スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(194)
前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(193)
ゴール裏とバックスタンドの間のゲートから、晴明たちは国立競技場のトラックに足を踏み入れる。
周囲を見回すまでもなく、晴明はフカスタとは大きく異なった雰囲気を感じた。六万席を越える座席が一斉に自分たちを見ているようで、何もせずとも気は引き締まる。
思えば晴明はフカスタでも、人が入った状態でしか登場したことがないのだ。まだ客席に誰も入っていないスタジアムには、神聖な空気が充満している。あと数時間後には満員の観客の前で、選手たちはプレーをするのだ。
そこまでの大人数には、まだ自分は耐えられないなと晴明は思う。入場前に出番があってよかったと、心から思った。
マスコットたちの集合写真は、細かく位置を指示される形で行われた。集合写真の立ち位置は、マスコット総選挙の結果で決まる。上位のマスコットから、前列に並ぶ形だ。
二五位だったライリスは、真ん中の列の左から二番目の位置に立った。撮影された写真を見たとき、一目で見つけるのは難しそうだが、それでもハニファンド千葉のファンやサポーターなら、すぐに気づいてくれるだろう。
そして、最前列はマスコット総選挙の上位三人だ。一位のマスコットには、写真の中でも一番目立つセンターポジションが与えられるので、間接的にだが晴明たちはマスコット総選挙の最終結果を知らされる。
センターに立ったのは、エイジャくんだった。去年二位だった雪辱を果たしての、一位である。
樺沢の立ち姿も、昨日よりも心なしか堂々としているように晴明には見える。念願の一位になった喜びを、全身で表現しているみたいだ。
脚立に上ったカメラマンが、「はい、撮ります。目線ください」と呼びかける。その声に、晴明は小さく頭を持ち上げた。来年こそはもっといい順位、できれば二列目に入れるような結果を残したいと感じながら。
集合写真を撮った後も、マスコットたちはなかなか控え室に戻らない。ここからは自由時間で、それぞれが思い思いのマスコットと写真を撮ったりする時間だ。
場外グリーティングは一斉にマスコットが登場するため、混雑が予想される。そうなると各マスコットは、身動きが取れづらくなってしまうのだ。
だから、人のいないこの時間に、ツーショット写真などを撮れるだけ撮っておく必要がある。たとえば、両クラブのマスコットの写真を試合の告知に使うとしても、シーズン前に撮影できるのは、全マスコットが集まるこの機会しかないのだ。
晴明は本当は真っ先に、同じ千葉県のチームであるカァイブくんのもとに向かっていきたかった。それでもさすがは一位のマスコットだから、いろいろなマスコットがカァイブの周りに集まっていて、晴明に入れる余地はなかった。
それでも、落胆する暇も晴明にはない。他のマスコットとの写真は、一枚でも多く撮っておいた方がいいのだ。
それは他のマスコットも同じだったのか、すぐに隣に立っていたウィルくんが肩を叩いて、一緒に写真を撮ろうとジェスチャーで伝えてくれた。晴明としても異存は全くなかったので、二人は筒井や徳島のアテンドの男性が構えているスマートフォンに向き直った。
ピースサインをしてみたり、肩を組んでみたりと複数のポーズで写真に収まる。全ての写真が使われるわけではないが、晴明は一向に構わなかった。こうしてウィルくんと触れ合うことができている。久しぶりに味わったその喜びは、何にも代えがたいものだった。着ぐるみの中で自然と口角も上がってしまう。
この喜びを何回も味わうことができると思うと、国立競技場の改まった空気も忘れて、自分が楽園にいるようにさえ、晴明には感じられた。
喜びはこれ以上ないほどの燃料になり、晴明の足を自在に動かしていく。
晴明は、まずはヴァルロス君やジンベッチ、フォルテくんやギッフェンといった既に共演したことのあるマスコットに、次々と接触した。一度フカスタで交流したことがあるからか、誰もが声は出さずとも色のいい返事をしてくれる。
それぞれのマスコットと一緒に写真に収まっていると、その度に晴明の胸は思い出で満たされていく。今日の記憶が形となって残る感覚に、胸がじんわりと暖められていく。
まだ観客とのグリーティングもまだなのに、既に晴明には深い感慨があった。マスコット大集合というイベントの素晴らしさを肌で感じて、ライリスに入り続けたことへのご褒美のようにさえ感じられた。
そして、晴明が他のマスコットに向かうのと同じくらい、晴明のもとに向かってくるマスコットもいた。
晴明は今日にいたるまで、一部から三部までのSJリーグの全てのマスコットの名前と姿を把握している。だから、やってくるマスコットが誰なのかも、すぐに分かった。
少なくともライリスとは交流したことがないマスコットが写真を撮ろうと伝えてくれるのは、晴明にはライリスの価値を認められたようで嬉しくなる。進んで何人ものマスコットと、同じ写真に収まる。
もしかしたら、この中の何人かはシーズンが始まったら、フカスタに来てくれるかもしれない。晴明にはもはや、全員来てほしい気がする。その度に、ファンやサポーターは喜んでくれるだろう。
自分たちの周りに咲く笑顔の花を想像すると、晴明の心は躍った。シーズンの開幕が今から待ち遠しかった。
晴明が同じ二部リーグに所属するマスコットとの写真撮影をあらかた終えたところでようやく、エイジャくんの周囲が空く兆しが見え始めた。晴明はエイジャくんのもとまで歩いていき、エイジャくんが複数人とのマスコットとの記念撮影を終えたタイミングで、手を上げて呼びかけた。
サービス精神旺盛なエイジャくんは同じく手を振り返してくれて、物理的な距離以上にライリスとエイジャくんの精神的距離は縮まっていた。
一位を獲得しても驕ることなく謙虚なエイジャくんは、自分から右手を差し出してくれる。晴明も迷うことなくその手を握り返した。柔らかな手のひらから体温が伝わってくるようで、晴明には同じ県のライバルだとかカテゴリーが違うとかは、もはやどうでもよくなっていた。
同じ場所で同じ経験を共有している。それだけで十分だと思えた。
マスコットや関係者以外誰もいないトラックには、あちこちでカメラやスマートフォンのシャッター音が鳴っている。それは今日が今シーズンのSJリーグの開幕を告げるお祭りとなることを、大いに予見していた。
マスコット全体での記念撮影は、三〇分ほどで終わった。次の出番は一二時ちょうどから、いよいよスタジアムの外でやってきたファンやサポーターと触れ合う予定となっている。
だから多くのスーツアクターは、合間の時間を身体を休めることに充てていた。スマートフォンを見てみたり、少し早いが昼食に用意された弁当を食べてみたり。
晴明もその例に漏れず、座って体力を温存したり、何人かのスーツアクターと雑談をして過ごした。
国立競技場はキックオフの二時間半前になって入場が開始され、徐々にスタジアム全体が賑やかになってきたことを、晴明は控え室にいながらも感じる。
今日、晴明が人のいる状態のスタジアムの中に登場することは、両チームの選手紹介の場面しかない。
でも、フカスタの何倍もの観客が入ったスタジアムは、今まで感じたことがないほどの臨場感があるだろう。そのことを思うと、晴明は今から気持ちが逸るようでも、緊張するようでもあった。
晴明がドキドキしながら待っていると、場外グリーティングの時間はあっという間に訪れた。予定よりも少し早かったが、スタッフから準備してくださいとのお達しが出る。
晴明たちは再び着ぐるみを着ると、一列になって控え室から出ていく。順番は厳密には決まっていなくて、ドアの近くにいた晴明は、わりかし早い段階で控え室を後にしていた。
筒井に手を引かれて、廊下を先ほどとは反対方向に歩く。五〇人以上ものマスコットが一列になって歩いている様子を客観的に想像すると、晴明にはなんだかおかしく思える。きっとなかなか類を見ない光景だろう。
そう思えるくらいには、晴明の心にはまだ余裕があった。
そのまま少し歩くと、歓声が飛び始めた。先頭のマスコットが、スタジアムの外に姿を現したのだ。
それからもマスコットが次々に登場していくにつれて、歓声も次第に大きくなっていく。その様子は全国からマスコット好きのファンやサポーターが集結していることを晴明に思わせ、今日が年に一度のお祭りであることを再認識させる。
期待に晴明の胸は膨らんだ。自分がどんな反応をされるのか、楽しみで仕方がなかった。
そして、その期待は見事に叶えられる。ライリスになった晴明が登場した時、他のマスコットと同じように、歓声が出口の前で待っていたファンやサポーターが送られた。
最初の出番は人がいないスタジアムの中だったから、ざっと見ただけでも一〇〇人を超えるファンやサポーターに迎えられたことは、晴明に大きな感動をもたらした。カメラやスマートフォンを構えている人たちに、ポーズの一つでも取って応えたくなる。
でも、まだまだマスコットは登場するのだ。一人立ち止まって進路をふさいではいけないと、スタッフにも言われている。
晴明は写真を撮ってくれる人たちに向けて、手を振りながら歩き続けた。歩いている途中にもハイタッチや写真を求める人はいて、晴明はそのすべてににこやかに応じていた。
出口から少し離れた場所で立ち止まると、グリーティングの開始だ。
国立競技場の正面広場には、フカスタ以上の人がいて、グリーティングの列は途絶えることがなかった。
晴明は他の複数のマスコットと一緒に、グリーティングをする。フカスタで何度も会っている人もいれば、この場でしかライリスを見られないのだろう、初めて見る人もいて、晴明はその全員に持てる元気と明るさを尽くして、応対した。
デラックスでの場外グリーティングは一度きり、三〇分程度しかない。この機会を逃すと、もう来年まで会えないかもしれない人もいるのだ。
だから晴明は一つの悔いも残さないよう、懸命にライリスを演じ切る。やってくる人たちは、誰もが晴れやかな顔をしていて、ライリスを、マスコットを、サッカー観戦を最大限に楽しんでいるようだ。
文字通り笑顔の花が咲いていて、晴明にはそれがかけがえがないほど嬉しく、ここにいる全員に抱きつきたくさえなる。
ライリスとグリーティングをした誰もがやはり笑顔になってくれていて、晴明はマスコットの持つ力をひしひしと感じていた。
「こんにちは! ライリス! 昨日ぶりだね!」