身体が勝手に動いて、お辞儀をしていた
そんな経験をしたことがある人はいると思います。
しかし、頻繁に起こることでもないと思います。
お辞儀は日本特有の文化の1つで、礼法として当たり前のように僕たちは学んできます。例えば挨拶で考えると、職場の上司、学校の先輩、初対面の人などにはきっと会釈をしたり、頭を下げていますね。
でも本心、頭を下げたくない人に下げている人もいたりするんじゃないでしょうか。その動作って「しなければならない」からそうしていることが実はあったり、、、。僕たちの習慣なので、そういう気持ちでいたとしても決して悪いことではないのですが。
ただ、そのマストな習慣を超えて、僕は今まで2回ほど「身体が勝手に動いて、お辞儀をしていた」ことがあります。
先日、明成高校男子バスケットボール顧問 佐藤久夫さんの講演会に参加した時でした。入口から歩いてくる佐藤久夫さんを目にしたとき、気付いたら頭を下げていた自分がいました。もちろん、ものすごい人だということは知っていましたし、同じバスケットボールの指導者として尊敬の眼差しでしかない人ですが、目に入った瞬間に頭を下げている自分はなんだか不思議な感覚でした。
何が自分をそうさせたのか。
ん~、正直わからない。
わからないけど、少しだけ感じていることが1つあります。
「人間力」
形にはない、人の持つ力。誰しもが持っている力だと思うが、人に感じさせる人と感じさせない人で二極化している。 感じさせる人は、その人の色のオーラをまとっている感じがする。覇王色!(抽象的すぎる…→言語化) 数々の苦難を乗り越えてきた経験、日々学び続けている努力、生きる上での感謝、人情味あふれる優しさと厳しさ、なり得る最高の自分を追い求めるパッション、うぬぼれない謙虚さ。
が僕の心と身体を動かしたのではないかと感じています。
講演の中で佐藤久夫さんは、バスケットボールを生徒に指導する上で「人間力を高めることが最大の強化」「1人の人間としてその子供を育てる」と話していました。
僕が感じたこととつながった気がします。
佐藤久夫さんの講演、中学生へのコーチングをする姿はなんだか幸せそうでした。僕も幸せな気持ちになりました。
まとめます。 人それぞれのいろいろな人間力があると思いますが、その人間力を高めることは自分の幸せにつながるんじゃないかなと思います。また、他人の幸せにもつながるんじゃないかなと思います。
おわり
(ちなみに初めて「身体が勝手に動いて、お辞儀をしていた」のは、高校2年の時にサプライズでEXILEのHIROがステージに現れたとき。気づいたらパイプ椅子から立ち上がっていて、なぜか頭下げてお辞儀していました。足も震えてた…。)