トウキョウ

広くも狭くもない道路を挟む高層ビルは、心なしか冷たい感じがする。どこまでもビルが連なっていて圧迫感を感じる。建物も、ヒトも、モノも全てがひしめきあう街。近代的なデザインとチェーン店で溢れる、日本の中心。
これまでトウキョウに出たことがない私は、地方都市娘なりにそれなりの憧れを抱いていた。109でお洋服を買ったり、インスタ映えするカフェでティータイムを過ごしたりしたかった。阿倍野のキューズモールの中に109ができたとき、どれだけ嬉しかったか。そして何よりも豊かな文化資本が羨ましかった。美術館の展覧会はまずトウキョウから始まる。トウキョウでしか行わないモノも多々あるし、そもそも美術館やアートギャラリーの数が多い。首都であるからには当然ではあるだろうけど、やっぱり羨ましかった。
生で見て過ごすトウキョウは刺激的で煌びやかで、スクランブル交差点でさえはしゃいでしまったのだけれど。ただ、ひとつ。
トウキョウで生まれ育った人間にとって、郷里とはどのような姿、形をしているのだろう。
夜行バスから降りて見たスカイビルは、いつもよりちっぽけでそれでいて懐かしささえ感じた。グランフロントの前の緑のクマの噴水も愛おしく感じた。ヨドバシカメラのごちゃごちゃしたフォントや、阪急の赤茶色のビルも、郷里という言葉が持つイメージとは少し遠い姿であるが、それは私にとって郷里だった。では、トウキョウの人間は、何に郷里を感じるのだろう。スクランブル交差点を、竹下通りを懐かしいと思うんだろうか、毎日目まぐるしく変化していく、その街に懐かしさや愛おしさを感じるのだろうか。

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