2011 カナダ渡航記 -始まりの記憶-
15歳の夏に体験した初めての海外。そこでの体験は「今後絶対に超えることができないであろう完璧な1か月」。今でも1日1日、一言一句鮮明に思い出せるキラキラした時間は、自分を世界の舞台に引っ張り出す人生の大きな大きなターニングポイントとして心に刻まれています。
実は12歳、13歳の時にも渡航のチャンスはありました。でも食べるものも話す言葉もすべてが不安で、何より日本の生活がある程度忙しく満足もできていたので他人事としてスルーしていました。でも、同級生の友達が帰国後笑顔で楽しそうに思い出を語っていることにどこかジェラシーを感じ、負けん気だけで応募を決意しました。でも直前になるとその決断を猛烈に後悔。「人生で一番楽しくない、苦しい一カ月になる」覚悟で飛び立ちました。
向かった先はカナダのプリンスエドワード島。赤毛のアンで有名な、東海岸に浮かぶ自然豊かな小さな島。飛行機を乗り継いで約15時間、日本の真逆の12時間の時差のせいでとてつもなく長い1日を過ごしました。翌朝ホストファミリーと合流しましたが、会話がわからずぼーっと車窓からの景色を見て、家に着いた瞬間時差ボケで爆睡という最低なスタートでした。(夜中にパッチリ目が覚めて、トイレを探しさまよい、飼い犬と自分の両方が存在にびっくりしたのはいい思い出。)
そんな中流れを作ってくれたのが野球の存在。ホストブラザーとは翌朝キャッチボールをしたことで打ち解け、パピーマミーともメジャーリーグ中継を一緒に見て盛り上がりました。スポーツ好き一家で本当に助かった。そんな流れもあって、ホストブラザーが所属する野球チームの試合に早くも現地3日目から出場。そこで同世代の友達がたくさんできてとてもうれしかったし、東洋人なんてなかなかいるもんじゃない地域だけにちょっと目立って相手チームからも観客からも大人気!スポーツは言葉がいらないし、でも心が通じ合えるのがわかるし、なんとなく言葉の意味は分かる気がするし、自分を証明する道具になってくれるから素敵ですね。結局ひと夏本場のレベルにもまれたことで、野球も格段にうまくなってしまいました。
今思えばとにかく「自由」だった1か月。行きたいところ、やりたいこと、リクエストすればなんでもやらしてくれる天国のような時間。日本では常に何かの予定に追われ、大人の顔色を見て育ってきていました。それだけに、まっさらな状態で自分を見てくれること。明日の予定もわからないほどワクワクとドキドキに満ちた毎日あること。自分で自分の生活を考えコントロールし創っていけること。どれも目からうろこで楽しくて、子供のように感情を全力で表現できる「ネバーランド」、はたまた起こることや自身の変化もなんでも受け入れられちゃう「不思議の国のアリス」状態でした。日本の今までの自分では考えられないような柔軟で感情的な一面が見えたことで、「1カ月でここまでできるし変われる」「日本を出ることで自分自身がすごく成長できる」と思え、挑戦にポジティブな印象を持てたことが最大の収穫だったと思います。
海での過ごし方、遊園地、レストラン、ショッピングモールなど、一つ一つのお出かけ先が日本と違って楽しかったですし、また反対に同年代の遊び方や勉強の内容、家族の会話などは日本とさほど変わらず、なんだか安心したりもしました。外国、違う文化ってものを怖がりすぎてたし、外から見た日本、帰国した後の日本のほうがよっぽど順応にしんどかったりしました。この多感な年代にこのような経験ができたことに感謝です。早くに自分が少数派な世界を経験することで、自分自身について深く考え、のちの選択肢の幅と深さにつながってくると思います。
帰国の日は、人生最大級の号泣。人前でなんか泣くことないはずなのに。こんなに素敵な時間と大好きな人たちと別れなきゃいけないのがただただつらかったです。いつまででもいたかったけど、1カ月だったから全力疾走できたのかもしれない。この年齢でこの地に来たことが運命的で、これをきっかけに前に進まないといけない。ということで帰国の飛行機で早くも2つの目標を立てました。「この1か月間で見た自分を習慣化する、そのために休学してでも1年出る」「言語的にも精神的にも成長して、自分自身のお金で感謝を伝えにこの地に戻ってくる」。物語は第2章へと続きます。