【卒業論文】長野県諏訪湖における繁茂したヒシの除去とその資源化
この卒業論文について
この度、僕は自身の卒業論文をネット上に公開することにしました。
本論文は、地理学という学問において執筆し、指導教員の助言を受けて完成したものです。
長野県で一番大きな湖である諏訪湖に異常繁茂するヒシという水草を除去する取り組みや、除去したヒシの活用について取材をし、考察を行いました。
なお、私の研究成果を広く共有するという目的から、ネット上に公開しますが、本論文の著作権は私に帰属しています。
noteの仕様上、段落ごとのインデントがないなど、表示が適してない点あるかもしれませんがご了承ください。
※執筆者の個人名と所属大学名などは、この場では伏せさせていただきます。
Ⅰ.はじめに
諏訪湖は、759mと高い標高にありながら、周りには工場が多く立地し、湖の40倍もの流域面積を持つ。御神渡りという凍った湖の水が音を立てて割れていく現象が起こり、その記録は世界最古の気象記録として知れている。また、諏訪湖からの水蒸気が上昇気流をつくり、霧ヶ峰ではグライダーがさかんに行われてもいる。
そのような諏訪湖であるが、近年その面積が周囲からの流入土砂が、諏訪湖を埋め立てているため縮小している。現在は完全に陸地にある高島城も、かつてその建設当時には周囲も諏訪湖に囲まれていた。
そのほか、諏訪湖では、ヒシという水草が大量に繁茂しているという問題がある。ヒシは在来種でありながら、ここまで単一の種が繁茂して迷惑をしているという状況も奇異である。約20年前まで、それ以前の約20年間の間アオコが大量発生していた。豊田終末処理場を作って排水を浄化して、ようやくアオコの問題は解消したら、今度はヒシが発生した。ヒシは船舶の航行に影響を与え、貧酸素を起こして生態系に悪影響を及ぼすということが問題である。
そこで本卒業論文では、そのような諏訪湖で厄介者として扱われている繁茂したヒシの除去と資源化について、検討することを目的とした。
調査方法として、各機関や団体、企業への聞き取り調査を実施した。諏訪湖の管理に関しては諏訪地域振興局各課に、特に諏訪湖の環境保全については環境課、機械船による刈り取りについては長野県諏訪建設事務所、諏訪湖創生ビジョンについては企画振興課、諏訪湖の観光については商工観光課で話を伺った。諏訪湖の持つ問題や環境に関しては信州大学理学部湖沼高地教育研究センターの宮原裕一氏に、諏訪湖のヒシの堆肥化事業については株式会社昌栄社長の清水昌敏氏と株式会社みのり建設社長の宮坂典利氏に事情を伺った。諏訪湖の船舶事情や手作業でのヒシ回収、ヒシ焼酎作りについては、NPO法人諏訪市セーリング協会の横山真氏に取材をした。諏訪湖の漁業とヒシの関係については訪湖漁業協働組合代表理事組合長の武居薫氏に、福島県猪苗代湖のヒシ回収と資源化については株式会社いなびしの長友海夢氏に話を聞いた。
Ⅱ.調査地域の概要
諏訪湖は、長野県の中央、諏訪盆地に位置し、長野県では最大の、日本では23番目の湖である。湖水面標高は759m、面積13.3㎢、湖の周囲長15.9km、最大水深は6.4m、平均水深は4.2mである。1956年時点は、面積14.5km2、湖の周囲長17km、最大水深7.2m、平均水深4.7mであった(堀江,1956)。諏訪湖はより小さく、より浅く変化している。
諏訪湖へは横河川、上川、砥川、宮川を含め31の流入河川があるのに対し、流出河川は天竜川だけである。諏訪湖の面積に対し、流域面積は約40倍であることに加え、平均水深は4.2mと浅いことと、周囲が盆地状の地形で森林や農地から窒素やリンなどの栄養塩類が流入しやすく、湖がよどみやすい。またこのような地形的特徴を持つため、諏訪湖は氾濫しやすく、たびたび洪水が発生してきた(田代ほか,2020)。
諏訪湖には、エビや貝、魚が多く生息していた。魚としてはワカサギ、コイ、フナ、モロ、タナゴ、ナマズ、ウナギ、ドジョウ、トンコなどが生息する。貝は、タンガイ、シジミ、タニシ、カワニナなどが生息する。エビは、テナガエビ、スジエビ、ヌマエビが生息する。いずれの魚類、エビ類、貝類の水生生物量は減少している。(沖野ほか,2020)
諏訪湖には、多くの鳥類が生息している。諏訪湖一帯で記録された鳥の種類は約140種類にもなる。そのうちの約100種類は日本国外からの飛来する渡り鳥である。四季を通して観察できる留鳥としては、カルガモ、オオバン、トビなどがいる。渡り鳥としては、オオヨシキリ、カワセミ、ヨシゴイ、カイツブリなどが見られる。明治初期まではすでに日本種が絶滅したトキが生息していた。(沖野ほか,2020)
Ⅲ.調査結果
1.諏訪湖でのヒシの繁茂
⑴ヒシの繁茂以前の諏訪湖
諏訪湖の流域面積は531.8㎢であり、諏訪湖の湖面積13.3㎢の約40倍の面積にあたる。諏訪湖の集水域が広く、湖の深さは平均4.2mと浅いため、湖が濁りやすい。(宮坂ほか,2020)
諏訪湖周辺は、明治時代からの製糸業、第二次世界大戦中の軍需産業、第二次世界大戦後の精密工業や食品産業を中心に、工業が盛んな地域である。地下水を含めた集水域からの豊富な水を工業に利用できた土地であったから、諏訪湖周辺で工業が栄えた。かつて、工業廃水は未処理で諏訪湖に放流されていた。
1940年後半には、湖水の植物プランクトンが水の色を変えるほど爆発的に増殖するする水の華現象が確認された。しかし、それでも1940年代後半から1950年代にかけての諏訪湖の水の見た目は綺麗だった。諏訪湖の漁師は、漁の時に諏訪湖の水をそのまま手ですくって飲んでいたそうである。この頃は諏訪湖で水泳する人も多く、浅瀬の砂地でシジミやカラスガイなどを採集することもできたそうである。
1960年代になると、アオコが毎年発生するようになる。アオコとは、富栄養化の進んだ湖沼で、植物プランクトンが大量に発生し、水面が緑色に見えるほど覆い尽くす現象である。アオコの原因となる植物プランクトンは、主に藍藻類である。窒素・リンなどの栄養塩類濃度が高く、河川を経由して連続的に供給され、都市排水による有機物質汚染がある、水深10m以下の浅い湖で発生しやすい(二木ほか,2018)。
諏訪湖の水質を浄化するために、1972年より諏訪湖の集水地域の下水工事が開始される。1980年から諏訪湖への排水は、豊田終末処理場で処理をされ、諏訪湖釜口水門近くで放出されるようになる。1999年にアオコは激減する。下水道接続率は2003年には90パーセントを越えている。2020年時点での下水道接続率は98%を達成している(沖野ほか,2005)。
⑵ヒシの繁茂した経緯と繁茂状況
ヒシは、全国の湖沼やため池などに分布する浮葉植物である。水深2メートル以下の浅い泥質の沿岸域に繁茂する(豊田ほか,2011)。水中へは2メートルほどの根を下ろす。一年生の水草であり、毎年諏訪湖では11月には枯れる。ヒシの果実は、結実後に茎から離れて水面を漂い、やがて水底へ沈下する。底泥内で種子の姿で越冬し、4月頃発芽する。ヒシの実の棘は、水鳥などの動物の体に1度着くとなかなか外れずに、動物の体に付着したまま移動し、茎の部分にはスポンジ状の膨らみがあり、これが浮袋として機能する(田中,2012)。7月〜10月中に白い1センチメートルほどの小さな花を咲かせる。ヒシの実は、昔は食料や胃腸薬としても用いられてきた(宮坂ほか,2020)。
諏訪湖内でのヒシの大量繁茂は2005年頃から確認された。ヒシの大量繁茂は、水質浄化によってアオコの大量発生が解決されたのちに始まった。アオコによる水質汚濁が解消され、湖の透明になり、水中に光がよく入るようになり、光合成がしやすくなったことがヒシの繁茂した要因の1つとして考えられる(花里,2012)。
ヒシは水深2.5m以下の湖岸域で発生し、諏訪湖の面積の13%ほどを覆い尽くしている。諏訪湖では、ヒシの実の小さく棘が2本のワヒシ(和菱、ヒメビシとも)が多く、ヒシの実が大きく棘が4本のオニビシ(鬼菱)も一部で確認されている。2種類のヒシは殻剥きに難度の差こそはあるが、同様に食用としても堆肥化することができるため、諏訪湖ではワヒシとオニビシの両方を「ヒシ」として扱っている。ヒシは日本在来の水草で、古くから食用として食べられている佐賀県神埼市ではワヒシ、千葉県印旛沼ではオニビシ、福島県猪苗代湖ではワヒシとオニビシが生息しているようである(赤堀ほか,2016)。ヒシの種類としてワヒシとオニビシのほかには、中国や台湾などで食用とされているトウビシ(唐菱)がある。トウビシはワヒシと比較して実の大きさが数倍ある。トウビシは日本でも食用や観賞用として栽培されることもあり、徳島県西庄池などに生息しているようである。諏訪湖にはトウビシは生息していない(原田ほか, 2018)。
⑶ヒシが及ぼす影響
ヒシが及ぼす影響には良い面、悪い面がある。ヒシの及ぼす経済的被害総額というのは、実際のところ計算ができない。なぜなら、ヒシが繁茂しなかった場合の諏訪湖という比較対象がないからである。また近年は新型コロナウイルスとの経済的影響もあるため、ヒシによる影響なのか、新型コロナウイルスによる影響なのか、別の要因による影響なのか判断が難しい。ヒシの及ぼす影響は、どの視点で評価するかにより、複雑になる。
ヒシの及ぼす良い影響として、まずエビや小魚の生息する場を提供しているという側面がある。ヒシ自身が窒素、リンなどの栄養塩類を水中から吸収をし、植物体である間はある程度の水質浄化効果が期待される(樋口,2015)。ただし、枯死しヘドロ化することでヒシに固定化されていた栄養塩類は水中へと還元する。ヒシの繁茂場所が野鳥のエサ場、魚類や水生昆虫の産卵場所となる。特に諏訪湖に飛来する水鳥カイツブリの営巣の場となる。直射日光を遮ることで、湖水の急激な水温上昇を抑制できる(沖野ほか,2020)。
一方、悪い影響としては、ヒシの繁茂した部分の下では貧酸素化を起こし、ヒシが枯死することで、植物遺体が湖底に沈下し、腐敗するとヘドロ化する。ヒシが繁茂している箇所では、太陽光をヒシが独占してしまうため、水中へ太陽光が届かなくなる。そのため沈水植物への太陽光の供給が絶たれてしまう。ヒシに繁茂している様子で湖の景観が損なわれる(尾山ほか,2017)。
また諏訪湖での漁業への影響としては、以下のことが指摘される。
水草の種類がエビモからヒシに変わったことで、漁業にはどのような影響があるか。教科書どおりの「水草は産卵場や隠れ場として重要」という場合、諏訪湖の現状のように密生したヒシや、琵琶湖南湖であったように密生した沈水植物は含んでいない。あくまでも通常レベルで自然植生が担保されている場合に「重要」な要件を備えるものであり、流動を阻害するような異常繁茂している状態は除外して考えるべきである。ちなみに、そのような環境下では漁業は基本的に成立しない。誤解を招きかねない表現とはなるが、密生した水生植物帯の縁辺(外側)には漁が成立することがあるが、密生した水生植物帯を漁場としているわけではない。
ヒシの存在による漁業への影響と、ヒシの存在によって影響を受けた水底質による漁業への影響はあるということだが、異常繁茂したヒシの存在は生態系全般の攪乱を生じさせている。植物種によるのではなく、「異常繁茂が及ぼした生態系の環乱」が漁獲の減少要因の元凶である。
諏訪湖では毎年 510 t 程のヒシを刈り取っているが、漁業にとって望ましい水草の管理(刈取量、場所、時期等)についてはどうであるか。ヒシは本来諏訪湖内には繁茂していなかった種であり、根絶すべきものである。ヒシの刈り取りを「管理」として捉えることは不適切である。今の刈取り事業は、予算や事業実施要項上の制約のみが重視されている。(国の浄化対策予算として事業量に規定されるため、ある程度伸長してから刈り取っている。)このまま続けても毎年同じことを繰り返す のみであり意味がない。根絶に向けた実施方法をとるべきである。
ヒシの他、マツモやクロモのような沈水植物の繁茂が見られ、航行障害、底層溶存酸素量の低下が見られている。沈水植物による漁業への影響はヒシについては広く確認されているが、「沈水植物の繁茂によって航行障害、底層溶存酸素量の低下が見られている」との見解は、少なくとも諏訪湖では不適当である。
過去の報告で、埋め立てられた『エゴ』の内部環境が貧酸素であったことや経時的に夜間を中心に貧酸素になるとのデータは得られているが、トータルとして沈水植物帯が水域へ負のインパクトを与えることになるとの評価は無い。
諏訪湖の漁業にとって必要な環境対策についてだが、魚介類が生息・産卵・哺育できる環境への修復が必須だろう。これまでは埋立てや浚渫などに対する代替措置が考慮も実施もされてきていない。そのことが漁業不振の根源的な要因である。諏訪湖での漁の対象となる魚種は、ワカサギ・コイ・フナなどである。そのほかにシジミやエビ類も漁獲される。
ヒシと漁業の影響に関しては、ヒシと漁業には直接的な因果関係はないという。現在、諏訪湖の漁業に関しては、「魚がいない」ということが問題である。魚がいなくなった原因は、魚がすみかや産卵場所となる水草移行帯が消えてしまったことである(佐久間ほか,2006)。治水工事により、諏訪湖への流入河川の川幅が広げられる工事が実施されてきた。それにより、川から諏訪湖への流れが緩やかになり、湖内の生態系も変化した。同じ水量でも川幅が狭ければ、河川からの水の勢いは強くなるため、湖内にも流れが生まれる。湖内での流れがあると、底層と表層の水が攪拌されて、酸素が溶け込むようになる。
浚渫に関してだが、漁業に関しても良い面と悪い面の両面がある。まず良い面だが、諏訪湖は周囲の河川や山脈からの堆積物で毎年埋まりつつある。浚渫をすることで、諏訪湖の堆積物を陸上に運び、諏訪湖の消滅を食い止める面がある。浚渫の悪い面だが、湖底に生息する貝類ごと除去してしまうという面だ。
ヒシを減らすのに有効な時期は5月である。現在、ヒシの刈り取りを実施している7月〜9月は、ヒシが育ってきて実をつけてしまうので、それ以前の時期に刈り取るのが、ヒシを減らすのには有効である。
水草ヒシが漁船の航行への影響することはないという。すなわち、諏訪湖のヒシの繁茂が影響する沿岸地域で漁業は行わず、ヒシの繁茂するエリアの外で漁業を行うため影響はない。ちなみにヒシが繁茂する範囲は湖の面積の約13%であり、さらに11月に入るとヒシは枯れてしまい湖面を覆わない。現在の漁業のメインとなっているワカサギは諏訪湖の沿岸部ではなく、諏訪湖の中心部に生息する。そのため、漁業を行う場所もヒシのない中央部となる。
ヒシの繁茂しやすい沿岸部から漁業につかう船を出すように思われるが、ヨットハーバーや船の拠点となる諏訪湖南東の岸などはヒシが繁茂しない。よって漁船の航行にも影響はない。
平成28年度にワカサギの大量死があったが、はっきりとした理由は解明されていない。ワカサギの大量死はヒシの繁茂には直接の関係はないようだ。ワカサギの大量死には、湖底からアンモニアが発生した説や、湖内で赤潮が発生したという説がある。
そもそも諏訪湖の漁業は古くから「半農半漁」を基本にしている。もともと諏訪湖で漁業をしている人間は、同時に農家であり、漁業だけで生計を立てているわけではない。現在、「半農」にあたる職業は、諏訪湖周辺の工場勤務や自営業、農業従事する方が多いようだ。現在は約100人が諏訪湖で漁業をしているという。諏訪湖の漁獲量は、最も漁獲量が多かった1980年度は554トンであったが、2018年度の漁獲量は16トンである。約3パーセントまで縮小してしまったこととなる(山本,2001)。
また、魚にとって諏訪湖と田んぼが行き来可能だった時期があり、フナやナマズなど魚が、諏訪湖の環境が変わった時や、大型の捕食動物から身を隠すことができていた。今ではそういった諏訪湖と直接行き来のできる田んぼは残っていない。ますます魚にとって生息が難しい湖となっている。
水草移行帯の重要度を軽視した湖岸工事が進められたことも、諏訪湖の魚類の生息数を減らした一因であるようである。現在の諏訪湖の姿は、水草移行帯のあるべき箇所から急に深くなるような沿岸部の構造をしている。これは治水のために、このような構造へとなったと考えられる。諏訪湖で沿岸部に生息するコイ・フナ・エビ・シジミなどの少なくはない種は、湖での浅いエリアを棲家とする。
水草帯の中で漁をするわけではなく、水草帯の外側で漁をするため、漁船の航行が難しいということもないという。県の施設などで無料配布されている諏訪湖クラブが発行する「諏訪湖に学ぶ」の中で、「ヒシの繁茂は、漁船などの航行に支障となる」という記述があるが、今回の漁協の取材でこれは誤りであるという指摘を、この度の聞き取り調査では受けた。
一般に、浮遊有機物の少ない透き通った湖が良いとされているが、湖内の生態系の面からは必ずしも透明の湖が良いというわけではない。湖内の濁りは、植物プランクトンなどの微生物が漂っているのであり、有害な物質ではない。濁っている東京湾と透き通った沖縄の海では、漁場としては東京湾のほうが優秀である(花里,2012)。漁業不振の原因は、県からのハード面への施策が治水や水質を重視したものであり、ヒシとの直接関わりがあるというわけではない。
2.諏訪湖でのヒシの除去
⑴諏訪湖の管理と諏訪湖創生ビジョン
諏訪湖は河川法で、一級河川という扱いとなるので長野県が管理者となる。長野県には、10の地域にそれぞれに地域振興局という地域ごとの局を設置している。諏訪地域には、諏訪地域振興局という地域局が置かれ、岡谷市・諏訪市・茅野市・下諏訪町・富士見町・原村の6市町村を管理している。
諏訪湖の管理に関しては、「諏訪湖創生ビジョン」に則って行われている。
諏訪湖創生ビジョンとは、20年後の諏訪湖のあるべき姿を念頭に、「人と生き物が共存し、誰もが訪れたくなる諏訪湖」の実現に向けて、2018年に制定された諏訪湖に関する計画で、5年ごとに計画の見直しが実施されている。諏訪湖創生ビジョンでは、諏訪湖の取り組み分野を、「水質保全」「生態系保全」「湖辺面活用・まちづくり」「調査研究・学びの推進」の4つに大別している。ヒシの大量繁茂問題は、水質保全の取り組み分野として解決が考えられている(長野県諏訪地域振興局,2018)。
そのほか、水質保全としては貧酸素問題の解決やCOD及び全窒素の環境基準値の達成、生態系保全としてはワカサギなどの漁獲量の減少の問題対策や外来魚の駆除を目指している。
諏訪地域振興局では、環境課と建設事務所がヒシの刈り取りを行っている。環境課では小型の和船、建設事務所では機械船でのヒシ回収を担当している。環境課では和船での回収は2021年度で約8トンを回収している。建設事務所は機械船のヒシの刈り取りで約630トンを回収している。
諏訪湖から回収したヒシは、産業廃棄物ではなく、一般廃棄物として法的扱いとなる。民間のゴミ収集回収業者によって、諏訪湖湖岸から富士見町の株式会社みのり建設の堆肥場または原村の株式会社昌栄の堆肥場へと運ばれる。ゴミ収集回収業者は、県からの一般入札で決定する。回収したヒシは折半されて株式会社みのり建設と株式会社昌栄で堆肥化されている。
⑵機械船でのヒシ刈り取り
先述した通り、諏訪湖は一級河川の扱い区分となるため、管理者は長野県となる。
機械船によるヒシの回収業務は、長野県諏訪地域振興局建設事務所設備第3係が担当している。
なお、2023年度からは、諏訪湖創生ビジョンにより、諏訪湖のヒシ回収の刈り取り船は1台から2台へ増える見通しである。
2022年度作業分は7月5日〜9月9日に実施された。悪天候時には現場の判断により作業は中止となる。規定の作業日は月〜土曜で、日曜の作業はない。2022年度は、強い雨の日が少なく、7月中で1日、8月中で1日のみ作業が中断された。作業は6時30分〜15時に行われる。
ヒシの刈り取り作業時には、水草刈り取りの機械船1台、刈り取り地点から陸までヒシを運ぶ和船1艇、ヒシを和船から陸へ移動するクレーン車1台、ヒシを堆肥場へ運搬するダンプトラック1台が稼働する。機械船は、刈り取った植物の積載量には限りがある。機械船に搭載しているベルトコンベアで、刈り取られたヒシを和船へ移す。和船の船体にはあらかじめ大きな網が敷かれている。十分にヒシを積載した和船は指定された陸上げの箇所へと移動する。和船からネットを使って、陸地にあるクレーン車が下ろす。機械船の燃料は軽油である。ダンプトラックは、諏訪湖の陸上げ場と富士見町か原村の堆肥場をおおよそ1日5往復する。
回収したヒシは、回収直後には水分を多分に含み、重量が大きくなるため、岡谷市の県保有敷地内に約1日間放置をする。十分に水分が抜けた刈り取り翌日にタンプトラックで運搬をする。現在は株式会社テクアノーツに業務を発注している。なお、水草専用の刈り取り船を保有している企業は限られ、同社は猪苗代湖のヒシの刈り取り作業も行っている。
作業量が予算額に達した時点で、その年のヒシ回収作業は終了となる。機械船通った箇所は、その年中には再度生えることはない。作業時に住民や観光客からの騒音などによる苦情の声などは聞かないという。むしろ、ヒシを回収していることに肯定的な意見をいただくことが多いようだ。
⑶小型船舶で手作業でのヒシ回収
諏訪湖では、機械船のほか小型船舶(和船)での手作業でヒシ回収作業が行われる。手作業でのヒシ回収の利点として、刈り取り船が入りにくい浅瀬に繁茂したヒシも除去可能であること、ヒシの根ごと回収ができることがある。短所としては、作業時間と作業人数に対してヒシの回収量が少ないことが挙げられる。
和船での手作業の刈り取りは、全てNPOセーリング協会からの船舶の貸し出しにより行われている。手作業でのヒシ回収には、諏訪湖創生ビジョンに参画する各企業・団体の構成員やその家族が参加する。
3.諏訪湖でのヒシの資源化
⑴水草の資源活用「モク採り」
古くから行われている水草の活用方法にモク採りと呼ばれているものがある。これは化学肥料が普及するまでの全国の日本の湖で行われていた。湖に繁茂した水草を小舟などで回収し、陸で乾燥させたものを畑に撒き、農産物の肥料として使っていた。人の手が入り、管理された湖は「里湖(さとうみ)」と呼ばれ、水草が過剰に繁茂されることがなかった。化学肥料以前は、水草は農業をするうえで非常に重要な肥料として扱われていた。第二次世界大戦後、1950年代より化学肥料が日本で広く使われるようになり、次第にモク採りの必要性はなくなっていった。
化学肥料が使われるようになり、農地から湖に栄養塩類が流れ込み、湖が富栄養化することとなる。また、モク採りにより湖から適切に窒素やリンといった栄養分を水草という形で排除することとなっていたが、モク採りがされないことで栄養塩類が排除される機会が失われ、水質汚濁の一因となったとも考えることができる。
なお、諏訪湖ではモク採りが行われていたという記録は文献には残っていない(平塚ほか,2006)。
⑵堆肥化
諏訪湖のヒシは、現在2つの業者によって堆肥化が行われている。原村の株式会社昌栄と富士見町の株式会社みのり建設だ。現在、諏訪湖で刈り取られたヒシの全ては、焼却処分されず堆肥化されている。諏訪湖で刈り取ったヒシのうちそれぞれ半分ずつを2つの業者が折半を受け入れている。以下では、それぞれの業者ヒシの堆肥化について記述する。諏訪で刈り取ったヒシのうち、半分をみのり建設が堆肥に製品化し販売や配布をし、もう半分を原村の別の土建会社(昌栄土建興業)が堆肥にして自社の農業部門(きよみず農園)などに活かしている。
このうち、みのり建設には建設事業部と環境事業部がある。環境事業部では「ヒシ堆肥」と「食品リサイクル堆肥」の製造を行っている。建設事業部では外構工事や造園工事を行っている。ヒシの堆肥化は、環境事業部全体の業務量のうち、年間の2割ほどを占めている。
みのり建設がヒシの堆肥化を始めた経緯については、富士見町は酪農家が多いため、みのり建設が近所の牛ふんを堆肥化していると、刈草や調理くずの堆肥化発酵促進剤として使えそうだと分かり堆肥の製造を始めた。その後、富士見町から生ごみの堆肥の依頼があり、廃棄物処理業の許可を得て堆肥化事業を開始する。そして、ヒシの堆肥化について相談を受け、着手したところ、ヒシでの堆肥化も成功し、現在までヒシの堆肥化を請け負うこととなる。みのり建設事務所の後方の工場が、ヒシの堆肥場となっている。堆肥場からは堆肥の発酵の際に、独特の臭いが発生するため、富士見町南原山区との協議の結果、現在の場所に決められた。
ヒシを堆肥化する工程についてだが、長野県が発注する諏訪湖の刈り取ったヒシの運搬業務を落札した業者より、半乾燥状態のヒシが富士見町のみのり建設へ持ち込まれる。そのヒシに、同量の発酵促進剤を加えて撹拌する。混ざったものを堆積させ、都度切り返しを行って、半年以上発酵・熟成を行う。半年以上経ったものをふるいにかけて、プラスチックなどのゴミを選別して製品化をする。現在この作業にかかわっている人数は、従業員4人である。機械は、重機やダンプ、ホイルローダーが使用される。みのり建設では、約半年で刈り取ったヒシが堆肥となる。ヒシを半乾燥した状態でも、水分量が多く、初期発酵で温度がなかなか上がらないことが、ヒシの堆肥化での苦労する点であるという。
ヒシの堆肥は、長野県諏訪地域振興局観光課が購入し、諏訪6市町村(岡谷市・諏訪市・茅野市・下諏訪町・富士見町・原村)のすべての小中学校に配布されている。
みのり建設では、堆肥は地域内循環を目指しているという。その土地の栄養や微生物は、その土地で循環したほうが環境的にも良いということと、コストの面で堆肥は重量とかさが大きくので、移動距離が増す分割高になっていることが理由である。良質なものを適正価格で提供するには、地域内での販売に限定したほうが良いと考えからだという。後諏訪湖のヒシの刈り取り量が増えていった場合でも、受け入れられる許容量以内であれば受け入れていきたいとのことである。ヒシの堆肥化以外に、ヒシから焼酎などを作り活用する手段があれば、将来的には関与したいが、採算を取るが難しいと考えている。ヒシが減っても、また別の水草が繁茂する可能性があり、諏訪湖の水環境を考えながら堆肥化は続けることが可能であるそうだ。水草に限らず、河川のアシやヨシ、伐採木などの護岸整備で出てくる有機物資材を、堆肥以外のもので有効活用していきたいそうである。
昌栄は、原村にある土建会社である。道路工事など土建業を行っているほか、「きよみず農園」という農業事業を営む。原村内にあるビニールハウスでミニトマト栽培を行っている。ヒシから生産した堆肥は、同社の農業事業に原則全て使われる。
諏訪湖で刈り取ったヒシは、諏訪湖湖岸の陸地で半乾燥をし、原村内にある堆肥場へと運ばれる。ヒシの発酵には、有機分解促進剤ビオライザーと微生物製材発酵オーレスが、半乾燥した状態のヒシに混ぜられる。ヒシのほかに、大豆皮も原料としている。ヒシの堆肥化を行うにあたり、肥料取締法によって定められた特殊肥料生産者の届けを県に行う。特殊肥料生産者として肥料を生産する際は、使用した原料や重量や生産年月日などを細かく届け出る必要がある。
⑶ヒシ焼酎
NPO法人諏訪市セーリング協会は、行った諏訪湖のヒシを使った焼酎作りを行っている。諏訪湖ヒシ焼酎作りは、NPO法人セーリング協会会長の横山真氏によって企画製造されたが、2020年度に行われ、2021年以降は製造されていない。
2020年8〜10月にNPO法人諏訪市セーリング協会員や賛同する地元住民や県でヒシを刈り、実を収穫した。2021年2月にヒシ焼酎の試作品が完成した。ヒシ焼酎づくりのために刈り取ったヒシの総量約3,500kgから約350kgのヒシの実を確保した完成した酒は、300ミリリットル入りのものが焼酎13本、リキュールが7本だ。作業への手間やヒシの総量に対して出来上がった酒の量を考えると、酒の量はかなり少ないと思われる。やはり本来の焼酎の原料である、麦や芋、米などに対するとヒシは収穫量が少ないことが課題のようである。なお、焼酎の原料としてヒシは認められていないため、ヒシは米麹を約55%使用して製造された。なお、製造されたヒシの焼酎は、販売にまでは至っていない。肝心の味だが、試飲会に参加された人から美味しいという評価を得られた。
醸造は長野県飯田市の喜久水酒造に醸造を依頼した。諏訪地域には日本酒の酒蔵は多くあるが、ヒシから焼酎を作れる酒蔵がなかったことで飯田市の酒蔵に決定した。
この企画には、長野県の地域発元気づくり支援金を利用した。地域発元気づくり支援金の趣旨は「豊かさが実感でき、活力あふれる輝く長野県づくりを進めるため、市町村や公共的団体等が住民とともに、自らの知恵と工夫により自主的、主体的に取り組む地域の元気を生み出すモデル的で発展性のある事業に対して、必要な経費を支援します。」というものである。支援者の対象は「市町村、広域連合、一部事務組合」または「公共的団体等(県内に事務所を有し、公共的活動や地域づくり活動を行うNPO、協議会等)」ということであり、NPO法人諏訪市セーリング協会は公共的団体等に該当する。その他、支援対象事業区分やハード事業とソフト事業で補助率の変化ある。
しかし、諏訪湖でのヒシ焼酎が作られたことは2020年の1度きりであり、2022年現在は諏訪湖でのヒシ焼酎作りは行われていない。現状ではヒシ焼酎作りの再開は未定である。ヒシ焼酎が売れるかどうか不明であること、ヒシの実を醸造するために殻を剥く工程があるが、これが難しい。ヒシの殻が硬く、実を取り出すのにかなりの手間を諏訪地域には工場が多く、ヒシの殻を剥くための機械を開発するということも可能かもしれないが、現状そのような前例はないことから開発費は大きくなりそうである。
ヒシ焼酎自体で採算を取ることはかなり難しいようである。ボランティアや体験学習として、一般市民への参加型としてなら再開できるかもしれない。和船で回収したヒシは一度湖岸に引き上げられ、湖岸でヒシの実の部分を収穫する。なお実を取り除いた茎や葉などを残した部分で、堆肥化を行なっても、成分としては農作物への十分な効果が期待できるようである。
また諏訪湖や収穫したヒシには、特有の臭いや汚れがある。ヒシの実からはぬめりもあるため、収穫したヒシの実は十分に水洗いする必要がある。加えて、悪臭などが負担となるため、イベント参加者には十分な動機づけも必要となる。
4.福島県猪苗代湖でのヒシの繁茂と活用
福島県猪苗代湖でもヒシの繁茂が問題となっており、ヒシ除去活動とヒシ資源化活動が行われている。諏訪湖との比較・考察を行う。
猪苗代湖は日本で4番目に大きい湖である。諏訪湖と同じ断層湖である。最大水深は93.5m、平均水深は51.5mと深く、平均水深4.2mの諏訪湖とは大きく水深が異なる。苗代湖は、北側が浅く、南側が深くなっている。北側の浅い部分でヒシは繁茂している。
猪苗代湖は、2002〜2005年度の4年間、日本の湖沼でのCOD値がもっとも低く、水質が日本で一番良かった。猪苗代湖の透明度が高い理由として、酸性の水質があげられる。酸性である水質が、植物プランクトンを含む生物の生育を抑制することとなり、CODの値が低く保たれ、湖内が透明となる。猪苗代湖が酸性となっているのは、流入河川のうちの1つである長瀬川が酸性であるからである。近年、長瀬川の源流のある安達太良山での火山活動が変化し、長瀬川の酸性が弱まり、猪苗代湖が中性化することとなった。湖内の水質が酸性から中性に近づくことで、生物が生育しやすい環境となり、CODの値が上昇したり、ヒシが繁茂したりするようになった。(中村ほか,2015)
猪苗代湖やその周辺は観光資源が豊かであり、春は桜、夏は湖水浴、秋は紅葉、冬はスキーやスノーボードと四季を通して観光客が訪れる。猪苗代湖は水質がよく、砂浜が豊富にあるため、湖水浴が盛んに行われている。
猪苗代湖では、手作業と機械船によるヒシ除去が行われている。2020年度の猪苗代湖のヒシの回収量は、手作業で約39トン、機械船で約93.5トン、合計で約132.5トンとなる。ちなみに2020年度の諏訪湖のヒシ回収量は、手刈りで約0.03トン、機械船で約510.7トン、合計で約510.7トンとなる。2020年度の猪苗代湖のヒシ回収量は、諏訪湖の約26%となる。
猪苗代湖のヒシの活用について述べる。猪苗代湖のヒシからお茶を生産販売している「株式会社いなびし」の長友海夢さんに、お話をうかがった。猪苗代湖では、刈り取ったヒシやヒメホタルイなどの水草は、畑で1年発酵させて堆肥化したり、処分したりしている。ヒシを刈り取り処分するのに毎年多くの費用と手間が発生し、財政も厳しく、活動している方の高齢化も進むなか、持続可能な解決方法がないかということでヒシを利活用することを考えた結果、真空パックしたヒシの身を酒のつまみとして販売するか、日本酒の原料として使うことなどを試みた。殻剥きが面倒であったり、ヒシで対応してくれる酒蔵探しが難航したりした結果、殻剥きが不要なお茶という形で活用が始まった。「猪苗代湖産ひし茶いなびし」として、2022年3月から道の駅猪苗代で販売を開始した。同製品は、ヒシを乾燥し、粉砕したものをティーパックとして販売された。道の駅での販売のほか、猪苗代湖周辺の飲食店や宿泊施設でのドリンクメニューとして導入された。売れ行きは好調で、2021年9月に収穫したヒシ分で作ったお茶は在庫がなくなるほどであった。2022年夏には、いなびし茶の増産のための資金調達をインターネットのクラウドファンディングで実施したところ、目標金額170万円を上回る、214万円資金が集まった。ヒシから作られたお茶の人気の高さを感じられる(長友,2022)。
生産したお茶を販売するほかに、2022年7〜10月の間、教育・観光のための有料のヒシの刈り取り体験ツアーを実施している。体験者は実際に湖の中に入り、猪苗代湖の繁茂したヒシを手で回収する作業を体験するものである。参加人数は1度に10〜30人ほどだ。旅行会社のSDGs体験ツアーと、主に関東の中学校と高等学校の修学旅行のプログラムとして依頼があった。2022年度は週に1度開催していた。依頼は多いが、人手が足りない分は断るという状況だ。ちなみに諏訪湖では、有料でのヒシの刈り取り観光ツアーは実施されておらず、無償でのボランティア活動に限られる。
そのほか猪苗代湖のヒシを利用した活動として過去には、ヒシの料理体験教室、ヒシの実でのネックレス作成体験、ヒシの植物体の繊維から和紙作りが行われている。株式会社いなびしでは、猪苗代町でシェアキッチンでのそば屋を経営しており、ヒシ茶をメニュー提供している。このような活動により、ますます猪苗代湖でのヒシ問題を観光客や市民に周知するきっかけとなっている。
5.他の湖でのヒシ活用例
ヒシは日本全国に昔から自生している植物であるものの、その正体についてはよく知られてなかったが、近年ヒシの健康的な成分についての研究が進みつつある。ヒシの外皮には、ヒシ特有のポリフェノールが含まれていることが明らかになった。ヒシポリフェノールには、抗酸化活性、糖質分解酵素阻害活性、Caco-2細胞グルコース吸収抑制作用、食後血糖値の上昇抑制作用という健康的な機能性があることが判明した。またヒシの収穫時期によって含有成分に差がある。10月〜2月の月ごとに収穫したヒシを比較した場合、ヒシからの総ポリフェノール量は、早い時期のほうが含有量は多い。佐賀県にある西九州大学では、産学民一体となってヒシの機能性を生かした商品開発が行われている。「ひしぼうろ」が開発されている。
千葉県の印旛沼には毎年6000トンのオニビシが自生している。そのほとんどが資源化されることなく、焼却処分されていた。リファインホールディング株式会社と産学連携によって、ヒシポリフェノールの機能性を生かした化粧品素材の開発がされている。しわやたるみの予防に期待できるようである。特許を出願した。(安田ほか,2018)
Ⅳ.考察
1.ヒシの繁茂の抑制
⑴刈り取り時期
先述した通り、現在のヒシの回収作業は7月〜9月に行なわれている。この時期になるとヒシはすでに実をつけている。ヒシが実をつける前の段階、5月頃からヒシの刈り取りを行うのはヒシの繁茂を削減することができる。ヒシの実は回収作業中に植物体から分離し、水面を漂い、動物や衣服などに付着し、生息範囲を広げてしまう。諏訪湖のヒシ回収は、刈り取り範囲から陸上げ地点まで船舶を使って移動する必要がある。移動中にヒシの実を湖内に落とし、広げている可能性が高い。現在行われている7月〜9月に全体の面積の1割のヒシ回収作業を行う利点としては、大きく3つ挙げられる。
①ヒシが十分に生育し、多くの窒素やリンを吸収してから陸上げすることで、湖外へと栄養を移動することができる。
②比較的少ない作業面積で、重量基準で多くの刈り取り目標量を達成することができる。
③人間が手を加えてない環境下でのヒシの繁茂の増減範囲内(繁茂面積の約1割)でヒシの刈り取りを行うことで、ヒシを必要以上に刈り取ってしまった場合の生態系の破壊など問題の発生を防ぐことができる。
このような理由から、諏訪地域振興局建設事務所では7〜9月の刈り取りが行われてきたように考えられる。
⑵覆砂
覆砂とは、底に堆積した底泥を良質な砂で覆うことにより、底泥からの窒素、リンなどの栄養塩類の溶出を抑えて水質・底質を改善するとともに、豊かな自然生態系の創出を図る手法である。
ヒシが繁茂しやすい泥質から砂質の湖底を増やす。またシジミの生息地としての効果がある。シジミには水質浄化の機能が期待される。また泥質層を砂質層で覆うことで、泥質層からのリンや窒素の流出を抑える効果も期待される。覆砂することで、枯死して発生したヘドロを覆うことができ、ヒシの繁茂しづらい砂質の環境をつくるというヒシに対して複数の効果が期待できる。諏訪湖では渋崎沖、日赤沖で覆砂工事が完了している。
⑶流れを作る
諏訪湖では、以前は大きな水の流れがあった。現在はそのような大きな流れがなく、魚にとって悪影響となっている。湖の中に流れがあることで、湖の内部が攪拌され、貧酸素塊を解消することができる。また、ヒシは流れのないところに繁茂する性質があるため、流れがあれば繁茂を抑制できる。
諏訪湖は浅く、流入河川がいずれも山岳から流れてくるため、雨が降ると急激に水量が増え、川が洪水し、諏訪湖が氾濫することが度々起こった。そのような被害を受け、諏訪湖自体や諏訪湖への流入河川への治水工事が積極的に行われてきた。
従来の姿のように諏訪湖への流入河川の川幅を広げたりや川の水深を浅くすることは、川からの水の勢いを増し、湖内に流れを作ることができるが、諏訪湖や流入河川周辺は住宅地となっているため、治水上の問題があるため現実的には難しい。
諏訪湖創生ビジョンによると、2010年時点で導水路の設立で諏訪湖内に流れを生みヒシ抑制するという案が出ていたが、ヒシの狩り取りでの除去が決定された
諏訪湖内に流れを生み出すことは、治水と費用の観点から、現実的には難しい。導水路を設けることが、ヒシの繁茂抑制と貧酸素化対策となる。しかし、多大な費用をかけ導水路を設置しても、流れが生み出す効果は局所的になり、また導水路への定期的なメンテナンスの必要性が発生するため、導水路を導入するハードルは高い。
⑷浚渫
諏訪湖は、流入する河川からの土砂によって、常に埋まり続けている(沖野, 2005)。ヒシが繁茂するのは、水深が浅い2メートル以下の浅瀬である。現在の諏訪湖の中心部の水深は約4.5メートルで未だにヒシの繁茂する環境ではないが、このまま浚渫を行なわないでいるといずれ中心部までもが水深が浅くなり、ヒシが繁茂する環境に変化する恐れがある。この状況を防ぐには、浚渫事業を再開し、湖内に堆積している土砂を陸に運搬する必要ある。
また浚渫を行うことにより、窒素やリンなどの栄養塩類を固定したまま湖内に沈澱している枯死してヘドロとなっている植物体を、湖外に運搬することとなり、富栄養化を防止する一助となる。
諏訪湖での浚渫は、水質浄化対策を目的として、1969年から実施された。2003年以降は、現在に至るまでの期間行なわれていない。長野県公共事業再評価監視委員会によると、浚渫事業を停止した理由として、水質改善効果が見られ、浚渫土の処分地確保が困難であり、浚渫の費用対効果の判断が困難であるためとされる。
浚渫再開へは、浚渫土の受け入れ先がないという問題を解決する必要がある。諏訪湖の湖底に溜まった泥は、重金属やプラスチックゴミなどを含んでいるおそれがある。そのため、浚渫土は汚泥として適切に処理される必要がある。東日本大震災による原発被害で汚染物質の受け入れ規制が強化された影響で、諏訪湖の浚渫土の受け入れ先が現状見つかっていない。
2.ヒシの資源としての高い可能性
調査結果からヒシは資源としての価値がある植物である。現在、刈り取ったヒシはすべて堆肥化されていて、焼却処分されていないという面では高く評価するべきである。
堆肥事業では、諏訪地域内で除去、処理、再利用されている。一方で、諏訪湖のヒシの刈り取った量の一部を、さらに付加価値をつけた形で販売することが必要ではないか。調査結果で示したように、全国各地でヒシの研究やヒシの活用がもうすでに行われている。他の湖での活用例を諏訪湖のヒシでも採用することは、初めから研究開発するよりも比較的容易であり、関係者も実行しやすいだろう。湖間での連携を深めることで、それぞれのヒシの味の差や健康効果の差などの比較が生まれ、情報交換をすることで様々な面での良い効果が期待できる。ヒシの活用で一番のネックであるのは、ヒシの実の殻剥きである。殻剥きの工程があると、人手がかかり、それに伴い時間と費用も多くかかる。殻剥きの不要な製品、例えばヒシからのお茶作りであれば、殻剥きが不要な分、少人数で少ない工程で製造することができる。
ヒシの商品を販売することは、広報としての効果もある。
道の駅などで、「諏訪湖のヒシからできたお茶」というものが売っていれば、消費者の興味を引くだろう。家庭内で出せば子と親が諏訪湖の環境問題について考えるきっかけになるし、なにより自分ごととなる。環境問題で課題として、一般市民の環境問題への意識の不足というものがあるだろう。現状行われている堆肥化だけでは、一般市民が資源化の行程に関わることのできる範囲は限られている。また一般市民との接点という面なら、ヒシ焼酎よりヒシ茶のほうが優れているだろう。ヒシ焼酎に関して、対象となる消費者は大人であり、かつ焼酎となると購入者はさらに限られそうだ。ただし、ヒシ焼酎を使い、サワーとして加工するという案は考えられる。お茶であれば、消費者は全年代に広がる。種類よりも法的な取り扱いも容易であり、乾燥した茶葉とペットボトルや缶などの入れた液体状態としての販売のほか、飲食店でも酒類よりも取り扱いやすいと考えられる。健康意識の高い女性がメインターゲットにはなりそうである。諏訪湖のお土産としても選択肢となる。諏訪地方を観光地に選ぶような人物は、自然を愛し、環境問題にも興味があるはずである。諏訪湖のヒシという環境問題の解決の1つに消費者として直接参加できる。そのほか観光客がヒシの商品をお土産として持ち帰ることで、特に都市に住む人々への話題の種を提供するとともに環境問題として諏訪圏外に周知されるという利点がある。諏訪湖を観光の面で知ってもらうほか、諏訪湖の環境問題の2つの面をアピールすることができる。諏訪地域は特急電車と中央道により、東京・名古屋の大都市圏からのアクセスが特に良い。実際に興味を持った都市部在住の消費者に実際に諏訪湖に訪れてもらうことは、比較的容易である。
さらに発展していけば、コト消費としての価値を拡大することができる。諏訪湖の手刈りでのボランティアや体験学習として参加者を募った際に、自分たちで刈り取ったヒシの製品できれば、購入意欲と参加意欲の両方を促進できる。満足感につながるだろう。やはり、ただ情報としてヒシの繁茂が問題となっていることを知ったとしても、情報の受け取り手の記憶に残り続けることは難しい。ヒシからできた商品を味わい、実際に自分たちでヒシを刈り取ったという体験があれば、長く記憶に残り続ける。
ヒシの製品やヒシ刈りを通して、人と人とを結ぶコミュニケーションツールのひとつとしての役割を担えれば良いだろう。猪苗代湖の株式会社いなびしが、クラウドファウンディングで200万円の資金調達を完成させたように、人々の湖の環境問題への潜在的な関心はある程度高いと期待できる。
現在の諏訪湖の手作業によるヒシ狩りの参加者は、諏訪湖創生ビジョンへの協賛団体の関係者またはトヨタソーシャルフェスの参加ボランティアなど間口が限られる。
カヤック体験のように、シーズン中に定期的に参加者がヒシ狩りに参加できるような状況となれば、より身近なものとして認識できるだろう。ヒシ狩りを有料の観光体験事業として、既に活用できている猪苗代湖よりも諏訪湖は水質が悪く、臭いが気になる。それ以外には、猪苗代湖は遠浅の浜となっていて、船舶に乗らずにヒシの刈り取りができるのに対し、諏訪湖は遠浅となってないないため、かならず船を使ってヒシ狩りを行う必要があり、船を取り扱うにあたって船の台数を確保する等、運転できる人員を容易するなどのハードルがあがる点が異なる。
ヒシは水草として熱帯魚などを取り扱うショップで販売されることもある。
まずは他の地域・湖で行われているヒシの資源化を、諏訪湖でも採用し必要があると考える。
3.目指すべき諏訪湖像
諏訪湖では、多くの立場の人間が複雑に利用している。目指すべき諏訪湖の像が曖昧となっている。「こちらを立てれば、あちらが立たず」といった状態となっている。これまでの諏訪湖は、治水面を特に重視して管理されてきた。そのためコンクリート護岸となった諏訪湖や河川には、タナゴが田と諏訪湖を周遊して、外敵から身を潜めたりすることができなくなった。人間がより安全で生きるためには、生態系にある程度犠牲になってしまうのはしかたないという「必要悪」のような面をしている。
治水面は、住民にとって最重要事項であるから仕方のないことではある。河川が洪水し、諏訪湖が氾濫することで人命が失われるようなことはあってはならない。しかし、湖内の生態系がないがしろにされてきたというのは事実であるだろう。特に水草移行帯がなく、浅い沿岸部がないという現在の諏訪湖の姿は魚類にとって生息しにくい環境となっている。
諏訪湖の陸上は、サイクリングロードとジョギングコースが整備され、景観も整い、足湯や公衆トイレ、公園が設置されて良い環境が整っている。諏訪湖には多数の無料の駐車場があり、容易に諏訪湖へ訪れることができる。諏訪湖は、国土交通省水管理・国土保全局のかわまちづくり支援制度の対象地域として認定されたものの、当制度を利用した湖岸にカフェを作る等のまちづくりは行われていないという話を関係者から聞くことができた。県とそれ以外の団体での温度差が、諏訪湖のまちづくりにも感じられた。
ヒシの刈り取りの対策は10年近く行われてきたが、現在のヒシの刈り取りについて疑問を抱いている関係者もいた。7月〜9月のヒシが成熟して実を落とす時期に刈り取るという現在の方法は、限られた刈り取り面積で目標除去重量を満たすために行っているのはないか。国からの予算条件を満たすために、非効率的なヒシの刈り取り方法となってしまっているのではないかと推測される。
諏訪湖の手刈りには、必ずセーリング協会の船舶貸出や人員提供の協力を行っている。ヒシ刈り取りの専用の設備はなく、セーリング協会への協賛の団体が資金を出し合って、ヒシ刈りのための船舶やエンジンを購入しているという。ヒシを手刈りする際に、湖岸へ船体が擦れてしまい船体が痛むということや、繁茂したヒシの中を航行する際にエンジンに負荷がかかり消耗が早くなってしまうといったこともあるようだ。現状は県から十分な予算がセーリング協会へと出ていなく、自己負担となっているようである。ボランティアの形でヒシを刈り取る作業を実施することも必要だろうが、しっかりと設備には自治体から予算を出すべきだろう。ヒシ刈りには水難事故の可能性もある。しっかりと県から協力団体へ十分な設備投資や予算を補助するべきである。
Ⅴ.おわりに
諏訪湖は、時代と共にその姿が大きく変化した。古代の諏訪湖、江戸時代の諏訪湖、戦前の諏訪湖、高度経済成長期の諏訪湖、現在の諏訪湖、それぞれで湖の様子は大きく異なる。時代とともに、諏訪湖にはそれぞれ違った課題が生じ、その都度人々は解決してきた。諏訪湖特有の課題と全国の湖沼と同様の課題の両方がある。本稿で取り上げたヒシの異常繁茂は、全国の湖沼で確認されている問題であるが、未だに明確な解決策が確立されているわけではない。ヒシを活用する挑戦的な新たな取り組みが、今まさに生まれている段階である。本稿執筆にあたり、調査をしているなかで、実際の湖の様子を見て、湖やヒシの資源化に関わる人々に直接話を聞いていく中でいろんな発見や驚きがあった。
謝辞
本論文の作成にあたり、終始適切な助言と丁寧な指導をして下さった教授に深く感謝します。
加えて、ご多忙にも関わらず、快く調査にご協力頂いた信州大学理学部湖沼高地教育研究センターの宮原裕一氏、NPO法人諏訪市セーリング協会の横山真氏、株式会社昌栄社長の清水昌敏氏、株式会社みのり建設社長の宮坂典利氏、株式会社いなびしの長友海夢氏、諏訪湖漁業協働組合代表理事組合長の武居薫氏に感謝致します。
調査にあたり、お時間をとってご協力いただいた長野県諏訪地域振興局環境課、企画振興課、商工観光課、長野県諏訪建設事務所の職員の方々にも感謝申し上げます。