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wakutin/iyahon/yabure

ワクチン接種予約が開始した。が、自治体の予約サイトを開いても一面のバツマークが広がっているだけだった。結局9月末まではワクチン予約は取れないという事しかわからず、すごすごとブラウザを閉じた。

こうまでワクチン接種がプラチナチケット化するのなら、もはや抽選制にしろよという話で後輩と盛り上がった。まあ、ワクチンの保存期限なんかを考えると感情論のおとぎ話だが、そう考えるくらいには面倒な状況だ。半月で3000人しか予約できない上に予約可能時期もあやふやで、ネットに張り付くのが必須だなんて、あまりにもダルい。ダルすぎる。

終戦記念日が近いこともあり、つい戦争と紐付けて考えてしまうのだが、今も昔も結局若者が一番槍で消費されていく状態が人間社会の”普通”だったんだろうかと思う。だったらやっぱり戦争は日常に内在化しただけで、残酷な現実は今も昔も同等だなと思い。



ファミレスで作業する用にワイヤレスイヤホンを買おうか迷っている。もう当たりはついている。ear(1)とかいう奴だ。見た目が面白い。それだけで惚れた。

以前なら1万強の電子機器なんか即ポチする人間だったが、最近度々「いやそれ本当に必要ですか?」と第三者的な自分に詰問される。「割と高いノイキャンヘッドホンもう持ってますよね?」と理屈を言われる。遊び屋の自分が「いや、だってなんか面白そうじゃん…生活に張りがでるかもだしさ…」と口ごもる。ざっくばらんな自分が「そういうのって管理するモン増えちゃって逆に色々面倒臭くなって終わりでしょ」と正論をぶちまける。かと思えば「まあでも悩んでる時間勿体ねーからさっさと買っちゃえば?」とか言って投げやりになる。

あー面倒くさい。自分が面倒臭い。もう誰か決めてほしい。もっと強烈な正論こいてこのグルグル思考を止めてくれ。そう思いながらイヤホンレビューを見てしまう。海外のyoutuberはOPがお洒落だよなと思う。



ぼちぼち脚本を書いている。オリジナルの方でなかなか良いシーンが書けて嬉しくなっている。

俺は表現の奥から人間が立ち現れる瞬間が好きだ。人間を表現しようとした時に、色々な視点、色々な演出で表現を試みるが、結局その人間をコレだという表現はできなくて、あらゆる表現がチープに思えて、嘘に思える、この”存在”を表現しようとすればするほど、表現すること自体がつまらない事のように思える。そういう「表現の破れ」からでしか覗くことが出来ない”人間”表現。それがとても好きだ。

これはきっと殆どの人には意味不明な話だろうと思う。でも「表現の破れ」を実現することこそが最終的には一番誠実な表現の態度だと思っているし、表現をする価値がある事だと思っている。

そんな拗れた学生の時に考えていた事を何だかとても久しぶりに思い出した。やる気が出ているからこそなんだろう。気合が入った。ような気がする。

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やさしさ原理主義
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