ゆずってどんな人?
皆さんこんにちは、明日から新卒社会人として社会に出るゆずです。1か月前からアウトプットする習慣をつけようとnoteを始めてます。
明日から4月、僕も新卒社会人になり投稿もできるだけしていこうと意気込んでいるのですが、その前にそもそも僕がどんな人なのかプロフィール用の記事を書こうと思います🍊
〈ゆずってこれまで何してきたの?〉
さてこれから僕についてダラダラ書こうと思うのですが、あまりまとまりがないのもイヤなのでこれまでとこれからで話を分けたいと思います。まずはこれまで。
これまでといっても高校以前の記憶はもう曖昧なので(というかお恥ずかしい過去満載なので、、、)大学でしていたことから綴ろうと思います。
大学での僕のやってきたことは大きく2つで①イネの遺伝子組み換えしてました🌾と②塾講師をガチってましたってことです。
↑イネの種から培養してイネを育てる途中のカルス写真
1つ目のイネの遺伝子組み換えをしてました~、というのは大学4回生~院2回生まで研究でバイオエタノールの生産効率をあげれるようなイネの遺伝子組み換え株を作成して、成分分析をしていました。でも、こう書くとわかりずらいのでもっとかみ砕きます(正確な表現を結構逸脱しますが専門家の方はご容赦くださいね)。
みなさん、日本酒を飲まれる方が多いと思うんですけど、日本酒ってお米のデンプンから、菌で発酵することで作られます。実は植物全体を作っているセルロースって物質があるんですがこれはデンプンと形が似ています。なので超絶ざっくり言えば植物全部をエタノール(お酒に入っているアルコール)に変えれちゃうんです(あら素敵✨)。で、このエタノールなのですが皆さん小学校の時にアルコールランプって使いませんでしたか?そう、燃えるんです。なのでこのエタノールをガソリンと混ぜて使うことができます。ただ、植物を分解してエタノールを作るのに邪魔者がいたりして、すんなりとはいきません。なので、遺伝子組み換え技術を使って邪魔者が少なくなるような植物を作ろうというわけです。僕も実際イネの遺伝子をいじってその成分を分析していました。
こういうとすげぇってたまに言ってもらえたりしますが、実際、実験をしていると、あれ、イネが育たない、あれ、同じように育てたのにめちゃめちゃ結果が違うと結構思うようにはいかないですし根気がかなりいる作業です。かなり地道で世間のバイオテクノロジーのイメージとは違う。地道過ぎてたまにむなしくなるのでテラスハウスのバックミュージックを流しながら実験してました(あまりよろしくない)。
でも、そもそもどうして遺伝子の研究を始めたの?っといいますと、きっかけは高校時代にあります。
僕が通っていた高校では高2の間だけ指定のクラスで課題研究の授業がありました。当時の僕は生物の勉強と家庭科だけは好きといった感じでのめりこみ、高校生範囲での研究にはまっていました。確か納豆菌をいろんな環境で育てて比べてみようぜ!みたいなことを1人で黙々とネーバネバしながら実験してました。部活で筋トレしまくって、その後生物室にこもってギリギリまでやってた日々を思い出します(このころ脳内メーターは筋肉と納豆)。
ともかく、この課題研究で研究おもろいやんけ!生物おもろいやんけ!ってなった僕はその時一番興味があった遺伝子(遺伝子が生物の設計図であることにめっちゃ神秘を感じたのです。)をもっと勉強したいと思い、大学でも遺伝子を中心に勉強し始めました(実際面白いので興味あれば是非)。
ただ、就職ではほぼ関係ない分野に進みます。その理由は後程。
次にこれまでの僕を語るための2つ目、塾講師ガチっていました!です。
塾講は1回生の夏ぐらいから始めました。人のために時間を使ってお金がもらえるならいいな、もっと他の人の人生に関わってみたいなって気持ちで始めたのは覚えてます。初めて1年くらいは教えるのも楽しく、少しずつ授業以外にもバイト内での教室活動も手伝ったりして忙しくても楽しく講師をしていました。このころのモットーは友達みたいな先生で、勉強することが楽しくなることを意識してました。
ただ、2回生の終わりに僕の中でモヤっとした感情が生まれます。きっかけは、当時担当していた受験生の1人が第一志望を落ちてしまったときにそれでも『担当が先生たちでよかった』と言ってくれたことでした。もちろん、担当が自分でよかったと言ってもらえてとても嬉しかったです。ただ同時に、あっ、自分は人の今後の人生にかかわる仕事に本当に携わっているんだって実感と、その子が本当に行きたい進路に進めるように自分はやれることを全て考えてやれたのかなというモヤっとした感情が残ってしまいました。
実際、このとき振り返ってみれば教材の選定やカリキュラムの組み方まで、先輩から教わったことに従っていただけ、楽しい関係を優先するあまりに結果を重視していませんでした。
このことを皮切りに、その子に合ったオーダーメイドの授業を提供し、かつ結果が伴う講師を目指そうとなりました。それからは、生徒ごとでどう会話を変えるか、教材はどれが一番合うか、授業と宿題をどううまく利用するか、などなどなどなど。とにかく生徒に尽くせるように頑張ってました。
そうして、生徒と一緒に頑張っているうちに、人の思いも価値観も人生もほんとにいろいろあって面白いな、目標に向かって頑張る人支えるの好きだなって感情が僕の中で芽生えだします。(今までもあったのかもですが意識的に気づきだしたのはこのころでした。)
こうして、いろんな生徒といろんなことをやりながらやっていくうちに、最後には担当の受験生全員が最後には第一志望に進んでくれた+卒塾してから担当生徒が講師になったといった講師として最高の結果を得ることができたのでちょっと自慢です、へへっ。
でも結果もうれしいのですが、いろんな生徒に出会っていろいろ経験させてもらった方が自分の中では一番大切な経験になっています。
というわけで、これまでの僕を振り返ると、遺伝子の研究にはまったよっていうのと、講師生活を通して人を支えるの好きなことに気づいたよというものです。(人生のいい部分だけ書かせていただきましたw)
〈ゆずってこれから何したいの?〉
さて、これまでで遺伝子と講師生活について書いたので、これからもどちらかを仕事にしていくのかとなるのですが、結果は!
御縁があり、人材会社でデータサイエンティスト見習いをさせていただくことになりました。
あれ、遺伝子と塾講は?となるのですが、どうしてこの選択をしたのか書いていきます。
心機一転今までやっていたことと異なる仕事についたのですが、どうしてかというと4回生時に遡ります。当時実験楽しいとなっていた僕はもちろん毎日実験をしていたのですが、ふと将来自分はほんとは何がしたいのだろうと思うようになりだしました。高校生の頃は遺伝子の研究でノーベル賞とるぞといったかなり漠然とした気持ちで教授を目指し、遺伝子の勉強をしていました。ただ、就活を意識しだすようになり、かつ、塾講生活で人の人生に関わるの楽しいと思いだした僕は、本当に遺伝子で今後も生きていくのか?基礎研究って最終的に人のためにもなるけどどっちかというと自分の興味本位が強いしな、それは個人的にはモヤっとするな。あれ、ほんとは何をしたかったんだっけ?といった就活生によくあるモラトリアムに入りました。
なので、モラトリアムに入ってしまった僕は4回生の冬から就活を始めることにしたのです。そして就活でいろんな方やインターンに触れていくと、人生の長いスパンで見たときにもっと人の人生に関われる分野に行きたい気持ちと、でも自分がかかわった仕事で世の中を変えてみたい、そんなサービスや事業に関わってみたいなという思いが強くなっていきました。また、遺伝子と教育にたづさわる中でnatureよりnurtureだな(生まれと育ちの議論です。)って思いもあり、思い切って遺伝子ではない違う分野に飛び込んでみようと考えるようにもなりました。
そうすると、自分の中では、じゃあ人の人生に関わる業界ってどこだ?サービスや事業の立ち上げのどの部分で関わりたいのか?という考えになり、ここからはいろんな業界、いろんな業種のインターンに行ったり、知り合いで働いている人に相談したりと色々した結果、分析や企画方面に興味が湧き、それに関する仕事でキャリアを始めたいなとなったため明日から働く某人材会社のデータサイエンティスト見習いから始めることにしたといった経緯です。(なんか途中ざっくりしすぎてますね)
まだまだ、仕事の仕方や社会をわかってもいませんし、この先どのようなキャリアを描くかもまだまだ不透明ですが、今のところ、データ分析やデザインに軸がある新規事業の責任者(PdM?)になっていけたらいいなとは考えてます。(真剣にデータサイエンティストとして働かれている方やいろんな方には考えが甘いと思われると思いますが寛大な心で見守っていただきたいです。)
といった感じで明日から新卒としてまずは目の前の課題を丁寧に全力で当たりたいと思います。社会人の先輩の皆様よろしくお願いします。
〈その他性格・趣味〉
他に情報を上げるとするなら性格と趣味かなと思うのでちょっとだけ
性格(他者評価):ストイック、ほっこりしてる、真面目、計画的たまに天然、変わってる、ESTJタイプ
趣味:最近illustratorにはまってます。JUMP歴13年・漫画中毒。旅行。勉強(めざせ統計1級)。服を買う。
↑最近illustratorとPhotoshopで作ってみました