自分史⑦(大学その②)


1.治療スタート

 大学1~2年生の頃から,千葉のメンタルクリニックに通い始めました。だいぶ昔の話なので,何をいつしたかは正直言って覚えていません。大学生のうちまでに行ったことは以下の通りです。

  1. 自分史作成

  2. 身体的性別の診断(産婦人科による染色体検査,ホルモン検査,身体所見)

  3. 精神科医2名の診断

 部活を引退するまではホルモン治療をしない予定でいました。結局,ホルモン治療は社会人になってから始めました。


2.とりあえず就活

 大学生になり,色々な業種のバイトをしました。1番長く続いたものは教育関係のバイトでした。バイト先にカミングアウトする勇気がなく,戸籍上の性別で働いていました。周りの人はなんとなく察している様子がありましたが,特に何か言われることはありませんでした。
 大学3年生になり,就活の時期となりました。大学進学の時と同じように私には何がやりたいのか決まっていませんでした。この頃は社会に出るのが本当に怖かったので「20歳になったら死のう」と考えていましたが,そう簡単に死ぬことはできませんでした。教育関係のバイトをして,教員への憧れも蘇ってきたのですが「性同一性障害である自分が教員になんてなってはいけない」と思い,教採を受けることは諦めていました。自分の興味がある分野や有名な企業をとりあえず受けることとしました。ここで悩んだのが,どのスタンスで就活するかということです。私は以下のパターンで受けてみました。

  1. メンズスーツ+ネクタイで履歴書の性別欄に戸籍上の性別を書く

  2. メンズスーツ+ネクタイで履歴書の性別欄に「男」と書く

  3. レディーススーツで履歴書の性別欄に戸籍上の性別を書く

 受けた中で1番多かったのは1のパターンでした。性同一性障害であることを備考欄に書いたり,面接時に話したりしましたがどの企業も1次面接で落ちました。2のパターンで受けた場合は,最終面接まで選考が進んだ企業もありました。しかし,隠しておけるものでもないので面接で話すとやはり不採用を言い渡されました。
 何十社もの企業を受けましたが,どの企業も全て不採用な私。一方,私よりも少ない企業を受けすぐに内定をもらう同級生たち。周りと自分を比べてしまい,この頃は本当にしんどかったです。「自分はこんなに頑張っているのに,なんで周りの人ばかり上手くいっているんだ」とどす黒い気持ちを抱えていました。
 そんな気持ちを抱えていることを周りに悟られたくなかったので,平気なフリを続けていました。しかし,当時のゼミの先生(カミングアウト済)には見抜かれてしまったのです。人前ではあまり涙を見せないようにしている私ですが,この時ばかりは大号泣し自分の胸の内をゼミの先生に話しました。ゼミの先生は「性同一性障害とか関係なく,私はあなたの人として良いところをたくさん知っている。けれど,選考という場では見た目だけで判断されてしまい,あなたの本当の良さを企業は分かろうとしないと思う。またあなた自身が自己PRで挙げている点は,少し違うと思う。私が思うあなたの良いところは…」と励ましてくださいました。ゼミの先生の言葉を受けて,自己分析をもう1度やり直しました。
 この後に私は,実験を兼ねて3のパターンで数社だけ選考を受けました。レディースのパンツスーツにパンプスを合わせて臨みました。この格好をしている自分がものすごく気持ち悪かったです。選考はあっという間に進み,どの企業でも最終面接まで進みました。ですが,実験で行ったことなのでどの企業も最終面接で辞退しました。
 見た目のこともあるかもしれませんが,今以上に自信がなかった私は自己PRも上手くできなかったのかもしれません。色んな部分で覚悟が足らなかったと思いました。


3.人生で1回くらいは

 就活と同時並行で教育実習がありました。私は4週間の帰省実習でした。私は母校の高校で実習しました。体育実技や保健の授業の準備を毎日遅くまで行っていました。当時の私は指導案の書き方すら分からなかったので,手がかかったと思います。また教採を受けないことも公にしていたので,指導教官の先生は本当に苦労なさったと思います。授業はほとんど指導教官の先生の真似でしたが,話し方や板書が少しずつ上手くなっているのを実感しました。生徒たちと話すのも本当に楽しかったです。4週間は長いと思っていましたが,実際やってみるとあっという間でした。就活が上手くいっていなかったので,教員という道も考え始めました。大学4年生の3月には地元で講師の話をいただいたので,「人生で1度くらいは教員になってもいいかな」と思い引き受けることとしました。


 就活は真正面から行きすぎて上手くいかなかった感じがあります。「もうちょっとうまくやれよ,当時の自分!」と今なら思います。就活も最終的には業種を絞り,教育関係の企業を受けまくっていました。
 教育実習の部分は短めに書いていますが,この経験がなかったら私は教員になっていなかったと思います。それだけ自分の人生の中では大きな出来事でした。

 大学生編はここまでです。次回は社会人編を書きます。

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