でかいたてもの。地中美術館で建設現場のせめぎ合いを想像した。
東京はあちこちで再開発が行われてて、大きいビルの工事現場をよく見かける。だいぶ前に大阪の梅田駅周辺の工事中の風景も上から眺めた気がする。
私は日本の建築現場や工事現場の整然と整った風景が大好きで、美しく積み上げられた資材、安全に人の流れを誘導する配置、道路工事でアスファルトが垂直に切り出されているのを見かけると「ヤバい技術!」といつも惚れ惚れと感心する。
「日本の建築現場の美しさ」に気づいたのは、2012年から1年ちょっとベトナムに滞在したことがきっかけだった。
ホーチミン、ハノイそれぞれに半年ちょっと滞在していた時、バスや車で移動中に見かける建築現場や工事現場が雑然としていて、建物の基礎や骨組みの組み上げがバラバラでスカスカに見えるのが気になった。
大きい構造物は、塀やネットなどで保護されてそれなりの風景だったが、普通の家を立てているところは、手前に瓦礫か資材かの区別がしにくい土や大きめの鉄屑が積み上げられ、裸足で上半身裸の若い職人さんが作業してた。
建築の知識はないけど、日本の風景とは随分違うなといつも建築中の建物に気づくと眺めていた。
もちろん、10年以上前だから今はベトナムの建築現場も変わっていると思う。
その後、日本に戻ってきて2016年11月に九州博多駅前で大規模な道路陥没事故があった。
大変大きな事故でかなり問題報道された。私は、もちろん事故は大変だと思ったが、陥没した地中で整然と横に配置されている各ケーブルの映像を見て「陥没事故でも整ったままですごい!」と衝撃を受けた。
地中に余計なゴミなどが混ざってもいない、地面が陥没して、水がはけたらケーブル類をすぐ補完できる。きちんと設計されて管理されている事と、一部の陥没だけだったから、とても復旧が早かったんだと思う。
建築物を最初に「意識して」見たのは、大学の現代美術分野の芸術学の授業で「都市の中のミニマリズム」を探して提出するという課題だった。
確か、テキストレポートでも、写真でも形式は何でも良いとかで、写真を撮って提出するために東京都庁舎(丹下健三設計)を撮りに行った。
都庁舎や大きいビルは同じ大きさと形の窓やタイルの配列で作られていて、構成パターンを約分していくと基本になる数パーツがでてくるから、たぶんミニマリズムのミニマムってコレかなぁなどと考えた。
その頃から、建築物の構造パーツをぼんやり見るようになった。
大学卒業してから数年後、企業のシステム部で仕事をする機会があり、システム開発運用の上流から現場運用の中にいた。
大企業のシステム開発や運用管理の業界は、下請け、その下請け、また下請け…のような構成で色々な会社や職能の人が出入りしながら、大きいシステムという構造物を造り、その構造物の利用を受け継いでいく。
当時、システム開発現場で使われる用語の理解も乏しかった私は、ネット上のネットワークやシステム開発系メディアを片っ端から読んでいた。
で、何かの記事の中に建築業界のJV(共同企業体)とシステム開発やIT業界の構造は同じと書いてあり、その構造体の類似性を考えるようになった。
企業のシステム開発業務や、その後に就いたWebシステム構築を含めたWeb制作業務でも、JV構造を作る各レイヤー組織との意図の確認や意識合わせは大変で、工程の最後の方での仕様大ドンデン返しやリリース後の調整も多く、「ピシッと収まる設計ってどうやるのよ?」などよく考えていた。
そんな頃、アートサイト直島の「地中美術館」に行った。建物は安藤忠雄の設計。
展示作品はモネの大きい睡蓮、タレルのオープン・スカイ、オープン・フィールド、ウォルター・デ・マリアのデカい球体…など。
展示作品が置かれている空間全体で「美術館」という作品が成立してる。
「この美術館、とんでもなく作るの大変だったんじゃね?」
と、ハタと気づいたのはウォルター・デ・マリアのデカい球体と窓枠や入口の幅の狭さを見てた時だった。
「あれ?地中美術館の作品の搬入タイミングってどんな?」
窓枠も入口も狭くて、ウォルター・デ・マリアの球体は建物完成後では入らない。
ウォルター・デ・マリアの部屋を見ている時に、地中美術館の内壁コンクリートブロックは全て高さが同じなのだが、作品とのバランスを考慮してこの部屋だけ少し大きく設計されたという説明を聞いた。
そんな説明を聞きながら、あれ?窓枠のような木枠も球体より狭いし、入口の幅も…と。
ざっくり、建築物の竣工=Webサイトのローンチと捉えて考えて、壁紙や什器や家具、インテリアの類はコンテンツで、テキストや画像のあしらい、写真などの入れ替え可能なものだと思っている。
商業施設のテナントも入れ替え可能なパーツ、というか、テーブルにまとめられたデータのような印象を持っている。実際、最近の商業施設のテナントは既存店舗DBありきで組まれてる気がする。
地中美術館のモネの部屋は照明が暗く、外の睡蓮の池を室内からまったり眺めるような、柔らかい空間で部屋の角が丸い。角R25mmみたいなアール。
ジェームズ・タレルのオープン・スカイとブルーの光の展示室はとにかく、直角。気持ち良い直線、水平、直角。オープン・フィールドの方は中に入って、水平、垂直など、体の上下左右の感覚を消す部屋。
ウォルター・デ・マリアの巨大な球体は階段の上で、天井から差す光を反射しながら、祭壇上の何かのように鎮座ましましていた。
部屋にあった木枠は記憶の中で窓枠かと思ってたが、金箔木彫りのオブジェだったらしい。四方は壁で、オブジェと同じ幅と高さくらいの狭い入口。
地中美術館のウォルター・デ・マリアの部屋にいた美術館スタッフの方に、美術館の建築と作品搬入はどう調整したのか、建設に関する本はないか聞いてみた。
「本は無いのですが、安藤忠雄さんと各方面の方々がものすごい、擦り合わせを重ねたと聞いています。」
地中美術館に行ったのが2010年頃だったので、もう地中美術館プロジェクト本とかあるかもしれない。
各部屋に入るデカい展示作品用の設計、作品の保管や搬入と美術館の建造を同時に進めたんじゃないかなぁ?と想像して、どんなハードなプロジェクトXだよと驚愕した。
デカい建造物は計画時に地質調査から始めてるみたいだし、地中美術館はその名の通り、地中に埋まってるような造りで、広い土地にシンプルに建物作るのとは違う調査や対策が必要なのではないか?
資材や機具の調達や、工期&費用を考えると、PCとマンパワーでエイヤ!のITやWeb業界では、考えられないシビアさだろうと。
地中美術館で建築設計と現場の葛藤の分厚さを勝手に想像してから、ビル建設の大きい建築現場から道路のメンテナンスの工事現場まで「すごい工程の組み合わせ」で緻密に動いてるんだろうなと見るようになった。
汎用性高くモジュール化された人の仕事も「都市の中のミニマリズム」だったんだなと、社会に出て長年モジュールの仕事をしながら気づいた。
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