自分史⑫(教員その⑤)



1.覚悟

 「嫌われるのが怖いなら,教員なんて目指すの辞めたらいい

 この言葉は教員としての私の原点です。講師時代の私は生徒に対して自分の意見を言えず,注意すべきところで注意もできませんでした。そのことを先輩の先生に相談したところ,この言葉をかけられました。

 私は争いごとがあまり好きではありません。事を荒立てなくないので,自分が悪くなくても謝ってしまったり,黙ってしまったりすることがあります。しかし,教員は生徒の成長のために,時には言いにくいことも言わなければなりません。教員としての私は「言わなければいけない時には言う」ということを意識して生徒の前に立ちました。1回話したとしても,なかなか浸透しません。それでも生徒が「いつか気づいてくれる,分かってくれる」と信じて言い続けるのです。


2.存在し続けること

 「担任はとにかくクラスにいるだけで良い

 教員として勤めてた時はクラスを担任することが多かったです。私は自分の中で1番得意というものがありません。何でも適度にこなせるので,何でも中途半端です。周りの先生方はそれぞれ自分の得意なことを生かして仕事をしている中,私は特にこれというものもありませんでした。自分のクラスよりも他の先生方のクラスの方がよく見えました。周りと自分を比較し,すっかり自信をなくした私に先輩の先生がかけてくださった言葉です。さらに「休まずに学校に来て,生徒のそばにいる先生はすごいですよ」とも続けて話していただきました。この言葉を聞いて,自分の存在が生徒のためになっている自信につながったし,自分自身も「何もできなくとも,なるべく生徒のそばにいよう」と思うことができました。


3.なんでもないことが幸せ

 10数年間の教員人生でしたが,多くの方との出会いと別れがありました。思い返してみると,ただの日常の中に楽しさや幸せがあったと実感しています。
 
 互いに愚痴り合い腹を抱えて笑ったこと。お菓子を食べたり,ご飯を食べたりしたこと。辛いことがあっても親身になって聞いてくれたこと。一緒にスポーツをしたこと。授業や行事に必要なものを一緒に買いに行ったこと。授業や行事について一緒に考えてくれたこと。 

 楽しいことも,辛いこともたくさんありました。ですが今実感していることは,多くの周りの方々に自分を育てていただいたということです。未熟だった私が以前よりも少し大人になれたのは,周りの方々のおかげです。本当にありがとうございました。 


4.終幕

 私が勤めた自治体では3月末に教員の人事異動が公表されます。私の退職を聞きつけ,たくさんの方から連絡をいただきました。その中には驚きを隠せなかったり,疑問に思ったり,応援してくださったり,「やはり…」と思ったりなど様々な反応がありました。

 私自身,教員を辞めたことに対して後悔がないわけではありません。本当はもっと生徒たちと共に時間を過ごしたかったですし,先生方とも一緒に働きたかったです。退職後に,様々な職場で私のセクシャリティに気づいていた方がいたことを聞きました。そして「気づいてはいたけれど,聞きにくかった」という話も聞きました。

 私がもっと早くにカミングアウトをしていれば。私がもっと上手く周りの方々と関係を作れていれば。わざわざ遠い地に逃げる必要もなかったのかな。私が望む姿で教壇に立てたのかな。

 今更考えたところであとのまつりです。悩みに悩んで決めたこの決断が,いつか間違っていなかったと思えるように私はこれからも生きていきます。今まで関わってきた方にとって誇りとなれるように。自分自身を誇りと思えるように。大きくなっていつか戻って参りたいと思います。


 自分史はいったんここまでです。お読みいただき,本当にありがとうございます。次回からは治療歴を書きます。


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