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堕ちる友の遥かなれ

「佐々木、イン、マイマイン」を蔦屋で借りて見た。

色々見方はあると思うが、自分はこの映画を「堕ちる友」の話として見ていた。五年ほど前に見ていたら、きっと涙が止まらなかっただろうと思う。それほど自分には身に迫る話で、色々と思い返してしまった。

この人生で「堕ちる友」的な関係にあたる人間が4人ほど思い当たる。後輩なんかも含めたら10人弱はいそうだ。偏差値70位の高校を出て、早稲田大学に入っても、やっぱりそんな人間がいるところにはいるもんで。そして自分は無意識にそんな偏屈な場所ばかりを好んでいたらしく、いつしか周りにはこの映画に出てくるようなダルそうでフザけた人間ばかりが集まるようになってしまった。

不登校のA君を学校に連れ出すとアームカットで教科書を血まみれにし、教師の制止を振り切って2階から飛び降りようとした。自分を鍛えるんだと電柱に手刀を繰り出していたB君は、医学部に数年連続で落ちてから連絡が取れなくなった。受験に失敗したC君が上京して再受験したいと言うので部屋を貸すと、いつの間にか風俗店で働き始め、ホストで一番になると言い始めた挙げ句、ヒモ生活を始めて出ていった。冴えてたD君は理系大学のキツさに音を上げて、大学中退してうどん屋でバイトを始めると、あとはひたすらパチンコ浸りである。

そうやって自壊していく人間ばかりが周りにいたので、一時期俺は人の運を吸ってしまう悪い人間なんじゃないかと悩んだ時期もあった。それこそ自意識過剰なガキの思考だと、今では思うけれど、それほど周りの人間が次々に社会的に落ちぶれていく姿を見せられると、仲が良かっただけ気が滅入るもんで。


俺の悪い癖は、そういう友達を変に助けようとしてしまう事だった。そういう時の自分の思考回路は、特段の夢が無いのならやっぱり社会的に”まとも”なルートを踏めたほうが良いだろうというもので、彼らにまともに話を聞いては、その曖昧な目標を探り出し、社会復帰への方法を提案していた。馬鹿真面目だったと思う。でも実際の行動を起こすかどうかは本人任せだったのは、自分も脇が甘い所で。結果、提案は全て撥ね退けられ、何も生産的な手助けは出来なかったように思う。

だから結局そんなやり取りは何の意味も為さなかった。奇妙な依存と、不毛な幇助の関係を度々繰り返した。しかし今思い返せばそもそも”まとも”な生き方ってなんなんだろう?俺が社会規範を一個人にイチイチ当てはめる努力をする意味ってなんなんだ?面倒臭いしおこがましい、煩いお節介だ。親や親戚でもない俺がどうしてそこまで他人の面倒を見る必要があるんだろう。自分の世話もままならないっていうのに。

それでいつしか、そういう「幇助活動」はやめるようになった。結局中途半端だったのだ。心配するなら、ケツを持てる位面倒見きってこそなんだろうと、縁の薄くなった今では思う。


この映画を見て、「佐々木」にある種の才能を感じる人間は多いと思う。パチプロなんかやめて、そんなに体が張れるなら芸人でもやればいいじゃないか、趣味で絵描きでもして、いつか大成すれば万々歳じゃないか。そう言いたくなる”魅力”が「佐々木」にはある。でもそんな期待は尽く本人には届かないのが常で。

思うにこういう人間特有の破滅的な態度ってのがある。「佐々木コールで全裸になって踊りだす」アレもその一つだ。破れかぶれをやってでも誰かに気付いて貰いたい、そういう人間特有の表現の一種なんだろうと思う。でもそういう積極的退廃感みたいなものは、やっぱり”嘘”で”仮面”で”偽物”なんだとも思う。その実が、本人発信ではないから。だからこそ、佐々木の親父が死んだ時には、「佐々木コール」は不発に終わって、あの空間の”嘘”がバレてしまったんだと思った。友達ごっこがバレてしまったんだと思った。

あの空間の痛々しさに、とても覚えがある。どれだけ前向きな提案をしてもうだついて聞く耳持たず、退廃的な気分を押し付けてくるその友達に、グダグダ屁理屈こねてないでまともな努力をしろよとキレた時、ああいう空気になる。そういう時、”まとも”を踏み外したのはキレた俺の方で、友達を”諦めて”しまったのはある種俺の方で。


長く連絡を取って無いが、「彼ら」がちゃんと働いて、結婚したなんて噂を聞くにつけて、それならキレても良かったのかな、とも思う。きっと直接的な影響なんて無いんだろうけど。結果良ければすべて良しだろう。

反省するに、俺にはきっと現実が見えてなかったんだと思う。彼らの言う「できない」がそつなくできてしまう自分には見えない”現実”が。嫌々でも努力できてしまうからこそ欠如している”自分の想像力”を自覚できてなかった。だから、社会をやれない彼らこそある種生物的に正しくて、社会に従順な自分こそある種狂っているのかも知れないと思うようになった。

だって幸せを求める道筋に別に正解は無かった筈だったから。そもそもそんな事を考えるほど別に人生に重大な価値も意味も無かったのだろうし。


ああでも、そうであれば、だからこそ、キレてる方が絶対面白いし、なんなら楽しい。それを最後の「佐々木コール」で思い出した。そう思ってしまうあたり、自分も「彼ら」の一員なんだろうと気付きつつ。



面白かった人、ありがとう。面白くなかった人、ごめんなさい。