甲子園ベスト4の陰で… 打てなかったヒットと、高校野球の財産と
2019年8月。夏の甲子園。
岐阜代表・中京学院大中京(現・中京)は、優勝候補を次々と撃破した。
緻密な継投策で流れを呼び寄せ、終盤に試合をひっくり返す。
東海大相模や作新学院を下し、ベスト4へ進出した。
しかし、勝ち上がるチームの陰で、一人の選手がもがいていた。
3番打者を任された増田大晟。左の長距離砲として、岐阜大会では2本の本塁打を放っていた。
勢いそのままに乗り込んだ甲子園。その夢舞台で増田の背中は小さく見えた。
ヒットが一本も出なかったからだ。
☆ ☆ ☆
2017年。1年春。
増田は中京学院大中京へ進学した。
前年夏の岐阜大会決勝を観戦した時、中京学院大中京の野球に対する雰囲気に惹かれた。このチームでレギュラーを獲りたい。県外の高校からの誘いを断り、門を叩いた。
練習が始まると、すぐにレベルの高さに圧倒された。
それもそのはずだ。
同級生には現・阪神の藤田健斗やU-15代表の投手・不後祐将(現・関西国際大)など、力のある選手が揃っていた。1年後には現・オリックスの元謙太らが入学してきた。
それでも増田は、必死に打撃力をアピールした。
徐々に頭角を現し、1年秋から試合に出始める。怪我に悩まされた時期もあったが、腐らずに練習を続けた。2年秋にはライトのレギュラーを掴み、3番打者として主軸に座った。
「100人を超す部員の中で、レギュラーを獲ることができたらカッコいいじゃないですか」
宣言通りだった。
精鋭揃いの選手たちのなかで、増田は不動の3番打者へと成長した。
☆ ☆ ☆
2018年。2年秋。
中京学院大中京は県大会を優勝し、春の甲子園をかけた東海大会へ進んだ。
初戦の三重高校戦はコールド勝ち。
危なげなく、準決勝進出を決めた。
あと1勝で念願の甲子園。ついにそこまで来た。
センバツ出場をかけ、愛知の名門・東邦との試合が始まった。
この日も打線が火を吹き、着実に得点を重ねた。投手も強力な東邦打線を抑えた。
9回表が終わって、8-3。
5点差のまま、最終回の守りについた。
チームも、増田も、順風満帆そのものだった。あとアウト3つ。誰もが勝利を確信した。
甲子園はすぐそこにある。
そのはずだった。
☆ ☆ ☆
夕陽が差したグラウンド。
ホームベース付近に歓喜の輪ができていた。
中京学院大中京ナインは、その様子を茫然と見つめていた。
延長10回の末、9-10のサヨナラ負け。
9回裏に5点を追いつかれ、力尽きた。
「5点差で勝ってて、『もう甲子園や』ってみんな浮かれてました。『5点あれば大丈夫や』って」
しばらく、顔を上げることができなかった。
☆ ☆ ☆
この大逆転負けの物語は続く。
翌2019年。3年春。
甲子園へ進んだ東邦が、センバツ優勝を果たしたのだ。
本当なら自分たちがあの舞台にいたのに…。そう悲観しても不思議ではない。
だが、冬を越した中京学院大中京ナインは、前を向いていた。
「東邦が優勝したのは、逆に自信になりました。自分たちも甲子園で優勝する力があるんじゃないかっていう雰囲気になってました」
増田自身も同じ気持ちだった。
「勝ち進む姿を見て、甲子園は勝てば勝つほど盛り上がりを体感できる場所ってことがわかって。夏はそういうのを感じてみたくなりました」
絶対に甲子園に行く。夏は僕たちが主役に躍り出る。
世間がセンバツ優勝に沸くなか、増田は夏を睨んでいた。
☆ ☆ ☆
2019年。3年夏。
甲子園への最後の挑戦が始まった。
中京学院大中京の力は圧倒的だった。県大会準決勝までの試合はいずれも無失点でのコールド勝ち。増田は3番打者として、2本の本塁打を放ってみせた。
「決勝で当たる運命なのかなって思いました」
決勝戦の相手は大垣日大。
奇しくも、増田が3年前に観た決勝と同じ顔合わせとなった。
試合は大垣日大が先制し、中京学院大中京が追う展開に。4-6と2点リードを許したまま、7回裏の攻撃を迎えた。
その時、チームは一つの試合を思い出していた。5点差を逆転され、目前で甲子園を逃した東邦戦だ。
あの時とは違う。今日は僕たちが逆転劇を起こすんだ。
甲子園への執念が、鋭い打球を運んでゆく。4連打を含む猛攻で一気に4得点。ついに試合をひっくり返した。
8-6。9回表2アウト。
青空に舞い上がった白球は、ライトを守る増田のもとへ飛んできた。ボールを追いかけながら、今までのことが頭に浮かんだ。
昨秋のサヨナラ負け。甲子園を目指した練習。スタンドに応援に来てくれた人。
束ねてきた日々を思い浮かべながら、増田は大事にボールをキャッチした。
「捕った瞬間は嬉しかったというか、言葉では表せないような、特別な気持ちになりました。今まで感じたことのない想いが込み上げてきました」
秋の敗戦から275日後の2019年7月29日。
中京学院大中京は、ついに甲子園出場を決めた。
ようやく辿り着いた夢舞台へ、増田は気持ちを高ぶらせていた。
☆ ☆ ☆
甲子園での初陣は、二回戦の北照戦。
増田は3番ライトでスタメン出場した。
「緊張というよりは、ワクワクしていました。1打席1打席を噛みしめて、楽しもうと思っていました」
甲子園初打席。力強くバットを振った。
舞い上がった打球は左中間へ。フェンスの手前でセンターが捕球する。あと少しで本塁打という当たりだった。
「あ、今日はイケるかも」
アウトにはなったものの、感触は悪くなかった。
だが、北照の先発投手も尻上がりに調子を上げる。2打席目以降も凡打が続いた。
試合は1点を追う7回裏、4点を奪って逆転に成功。県大会の決勝戦同様、この日も7回に逆転劇を演じた。
4-3。苦しいゲームを制し、甲子園での勝利を手にした。
ただ、増田にヒットは出なかった。
「僕はバッティングを期待されているので。自分が打たないと、勝てる試合も落としてしまいます。ただ、その日は割り切って、次の試合は前向きに挑もうって思いました」
三回戦の相手が決まった。
東海大相模。優勝候補の筆頭だった。
☆ ☆ ☆
テレビで見慣れた縦縞のユニフォーム。高校生離れした身体つき。
「チーム全体で怖がっていました。ボコボコにされると思ってました」
東海大相模との一戦を控えた前日。宿舎で橋本哲也監督がナインを鼓舞してくれた。その様子は「熱闘甲子園」でも放送された。
スタメンが発表されたのは、そのミーティングの時だった。
いつも通り、1番打者から順に名前が呼ばれる。だが、3番のところで一瞬戸惑った。読み上げられたのは、別の選手の名前。増田は8番での出場となった。
打順を下げて気楽に打たせたい。間違いなく温かい配慮だ。
だから、気落ちすることはなかった。
けれど…。
それがかえって、期待に応えたい気持ちをはやらせたのかもしれない。
☆ ☆ ☆
翌日の東海大相模戦。
増田は大観衆の雰囲気に飲まれた。
見逃し三振、空振り三振。空回りをしてしまった。
6回表の攻撃。
1死満塁のチャンスで8番へ打順が巡ってきた。その時、ウグイス嬢の声が球場に響いた。増田に代わる代打のアナウンス。絶好のチャンスで、交代を命じられた。
「春からずっと3番打者に固定されて、全試合にフル出場してきたので。よりによって、甲子園での途中交代は本当に悔しかったです」
増田は悔しさを滲ませながら、ベンチへ退いた。
1-3で迎えた7回裏。打線がついに東海大相模を捕らえた。
一気呵成の猛攻。次々と打球が外野の芝生を弾んでいく。アルプススタンドから鳴り響く「タイガーラグ」に背中を押され、大量7点を奪った。
そのまま試合が終わった。9-4。
鮮やかな逆転劇で、優勝候補の東海大相模を倒してみせた。
仲間の活躍を増田はベンチから眺めていた。
コイツらすごいな。自分がいなくても、全然勝てるじゃん。
自分の存在意義ってなんだろう。
甲子園期間中はなんとなく、一人になりたくなった。
一緒にいると、みんなに気を遣わせてしまう。みんなのペースを乱したくない。増田なりの気遣いだった。
でも本当は、自分のほうからみんなを避けていたのかもしれない。
☆ ☆ ☆
準々決勝の相手は作新学院。
東海大相模と同じく、甲子園優勝経験のある名門校だ。
球場へ向かうバスの中で、スタメンが発表されることになった。
今日はスタメンじゃないかも。ワンポイントでの代打かな。
ぼんやりとそんなことを考えていた。
その時だ。橋本監督は打順を告げるより先に、ナインに向かってこう宣言した。
「今日の3番は増田でいく。中京の3番は増田だから」
「そう思っていた」と、チームメイトも頷いてくれた。
素直に嬉しさが込み上げた。ずっと務めてきた3番打者。それを任せてくれたことへの喜びだった。
だが、重圧も感じた。自分が打たなければ、チームは負けてしまう。今日も途中で交代させられるのでは、という不安もよぎった。
初めはワクワクしながら向かっていた打席も、そんなことを思う余裕はなくなっていた。
「どんなボテボテの当たりでもいいので、とにかくヒットを打ちたかったです」
打ちたいという欲。それが強くなればなるほど、空回りをしてしまう。
この日もヒットは出なかった。そのまま、6回裏に途中交代を告げられた。
「チームに申し訳なかったです。試合に出ているのに、ずっとノーヒットっていうのは…。ベンチに入っていない子もいるのに」
そんな増田をよそに、チームは再び逆転劇を起こす。
0-3の7回裏に2点を入れ、1点差に詰め寄ると、8回裏にはレフトポール際に逆転満塁本塁打が飛び込んだ。
甲子園が大歓声に包まれる。
チームはいつからか、「逆転の中京」と形容されるようになっていた。
しかし、その逆転劇はいずれも、増田が交代した後のことだ。
「自分も得点に絡みたかったです。その雰囲気をグラウンドで味わいたかった」
甲子園まで来て、僕は何をしているんだろう。
悔しくて、悔しくて、仕方がなかった。
☆ ☆ ☆
準決勝の相手は奥川恭伸(現・ヤクルト)擁する星稜だった。
増田は準決勝に続き、3番ライトでスタメン出場した。監督も一本を期待してくれていたのかもしれない。
1回表1死二塁。チャンスで打席が巡ってきた。
奥川との初対戦。胸を借りる想いで打席に入った。
バットを短く持ち、コンパクトに振り抜く。快音が響いた。
ヒットかも。打った瞬間、そう思った。しかし、鋭い打球はショートのグラブに収まった。
ショートライナー。久々に捕らえた打球が、野手の頭を越えることはなかった。
「やっぱり世代No.1投手は違うなって思いました」
試合は序盤から星稜の猛攻に遭った。相手打線を止められない。限界だった。
東邦戦での敗戦を糧に、打線はこれまで幾度と逆転を演じてきた。しかし、奥川の前では手も足も出なかった。
0-9で迎えた9回表の攻撃。この日も増田はノーヒットのままだった。
2アウトに追い込まれ、2番打者が打席に入る。
増田はその様子を、ネクストバッターズサークルから眺めていた。
力のない打球がセカンドへ転がった。一塁へボールが渡り、塁審が右手を上げる。
ゲームセット。甲子園での戦いが終わった。
ついに最後の打席は回ってこなかった。
増田大晟はノーヒットのまま甲子園を去った。
☆ ☆ ☆
あれから2年が経とうとしている。
当時の話を聞かせてほしいと懇願すると、「あの時のことはあんまり覚えていなくて…」と返信がきた。それでも二つ返事で快諾し、熱心に話をしてくれた。
甲子園を振り返り、「打席に立てただけでも貴重な経験なので」と謙遜した。
しかし、当時は心ない言葉を目にすることもあった。
Twitterでは知らない誰かが「増田くんは怪我をしているのでは?」という書き込みをしていた。ヒットが出ないことに対して、批判するコメントも載せられていた。
「本来の自分ならもっとできるのに…。全力でプレーをしても、その力が出し切れなくて、悔しかったですね」
ノーヒットに終わった甲子園。後悔は尽きない。
「後悔はありますね。今でも思いますよ。甲子園で一本でもヒットが出ていたら、全然違うだろうなって」
増田は中京学院大へ進学し、今も野球を続けている。春季リーグにも代打で出場した。
大学へ入った当初は“甲子園ボーイ”と呼ばれることもあったという。そのことにも、戸惑いを感じていた。
「自分はヒットを打っていないので、自慢げに話をすることができないんですよね」
冗談交じりに笑っていたが、きっと当事者なりの葛藤を抱いていたのだと想像する。
だからこそ増田は、甲子園で思うように力を発揮できない選手が、自分自身と重なる。
「そういう選手を見ると、気持ちがわかるというか。その子はきっとチームの中心的な存在で、監督は高校3年間の姿を見てスタメンを決めていると思うんですよ。打てなくても試合に出ているのは、むしろそれだけ力がある証拠だと思います」
増田の高校野球人生がまさしくそうだった。
強豪校で競争に勝ち抜き、スタメンを任されるようになる。監督に「中京の3番は増田だから」と言わしめるまでに成長する。たとえ打てなくとも、仲間に認められる存在になる。
レギュラーを獲ることが出来たらカッコいいじゃないですか。
その想いがあったからこそ、甲子園へ辿り着くことができたはずだ。
期待を背負って戦う多くの人が、増田と似たような境遇を抱えて、生きているのだと思う。
☆ ☆ ☆
インタビューが終盤に差し掛かった頃。
増田は「高校野球で得た財産」を語ってくれた。
甲子園での戦いを終え、地元・岐阜県垂井町へ凱旋した時のことだ。
表彰のため、町のセンターを訪れた。すると、地域のおじいちゃんやおばあちゃんが「すごくカッコよかったぞ」と声をかけてくれた。地元ではパブリックビューイングを設置し、町全体で応援してくれたことも知っていた。
期待に応えられず、ヒットを打つことができなかった…。それなのに、自分のことのように応援してくれる人がいた。
「僕の甲子園出場を町全体で喜んでいると実感できたことが、一番大きな財産です」
僕はてっきり、甲子園に出たことが財産なのだと思っていた。
でも、そうではなかった。
増田はそれを喜んでくれたことが「一番の財産」だと思っている。
真剣に、大切そうに、実感のこもった声で、そう言っていた。
◇ ◇ ◇
2年ぶりに、夏の甲子園が幕を開けた。
ヒーローたちの活躍に隠れ、期待に応えられずに歯噛みする選手がきっといる。思いもよらないミスをし、負けた責任を背負い込む選手もいると思う。
それでも、人生は続いていく。
たとえ結果を残せなくとも。自責の念に駆られたとしても。
誰かの一言に、救われるかもしれない。応援してくれた人の存在を、生きる糧とするかもしれない。
だからこそ、いつの日も、エールを送ることができる人間でありたいと思う。
増田大晟が紡いだ高校野球は、僕たちにそう教えてくれているような気がする。