スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(197)
前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(196)
一週間ぶりに晴明たちが辿り着いたフカツ電器スタジアムは、ちばしんカップのときにはなかった選手の幟が広場に立てられ、準備を始めているキッチンカーの存在もあって、早くも非日常的な空気を醸し出していた。遠くには入場を待つサポーターの代わりに、ちらほらとシートが貼られているのが見えて、晴明の胸をさらに高鳴らせる。
昨日、渡を通して筒井から聞いた話では、チケットは前売り券の時点で八〇〇〇枚以上も売れているらしい。当日券も合わせれば、今日は一万人近くが来場する見込みだ。ホーム開幕戦で普段よりも多くの人が訪れることを差し引いても、ライリスに入り始めた頃から倍以上に増えた数字に、晴明は大きな喜びを感じていた。
当然緊張はするだろうけれど、それだけ多くの人がハニファンド千葉を見に来てくれることが、掛け値なしに嬉しかった。
関係者入り口では、七人を筒井が迎えてくれた。「今シーズンもよろしくお願いします」と改めての挨拶に、晴明は気が引き締まる。
案内されるのは、今年も第二会議室だ。筒井がドアを開けると、見慣れた光景が晴明の目に入ってくる。機能性の高い室内に、窓からはブラインド越しに、数段高いところにあるピッチが見える。
ブルーシートの上に置かれたライリス、ピオニン、カァイブの着ぐるみが、先週も着たはずなのにとても新鮮に見えて、晴明は小さく息を呑む。
そして、その隣には晴明が見たことがないホワイトボードがあった。入ってから見えるのは裏面のみで、表面は回り込まないと見えない。注意事項等を書くために使うのだろうか。
気になって、晴明は表面が見える位置まで歩く。そこに書かれた内容は、晴明の足を一瞬にして止めさせた。考えてもいなかった事態に、驚きを隠せない。
ホワイトボードの中央には、「ライリス・ピオニン・カァイブ 今シーズンも一緒にがんばろう!」と赤い太字で書かれていて、下には誰が書いたのか三人のイラストが添えられている。
でも、晴明の目を引いたのは、その周りの文章だ。「今シーズンも一緒にがんばろう!」という文言を囲むようにして、寄せ書きのように短いメッセージが書かれている。「今シーズンもよろしくお願いします」とか「三人は僕たちのかけがえのない仲間です」とか。
メッセージにはサインと数字が添えられていて、晴明はすぐにその数字が背番号だと気づく。
間違いない。これは選手や監督からのライリスたちへのメッセージだ。寄せ書きの数はぴったり今年の選手・監督の人数分あって、昨シーズンから引き続き在籍している選手はおろか、今シーズン新たに加入した選手の分まである。
驚きで足を動かせない晴明に続いて、他の部員たちも立ち止まって、ホワイトボードを眺めている。
隣では桜子がスマートフォンで写真を撮っていたけれど、晴明はこの光景を目に焼きつけたいと思った。選手たちがこんなことをしてくれるとは露も思っていなかったから、一つ一つのメッセージを読んでいくたびに、胸がいっぱいになる。
ふとしたきっかけがあれば、涙をこぼしてさえしまいそうだった。
「どうですか? 皆さん、びっくりしましたか?」
筒井が、いつになく調子のいい声で訊いてくる。驚きと感動ですぐに反応ができなかった晴明に代わって、成が興奮気味に返事をした。
「えっ、どうしたんですか、これ!? 考えもしなかったから、すごく嬉しいんですけど!」
「喜んでいただけたようで何よりです。実はこれらのメッセージは、ある選手が発案したものなんですよ」
その選手が誰なのか、晴明にはすぐに分かった。こういうことをしようと言う選手は、一人しかいない。ホワイトボードを見ても、その選手だけメッセージが他の選手の倍ほど長い。
渡がご丁寧にも「誰なんですか?」と訊いている。筒井は、よりいっそう口元を緩めていた。
「柴本選手です。ライリスたちは大切な同じチームの一員だから、新しいシーズンが始まるにあたって、何かできないかと相談を受けたんです。ライリスはマスコット総選挙で去年から順位は上がらなかったかもしれないけど、それでも自分たちにとっては最高の仲間だからと。メッセージを書くときも、選手や監督はみんな協力的で。皆さん、なかなか面と向かって言う機会はないですけど、ライリスたちには感謝しているようでしたよ」
そう筒井がしみじみと言うから、晴明は目に上ってくる涙を自覚してしまう。ファンやサポーター、ハニファンド千葉に関わる全ての人たちのために頑張ってきたことが、今報われている。心がほだされて、自分自身をも肯定できるようだ。
それでも、涙は意識してせき止める。これから自分はライリスに入って、人前に出るのだ。ここで泣いてしまって、それをグリーティングのときまで引きずるわけにはいかない。
「そうだったんですか。実際、こうして形にされてみると、本当に心の底から嬉しいです。僕は去年の七月からなんですけど、それでもカァイブに入っていてよかったと思いました」
「うん。私もピオニンでいられることが今すごく幸せ。だって、こんなにたくさんの思いや笑顔に触れられることって、なかなかないもん。今シーズンも頑張れそう。どう、似鳥は? 元気出たんじゃない?」
そう話を振ってくる成は、晴明を泣かしにかかっているみたいだった。
晴明はうまく笑顔を作ることができない。目元を緩めたら、その瞬間涙がこぼれ落ちてしまいそうだった。
「はい。こんなにたくさんの温かいメッセージをいただいて、感無量です。ライリスに入っていて、ここまで一気に思いを伝えられたのは初めてなので、嬉しすぎてちょっと感情がぐちゃぐちゃになってさえいます。選手たちだけでなく、いろんな方からもらった元気を少しでも返せるように、今日も精いっぱいライリスに入りたいと思います」
自分の口調が壇上に立ってスピーチをしているかのように固くなっていることに、晴明ははっきりと気づいていた。
でも、誰もそれを茶化してはいない。自分たちの活動が認められて、大きな喜びを感じているのはここにいる誰もが一緒だ。そのことが分かったからこそ、晴明たちはそれ以上何も言わず、しばしホワイトボードを眺め続けた。
それぞれの選手ならではの筆跡が、胸に染みわたる。グリーティングが終わって戻ってきたときも、これを見れば疲れは吹き飛んでいきそうだと、晴明は感じていた。
晴明たちがこの日初めて着ぐるみに入ったのは、昨シーズンと同じ、キックオフの三時間より少し前のことだった。ちばしんカップの日以外は、シーズンオフはライリス一人で活動することも多かった晴明は、渡や成が側にいてくれることを思うと、ぐっと安心感を覚える。
筒井に手を引かれてスタジアムの外に出ると、営業を開始したキッチンカーに早くも人が集まっているのが見えて、二ヶ月ぶりの景色を晴明は懐かしく思った。
グリーティングスペースに向かう間も、何人かのファンやサポーターが、握手や写真を求めてくれる。昨シーズンと変わらない光景に、晴明は内心で安堵の息を吐いた。
今シーズンも、ライリスがファンやサポーターに求められていることが早くも実感できて、ちゃんとその都度立ち止まって一人一人に丁寧に応じられた。
グリーティングスペースに着くと、ライリスたちを待ち望んでいたファンやサポーターから歓声が上がった。その人数は三〇人を上回るほど多く、晴明がライリスに入り始めたときと比べても着実に増えていた。
この寒さだからユニフォーム姿になっている人は少なかったけれど、それでも首元にタオルマフラーを巻いていたり、赤色をあしらったハニファンド千葉のアウターを着ている人を見ると、晴明の頬は自然と緩む。
ところどころに見える青色は、今日対戦する大分トリデンテのチームカラーだ。今日は五〇〇人以上のファンやサポーターが、大分からやってきているらしい。残念ながら大分のマスコットであるキーランは今日は来ていないが、それでもマスコットを好きな気持ちは、応援しているクラブを問わない。
普段会う機会のないライリスたちとのグリーティングを楽しもうという姿勢は、晴明にも大いに頷けるものだった。
三人が並んだ記念写真を撮ってから、晴明たちはファンやサポーターとの、今シーズン初めての場外グリーティングを開始する。握手をしたり、一緒に写真を撮ったりという何気ない行為が、リーグ戦としてはしばらく間が空いてしまった分、晴明にはとても尊く思えた。
当たり前だけれど、ここにいる全員が逐一ライリスの活動を追いかけているわけではない。ちばしんカップやデラックスに来られなかった人もいる。今年初めてライリスたちに会った人もいれば、もしかしたら初めてフカスタに来た人だっているかもしれないのだ。
だから、晴明は一人一人に最大限の真心を持って接する。何度も顔を見ている人も、今日初めて顔を見た人も一つも変わらないように、温かな応対を心がける。それが今の晴明にできる、唯一にして最大のことだ。
接しているファンやサポーターも、寒さを感じながらも笑顔でいてくれる。着ぐるみの中は冬でも変わらずに暑かったが、それを燃料にして晴明はライリスとして振る舞い続けた。
安寧とした空気の中、場外グリーティングは続いていく。ファンやサポーターと元気を与え合う関係を何度も繰り返していると、晴明は徐々に溜まっているはずの疲れを感じない。どこか慌ただしったデラックスに比べ、今日は一人一人に時間をかけて触れ合うことができる。
それは少しして順番が回ってきた、莉菜や由香里とも同様だった。先週も二日連続で会っているというのに、二人とも一切飽きる様子は見せずに、まるで今日が今年初めてのグリーティングみたいに、新鮮な態度で晴明に接してくれる。爛々とした目が、会えて嬉しいとはっきり物語っている。
お菓子をくれた由香里に、声をかけてくれる莉菜。晴明も分かりやすい大きなリアクションで応える。
きっとこれからも、スタジアムの内外で何度も会うのだろう。ライリスを好きでいてくれる人間の存在は、晴明に絶大な自信を与えた。会うたびに少しずつリアクションは変えて、それでも感謝している根本の部分は変えないでいようと思えた。
ライリスとのグリーティングを楽しんだ由香里と莉菜は、ピオニンやカァイブとのグリーティングにも向かっていく。ピオニンやカァイブと一緒に写真を撮る二人を一目見てから、晴明は次の来場者とのグリーティングを始める。
今まで見たことがない人で、少し恥ずかしそうにしていたけれど、晴明は変わらずに「来てくれてありがとう」という思いを、大きな動きで伝えた。
(続く)
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