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承認のデフレ化を食い止めよ

どうも、さっさーです。今回は最近のマイトレンドの承認欲求について語りたいと思います。

みんなって承認欲求って聞いてどういうイメージ持ちますか?
自分は、あまり良いイメージを世間としては持たれていないと分析しています。なに我、他人に自分の努力見せびらかしとんねん、この「偽善者」! 偽善者?何だそれは? 何で、承認されることは恥ずべきことなんだ?そもそも承認って何だ? 軽く考えていきます。

そもそも承認とは?
承認には、大きく分けて2種類あって自己承認と他者承認です。更に世間で言われる承認欲求は他者承認...
なるほど、人間(特に日本人?)は他人からの賞賛を求めにいく姿勢を良しとしないようだ。自分の武勇伝を語れば下品のやつだと揶揄されたりするのもこの類の1つではないでしょうか。

なぜ他者からの承認を求めにいく姿勢は恥ずべきことになったのか?
ズバリ原点は、仏教や武士道などの昔の考え方にあるのではないかと思います。適当な例として、法華経の常不軽菩薩の精神を表しているとされる宮沢賢治の『雨ニモマケズ』があります。雨ニモマケズの後半の部分に

ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

という部分がある。
端的に言えば、見返りを求めないで人に尽くしなさい。ということだろう。

ここで俺の主張!

自分は、この他者承認を求めにいくスタンスを善とする文化を育てていくべきだと主張する。

他者承認を求めにいく文化を育てる2つのメリット

・心に優しい世界ができる。

人には、好かれた相手を基本的に好きになるという性質(好意の返報性)がある。他者承認を促進すれば、このプラスの循環を生み出すことができる。そうすれば、あの無駄な足の引っ張りあいも起きず、優しい世界ができる。そもそも足の引っ張りあいも他者承認が貴重になってしまう弊害で起きているのではないかと捉えている。

・失敗が許容され、挑戦が渦巻く世界ができる。

今年もミスコンの季節がやってきているが、時々、心無い声を聞くことがある。「なんだよ、見せびらかすなよとか」
これはイカンと思う。なんといっても、せっかくの挑戦を他者承認が得られる機会を妨げるのは、人間界として不利益を被る。

※慶応のミスコンの人のツイートがとても共感できたから、載せさせていただきます。

最後に

他者承認がデフレ化しているこんな時代だからこそ、意識してみんなで承認しあってウェイしましょー

#承認 #デフレ化