断層 in Japan ①
1964東京五輪の頃、私は小学校に通っていた。
マジメであれ、やんちゃであれ、基本親がまだまだ怖かった時代だ。
そして、運動一番、勉強一番、ワル一番を中心に、それぞれの領域担当の子供たちが群れをなし、お互いを意識しつつも、まあそれはそれである意味妙にバランスのとれた時代だった (→もちろん、鳥瞰図的視点からの個人的感覚・イメージの産物に過ぎないのかもとはそれなりに意識した上でだけれど...)。
1970大阪万博の頃、私は中学生になっていた。
高度経済成長の仕上げ段階とばかりに、日本列島全体が揺れていた、少なくとも私にはそう思えた。
まだまだ、日本人はあくまで日本人としての同質性を保ち続けていた時代だった。
翌1971年8月末、1ドル=360円体制は終わりを告げ、1973年のオイルショックをもって日本の高度経済成長は終わりを告げる。
え~、まずは、戦後(1945~1955頃まで)闇市(1949辺りピーク)に始まり、朝鮮戦争(1950~)特需による日本の高度経済成長(1954~1973)へと続く流れを掴まえられたらって、う~ん?、これっていつの間にやら現代社会の授業に突入か~い、え~っ( ̄□ ̄;)!! (^^;汗&汗 ではでは
(つづく)
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