自分史⑪(教員その④)

 中学校教員として採用された私ですが,最後の年は特別支援学校で働きました。その経緯と勤務して感じたことを書きます。



1.退職か異動か

 私の自治体では11月頃に異動調書を書きます。そこに今後の自分の動向を記入します。自分のセクシャリティや人間関係(詳細は自分史⑨),教員の働き方に疲れ果てた私は,調書を出す前に当時の管理職に退職を申し出ました。もちろん理由を聞かれましたが,真の理由である自身のセクシャリティについては話せませんでした。結果,「前向きな退職なら応援するけれど,理由が曖昧すぎる。もう1度考え直した方が良い。」と言われました。正直言って前向きな理由でもないし,自分で話していても説得力を全く感じなかったので,当然の判断だと思いました。そこから私はなんとか教員として働く道を考えました。また,SRS(性別適合手術)についてもこの時考えていました。安定した収入と,しっかり休める時間も欲しいと考えていました。しかし,中学校に異動してもまた同じことの繰り返し…。何か他に方法はないかと悩みました。

 私は人生に悩んだ時によく占いに行きます。いつかの占いで,占い師の方に「特別支援には興味はないか」という話をされました。大学生の時に介護等体験で特別支援学校へ2日間行きました。その時の経験で特別支援は自分には厳しそうだと思い,視野から外していました。なのでその時は軽く受け止めていましたが,ふと占い師の方の言葉を思い出したのです。占い師の方の言葉を信じ,流れに乗ってみるのも良いのではないかと思い,私は特別支援学校への異動を決めました。


2.井の中の蛙だった

 今までの中学校では年数もそれなりに経験していたし,ある程度仕事ができていたと思います。異動先の特別支援学校は私が関わったことのない未知の世界でした。私の印象では,特別支援学校は「教育」という面はもちろん,「福祉」という面もとても強かったです。異動後,待遇面で良かったことは以下の点です。

  1. 定時で帰れることが多い

  2. 複数担任制

  3. 事務作業の軽減

  4. 休憩時間がある

  5. 土日休める

  6. 職員が多いため,まぎれられる

  7. 他校種と比べて,1日のスケジュールにゆとりがある

  8. 全ての年齢層の先生方が仕事を頑張っている

  9. 平日に休みがとりやすい

  10. 生徒指導がほとんどない

  11. 1人で困っていると周りの先生方が助けてくれる

 覚えることが多くてとても大変でしたが,中学校と比べて時間にゆとりを持てたので自分と向き合う時間がしっかり取れました。また,1つ1つの経験が全て自分の学びにつながったと実感しています。それは知識だけではなく,自分の考え方についてもです。自分がいかに井の中の蛙だったか考えさせられました。


3.バランスが取れない

 大学生の時に特別支援が自分に向いていないと思った理由はトイレ介助でした。通常学級であれば,生徒は自分で用を足すことができますが,支援学校の生徒の中には自分で排泄処理ができない生徒もいます。女性教員として配属されたら,同性の生徒のトイレ介助をしなければなりません。それがどうしても自分にはできないと感じました。

 異動した私への最初の洗礼もやはりトイレ介助でした。赤ちゃんのおむつすら替えたことがない私にとって,生徒の排泄処理は衝撃的でした。どうしていいか分からず狼狽える私に手を差し伸べてくださったのは,周りの先生方でした。先生方に何度かフォローに入っていただき,私は一人でもトイレ介助ができるようになりました。生理の介助もしました。最初の頃は狼狽えるばかりだった私ですが,慣れとは恐ろしいもので段々と「OK~」という感じに変わりました。

 異動先でも相変わらず戸籍の性別で働いていたので,着替える時は更衣室ではなく別の部屋で着替えたり,トイレも職員室から離れた校舎の女性用トイレを使ったりしていました。色々と悩む場面もありましたが,カミングアウトしていないので職場内では仕方ないと考えていました。

 私が退職を考えるきっかけの1つとなったのが,外出先の施設でのトイレ介助や宿泊行事での入浴介助でした。この頃私は既に胸オペを済ませていました。入浴介助は自分の身体を誰かに見られないか不安でたまりませんでした。当日は忙しすぎて他人のことなど見る暇もなかったので何とかなりましたが,とてもヒヤヒヤしました。また,プライベートでは私は男性として生活していました。外出先では常に男子トイレを使っています。ですが,仕事ではそうではいきません。「普段だったら男子トイレに入っているのに,なぜここ(女子トイレ)にいるのだろう」と思いました。女子トイレに入った瞬間,周りの女性の利用者の方の目が痛かったです。仕事とプライベートのバランスが次第に取れなくなっていました。


4.私らしく生きてみたい

 中学校の頃,「○○すべき」「○○でないといけない」という言葉があんなに嫌いだったのに,長年中学校で勤めていたら自然と私も「○○でないといけない」と考える人間になっていました。私が本当にしたかったこととは裏腹に,生徒をルールや校則の枠にはめ,同じ色に染めようとしていました。そんな私の凝り固まった考えは,特別支援学校での勤務で少しずつ柔らかくなってきました。
 
 生徒たちは本当に自由で,少し前に進んだりまた少し戻ったりしながら楽しく過ごしていました。生徒たちに対して先生方はいつも肯定的で,前向きな言葉をかけていました。そんな様子を見て,「自分も自分らしく生きて良いんじゃないか」と考えるようになりました。その瞬間,肩の力が抜けた気がしました。今まで必死になって頑張ってきた自分を許せたような気がしました。このことも私が退職を考えたきっかけの1つです。


 この話はあくまでも私が勤めた自治体,学校のことです。特別支援学校での経験で,今までの自分の視野がいかに狭かったかを思い知らされました。またSRSも済ませ,自分の今後についてもじっくり考えることができました。最初は支援学校への異動に対して正直に言って後悔と不安がありましたが,今となっては異動して心から良かったと思っています。

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