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手ぶらじゃ死ねない

Noteを久しぶりに立ち上げて、アイコンの自分が超ショートヘアなこと、プロフィールが26歳なことに驚く。最後の記事は27歳の誕生日だった。死ぬ時は手ぶらで、思い出だけをもって死ぬぞと3年前の私は思っていたらしい。



誕生日プレゼント何が欲しい?という問いに、私は毎回「手紙」と答える。物はいらない、手紙がほしい。付き合う前か後か記憶は曖昧だけど、そう言う私に彼は少し困ったように笑って、俺書いたことないよ〜と言った。じゃあ気が向いたら書いて、と言ったけれど、その付き合った年の誕生日、彼からの手紙はなかった。当日夜ご飯を一緒に食べながら、ごめん、手紙は書けなかった、書こうとしたんだけど軽い言葉になりそうで、そういうのは陽ちゃんが欲しいものじゃないなと思って、と。




彼の真摯なところが好きだなと思う。大人になって気遣いという名の上澄みだけを掬ったような言葉や関係性より、ずっとずっと信頼できる。もちろん全部を言うことが正義ではないし、伝えない優しさもあるけれど、私と彼は「何を伝えて、何を伝えないか」の感覚が近い。同じ言語を使っているなーとよく感じる。




大橋トリオのHONEYという曲がある。「君と出逢って 二人で泣いた夜も 傷つけ合って 痛みを知って はじめて優しさの意味を知ってゆく」という歌詞がとても好きだ。人間同士の関わりの中で、はじめて知ることがまだまだたくさんある。知らない自分に出会う。こんなこと考えてたんだ、私はこれが大事なんだとハッとする。そういう感情を味わうために私は生きているのだと思う。




誕生日に北海道に行こう、と彼が言った。嬉しい!楽しみすぎる。仕事の合間に行きたい場所を調べる。天気予報も毎日張り付くように見ている。前日からもう終わるのが嫌すぎて、行きたいけど行きたくない〜と言うと笑われた。




北海道旅行2日目の夜、雪で冷えた身体をお風呂で温め、頭を拭きながら「ごめん少しお湯冷めちゃったかも、お湯足して入ってね〜」と言う私に、陽ちゃんにプレゼントがあります!と彼が声高らかに言って手紙を取り出した。え!嬉しい!じゃあお風呂入ってる間に読んでいい?と聞くと、今年は朗読式です、と。(昨年は贈呈式だった)

そこから先は正直あまり覚えていなくて、気づいたら滲んだ視界の中で、彼が笑って小さな箱を持っていた。二人で笑って、二人で泣いた。




帰ってきて、冗談半分で「私が死ぬ時、この手紙棺桶に入れてね」と彼に言った。「いや、俺のが先に死ぬから。陽ちゃんは絶対俺の後にして、耐えられないから」と彼は言った。

手ぶらじゃ死ねなくなってしまった。そんな30代のはじまり。

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