責任と優しさ
どぅわーっす。
どうも、SHINYAです。
先日、私の叔母が足を複雑骨折したというニュースを拝見し、世間がパニックになっているということを恥ずかしながら知りました。(ニュースを拝見し〜パニックになっている、が嘘)
とても心配しました。
電話をかけると、「そんなことより、またいつか飲みに行こう」と、とても元気でした。
叔母のことはあまり心配しないようにしようと思いました。
さて、皆さんは自分の言葉に責任を持てていますか?(ボクハモテテイマセン)
今回は言葉の責任について感じたことを話していきたいと思います。
まず、皆さんの周りに、経験したこともないようなことを、経験したかのように言い、ましてや、それが正しいと思っている人はいませんか??
イメージがつきにくいと思うので、体験から話します。
私の夢は消防士になることです。
それを周りが知った時、
「他の道に進んだ方がいいよ。」と、言ってきた人が5人くらいいました(そのうちの1人が叔母)。
「なぜですか?」と聞くと、「消防士はきついから」と答えられました。
(あんたは消防士か?消防士目指したことあるのか?所詮、自分の歩いてきた道だけが正しいと思っている勘違いをした大人にすぎないだろう。)
と、思いました。
消防士がきついのくらい百も承知です。人の命を守る仕事ですからね。
ただ、キツいから夢を諦め、やりたいことをできていない私をあなた方は応援してくれますか?
消防士を諦めたら、あなた方は私の人生を成功に導いてくれますか?
この5人の方々は、他人から消防士についての話を聞きいたのか、知識もないまま、勝手なイメージに囚われ、すべてを知ってるかのように他人に押し付けているように思えました。
また、この人たちの凄いところは、自分に悪気がないと思っているところ。相手のためを思って言っている感が出ていて、とても対応に困ります。
優しさとは、受け取る側が感じることです。
一見、私のことを考えて言っているのかな、とも思えますが、対して人のためにはなっていません。
自分の勝手なイメージから繰り広げられる自己満でしかない優しさは優しさではありません。
つまり、優しさという名の迷惑です。
このように、誰かから聞いた言葉を自分の言葉かのように、理解もしないまま言ってしまうと、相手はあなたに対して、信用が無くなります。
人と人との間は、信頼関係で成り立っています。
このような責任感のない言葉を発していると、あなたの信頼度はなくなり、最終的には相手にされなくなります。
誰かの夢や目標に口を出す場合は、最低限(その人以上)の知識があることが大前提だと思います。
自分の歩んできた道だけが正しいと思わず、別の道を歩む人が、これまで以上に可能性を抱けるような言葉掛けをすることが、本当の優しさなのではないでしょうか。
また、自分で身をもって体験したことを、自分の感情と向き合い、それを言葉にするからこそ自分らしさって出るものじゃないのかな。
周りの意見ばかりに気を取られ、自分を見失わないようにしていきたいものですねぇ。
長くなりましたが、
明日も最高の1日にしたいと思います!
(↑誰かが言ってたような笑)
では!
ばーーーぁい。
よろしければお願い致します! 社会に貢献いたします!