物語は夏のように終わってしまう。それでも暮らしは続いていくのだろう。これはただの夏。
箱入り息子
こういうものが美味しい季節になってきました。
この辺で。