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「スピ」に振り回されないで、うまく付き合う方法…とは?

数週間前から、2024年8月14日は「南海トラフ地震がくる!」と占い、スピ、予言クラスタSNSが賑わっていて、そんな本日、2024年8月14日「占い」や「スピ」と呼ばれる第六感的感覚について考えている。

私は星占い好きなので、毎週星占いの記事などを読んで「ほぅ、ほぅ…」とその週の指針とか、時期のムードを把握して、なんならラッキーカラーやアイテムを使って気分をアゲている。

海王星が魚座に…、冥王星が水瓶座に…とか、黄道の移動周期が長い惑星が云々という西洋占星術の記事は気にして読む事が多い。国際関係や時代のムードの変わり目などの歴史的な出来事とリンクしてるようにも思うので。


星占い、占星術を通して、自分という小さい生き物の身体から、天体の動きをみる時、自分が身を寄せている宿主のモノという感じがあって、でかい生命の中に取り込まれ「生かされてる」感がある。

自分の意思ではどうしようもない事、天候や環境の変化を観察してより安心して生きる術、東洋でも西洋でも占星術は暦をベースにした生活指針のように思う。


占星術は日、月、年を軸にしていて、日を捉える時には月という惑星を、月を捉える時は太陽を、年を捉える時は春分からの太陽の軌跡をみている。

西洋占星術では、自分の性格を現す重要要素は3つで、アセンダント、月、太陽。

地球の自転において、自分が地球に誕生した時の春分点が黄道十二宮どの星座の位置にあったかが、アセンダント。これを正確に出すには、生まれた場所の緯度経度、誕生時間が必須。

アセンダント星座はその人の行動スタイルを象徴する。車でいうなら、セダン、スポーツカー、ファミリータイプのワンボックスで何色か…用途やライフスタイルでどんなチョイスするかっていう、個性の感じ。

次に月。地球から見て、月という惑星は黄道を毎日動いて、その位置、宮を変えていく。自分が誕生した時に月が黄道十二宮のどの星座にいたかが月星座。

月星座は精神面、内面、性格を象徴する。車なら運転するドライバーの性格って感じ。

一般的な星占いの「星座」は太陽で、自分が誕生した時に太陽が黄道十二宮のどの星座にいたか。

太陽星座はその人の行動のベースを象徴する。車ならエンジン。エンジンや駆動系、動力源や仕組み、メーカーや車種によって音や癖が違うとかそんな感じ。


この3つの他の惑星も割り出し、さらに黄道十二宮の星座の中でどの角度にいたか(ひとつの宮の角度は0度から30度)も割り出し、その人のホロスコープができる。

恋愛傾向や結婚、社会的志向は金星や木星など別の星が示すことになるのだが、この自分が産まれた日のホロスコープをネイタルチャートと称して、占い対象の個人の特性を現す地図のように扱われる。

各惑星の位置、惑星同士の角度や十二宮のシンボルとされるものとの調和加減から個人の性質を分析する。

また、十二宮の始まる位置(地球の自転位置と春分点できまるアセンダント)誕生時間で変わるので、同じ日に産まれていても、ホロスコープという地図の盤面は微妙に異なる。


さらに、産まれてから今に至るまで、やはり毎日天体は動いていて、今日の天体の位置がある。

現在進行中の天体位置の地図をトランジットチャートと称して、今日の天体の位置と自分の産まれた日の天体の位置の調和不調和で「運勢」を推察する。

例えば、月はひとつの星座に2〜3日程度しかいない。その月が今日、黄道十二宮のかに座の位置にいて120度の調和する良い角度とされる位置、自動的にさそり座かうお座なんだけど、にあって、さらに木星も鎮座してたとする。

木星は幸運の星とされているので、吉角の位置に星を持ってる人は良い影響を受けるだろうとされて、「今日はかに座の人、運勢第1位です!」となり、この場合、2位、3位はさそり座やうお座が来る事が多い。

いちばん重要視される太陽の位置や、恋愛は金星、コミュニケーションは水星、勝負事は火星などのシンボル要素の角度やその惑星がいる宮の星座との相性などを鑑みて分析、判断されていると思われる。


太陽星座だけでは本当の意味での「占い」というか、個人のコルサルテーションはできないのだけど、「星占い」というものを捻り出す源泉には、理屈、理論がある。

何千年も前に確立された、天体観測からの、暦や時間の概念から体系化されたものが占星術、星占い。

生まれた時季や場合によっては場所から出した「星」でカテゴリ分けするのも、寒暖や日照量、生育環境の差が個体に影響するからではないかと推測している。

天体の動きはある地域の気候や環境、風土に影響を与えるので、人の心身になんらかの特徴をもたせても不思議ではない。

日本の節句は中国の五行などが日本の風土にあわせて変容してきたものだと思うけど、伝統的な節句のお菓子や食べ物は、質素な昔の生活の中で、旬のもので「滋養」をつけて厄落としのプラセボで「生気」を養いが、心身に影を落とす「魔」を避けるための智慧ではないか。


私は小学生の時「My Birthday」という雑誌にハマり、その雑誌に寄稿している占い師の著書、紹介されているあらゆる舶来物の神秘的な本を図書館の実用書コーナーで探して読み漁り、思春期前にキラキラスピ世界の基礎知識を喰い散らかしたので、前述した占星術に関しての内容はそのような知識からのもので、まぁ、そこそこ知ってるほうだと思う。

天体や宇宙や地球の自然の写真、美しい絵画イメージが好きという延長線の欲求だったのだけど、子供だったので広く浅くの吸収力が半端なかった。

小学生ながらいろいろな本を読み「My Birthday」という雑誌もその雑誌から刊行された占いや神秘的世界の本も、源流や理論について細かく記されていたのを覚えている。

西洋だけじゃなく、東洋系のものや心理学、夢、ユング心理学からの精神分析などに関わるものの基本にも触れられていた。

占いの雑誌で読んだいろいろな内容を通して、なんとなく把握したのは「因果」で、先天的なものと後天的な環境要因の掛け合わせで、毎日の自分が出来るんだろうなって事だった。

環境要因には、時代や場所、夫婦関係や親子、友人とか人の関わりもあって掛け合わせて生じる結果のバリエーションは、まさに天文学的な数になる。

その天文学的な数の可能性が常に同時に存在しているので、ほんとうに先の事なんてわからない。
神さまや仏さまは知ってるかもしれないけど、人は自分の周りの事象のちょっとした事に絡め取られて揺れ動くので、「占い」でどんな予言があっても、結果は確定ではない。


今日、南海トラフ地震が起きるという話や、そろそろ来るだろうという不安からの話題は、出処とその根拠がわかれば、もっと現実的な予測や対策が立てられるかもしれないが、ひとことにまとめられた言葉やムードに踊らされている感がある。

スピリチュアルは精神の霊性を指す言葉だと思うだけど、表現された神秘性を面白がり、その小手先の雰囲気に遊んで、石だのお守りだのに遊ぶと「スピ」になる。

石やお守りが悪いとは言わない。ただそのようなアイテムは自分自身への誓いや指針、先祖、先達の意思や想いを受け継ぐもので、手にしてからの日々の「祈り」のようなものとともに育まれるもので、お金で買うスピものはそこから、自分の行動を固めて育成する相棒的な役割と考えた方がいい。

おばあちゃんが肌身離さず懐に入れていた、おじいちゃんに買ってもらった夏祭りの500円の指輪を自分の恋人に受け継ぐようなものが、安心して拠り所にできるお守りになる。

誠実に、正直に、その人がその人の日々を生きていて、先祖から、土地から何かを受け継いでいくというのが、本来の人の叡智としてのスピリチュアル世界の前提条件にある。


より良く在りたいなら、簡単に表された言葉や良さそうなムード、そこにないキラキラしたイメージに巻き取られないように気をつけたい。

自分の先は自分の行動の延長線上にしかいないので、「スピ」的な誘いがあったとき、それが何を言っているか、自分が何をするのか、本当にやりたい事か、出来る事か、その集いは安心できるかなど、時間をかけて吟味した方がよい。

占いの結果通りの選択をしたら、自分の目前に輝く世界が広がるって事はない。

この神さまや仏さまを拝めば現世利益があるとかも、不安や欲は自分と周囲の環境変数関係の掛け合わせで天文学的に、瞬時に変化していき、与えられた利益に気づかないかもしれない。

何年、何十年も「スピ」を考えながら、自分の生活をしていく事で、自分自身の霊性、スピリチュアル的な世界、内面や精神世界に安心して触れる事ができるようになる。たぶん、そんなもん。


今現在、東海地方の地表から深い深い地中で何かが動いてるかもしれないけど、気温や雲とか環境条件で地表にはなんの変化も起きてないのかもしれない。

自分の身体と経験で生活ができているので、自分に今起きている事実と自分ができる事を最優先に考えるのが一番重要だと思う。

身近でシンプルなスピリチュアルとともに。

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