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江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅  第六話

③  パナマ地峡鉄道の旅 湖の底に沈んだサンパブロ駅
               (Google Earthも使って)

 今回は、使節団一行が蒸気車に乗り、アスピンウオールに向かう途中で休憩したサンパブロ駅からお話を始めましょう。
まず、下の地図をご覧下さい。

Mapa del Ferrocarril de Panamá, 1861 (La colección de Cooper)

 1861年のパナマ地峡鉄道の路線図です。パナマ(太平洋側)からアスピンウオール(カリブ海側)までの総全長約78kmの鉄路です。
 使節団一行はパナマを出発して1時間ほどすると、サンパブロ(San Pablo)駅で一時停止しました。パナマから約30kmのジャングルの中の村でした。この時、パナマ地峡鉄道は、すでにパナマの分水嶺を越えており、カリブ海に流れ込むチャグレス川に沿って、ジャングルの渓谷を下るルートに入っていました。
 
 佐藤藤七の記録にも「凡半途にして米堅人の宅あり 半時(1時間)斗り車を停て焼餅杯を昼食し又車を発し九ツ半時(13時)アスペンオールに着す」と記されていました。休憩した地名は書かれていませんでしたが、休憩中、様々なスケッチを残しています。その中に「パナマ山中民居図」と題した一般的な村人の様子を絵に残しています。「パナマ山中」という言葉からも、駅周辺の様子が想像できることと思います。
 
 一方、パナマ側の記録では、このブログの第二話でご紹介したように、1860年 4月 30日のLa estrella de Panamá紙に、『途中サンパブロフ駅で休憩して食事を楽しみました。』と明記してあります。さらに、2024年8月9日(金)のWeb版La estrella de Panamá紙の「生活と文化 コラム欄」に遣米使節団の特集記事が出ていたのです。このWeb版掲載情報は、パナマの友人のSr. Nodier Garcia氏より寄せられました。


Web版 La estrella de Panamá紙 より

表紙の日本語訳
1860年、歴史的な日本大使のパナマ入国
文化/外交/日本
日本大使館の三全権委員:左から村垣範正(むらがきのりまさ)(副使)、新見正興(しんみまさおき)(正使)、小栗忠順(おぐりただまさ)(監察官)
日本の外交使節団または大使は、72(77 ?)人のメンバーで構成されていた。

このWeb記事の中で、
「特別列車は7時55分にパナマを出発。1時間ほどで約38キロ離れたサンパブロ駅に到着した。そこで日本の代表団は特別な昼食で歓迎され、地元自治体や要人たちとともに、この地を通過したことを祝う祝宴が催された。
鉄道会社の代理店たちは、特別なゲストのために厳選された料理と飲み物を用意した。日本人向けに特別に用意されたご飯、お茶、魚、野菜などのおいしい料理がふるまわれ、シャンパンで乾杯し、この場に優雅さを添えた。
サンパウロ駅に留まっている間、代表団の中の何人かの日本人アーティストが、列車や駅、周囲の鳥や木々など、目に留まったものすべてを夢中で絵に描いていたのが印象的で絵になった。旅を再開するとき、日本の代表団は、自分たちが注目されたことに対する喜びと感謝を、盛大な拍手で表現した。」と、詳しくサンパブロ駅での様子を伝えています。   

 昼食の様子やメニュー、日本人アーティスト(佐藤藤七や木村鉄太たちのことであろう)の絵も気になりますが、後述とします。私たち「鉄道オタク」は、このサンパブロ駅にこだわりました。
 
このような地図を見つけてしまいました。


パナマ運河地帯と新旧パナマ地峡鉄道ルート

赤い線が現在のパナマ鉄道ルート、点線が旧パナマ地峡鉄道ルートです。江戸の遣米使節団が通過したルートの大半は、1914年のパナマ運河の建設と共に水没してしまったのです。ここでは、パナマ運河については詳しくは説明しませんので、デジタルの機器の使用を推奨いたします。
 つまり、サムライたちが休憩したサンパブロ駅は周囲のジャングルごと、巨大な人工湖であるガツン湖(ガトゥン湖)の底に沈んでしまったのです。ガツン湖の中にある島々は、深いジャングルの山々の山頂部分なのです。ジャングルの渓谷に流れていたチャグレス川等の水がせき止められて、海水ではなく真水の巨大湖になったのです。

 パナマ日本人学校在任当時、職場の仲間やパナマ人のスクールバスの運転手さんたちと休日に、よくガツン湖に釣りにいったものです。あの時は、この湖の底をサムライたちが列車に乗ってコロン市に行ったということを、もちろん想像すらできませんでした。

1992年 本人撮影 ガツン湖
本人撮影 パナマのジャングル 撮影年不明

 ここまで来たら、「デジタル・鉄道オタク」の考えることは、「サンパブロ駅は、ガツン湖のどの辺りにあったの?」「当時の記録画像はないの?」ということですよね。Google Earthやネット検索の登場です。
 
 手がかりは、先ほどお示しした地図でした。チャグレス川が流れ込む場所はどの辺り? 現在のパナマ運河をGoogle Earthで俯瞰してみよう。サンパブロ(San Pablo)駅とバルバコアス (Barbacoas)駅の間でチャグレス川を渡っているということは、鉄橋でもあったのかな?そして、最後は・・・休日釣り師による「土地勘」。
えっ!「デジタル追跡」も最後は「土地勘」かよ! 自分の言葉を自分で、ツッコむ私でした。

そして・・・休日釣り師は・・・

・・・という推測に至りました。

 そして、パナマのSr. Nodier Garcia氏からは下記のようなメールが送られてきました。
 
「サンパブロ村については、地図上の正確な位置について、あなたの推測はかなり正確です。この村は、1913年にガトゥン湖ができた後に水没しました。それ以前の村は無人で、水位が上がる前にすべての建造物が取り壊された。残念ながら村の写真は見つからなかったが、鉄道駅のイラストが見つかったので、このメールに同封する。また、サンパブロ駅のすぐ近くにあったチャグレス川にかかるバルバルコアス橋の写真も同封する。」


1861の文字も見えます
二階建ての建築物
確かに、奥に鉄橋が描かれています。列車の煙も見えます


1906年の乾期に撮影された鉄橋の写真
  1860年の鉄橋はこんなに立派ではなかったでしょうね

 この鉄橋も取り壊され、ガツン湖の湖底に眠っています。大型貨物船が航行するので、湖底は出来るだけフラットな状態にして水位を上げていったのでしょうね。パナマに住んでいた時も、パナマ運河にいつ行ってもどこかで浚渫工事をしていました。人工建造物ですのでメンテナンスは、必ず必要ですよね。
 
Sr. Nodier Garcia氏に感謝 Muchas gracias!
 
 最後に、日本人アーティスト、佐藤藤七と木村鉄太たちのサンパブロ駅での絵をご紹介して、お話を終わりにします。

 IT時代の今ならば、スマホでパナマのジャングルの動植物写真を撮って、報告文書に添付して江戸の「外国奉行」にメール送信ですね。ある意味、この日本人アーティストたちは、デジタルカメラを越えていたのかも・・・? もし、あなたがその場にいたら、この日の昼食をスマホ撮影する派?ところで、佐藤藤七の食した「焼餅杯」って何?
 
使節団一行の旅は、第七話に続きます。ありがとうございました。


次は、
 
④パナマ地峡鉄道の旅 アスピンウオール駅到着


参考資料
パナマ在任時 地方の道路端にこのような出店が普通にありました 
1993年頃  本人撮影


もくじ
 
 はじめに (第一話)
1.江戸使節団のデジタル追跡ツール登場 (第一話)
2.La estrella de Panamá社の1860年4月30日の記事の読み込みと翻訳作業     
                             (第二話)
3.Google Earthを利用して江戸使節団の足跡をマッピングする 
                             (第三話)
4.パナマ地峡鉄道 アマチュア研究者との情報交換から
                    (Facebookの活用)(第四話)
  ①    パナマ地峡鉄道の旅 パナマ上陸 旧パナマ駅へ
                  (Facebookの出番です) (第四話)
  ②    パナマ地峡鉄道の旅 驚愕の蒸気機関車 (Facebookの活用)
                             (第五話)
  ③    パナマ地峡鉄道の旅 湖の底に沈んだサンパブロ駅
                   (Google Earthも使って)(第六話)
  ④    パナマ地峡鉄道の旅 アスピンウオール駅到着    (第七話)

5.サムライたちが教えてくれたこと            (最終話)
  ・江戸の遣米使節団とパナマ地峡の物語が幕を閉じる
  ・エピソード1: サンパブロ駅での豪華な食事
  ・エピソード2: ポルトベーロでの危険な沐浴
  ・帰国後のサムライたち
  ・サムライたちからのメッセージ
  ・付記

付記
 
研究協力者:Colaboradores en la investigación:
Sr. Nodier García
 
出典:Fuente:
小栗忠順の従者 佐藤藤七の記録「渡海日記」© 東善寺
小栗忠順の従者の記録 名主佐藤藤七の世界一周 © 東善寺
小栗忠順の従者 通訳 木村鉄太の記録「航米記」© 青潮社
万延元年遣米使節団 副使 村垣範正 「遣米使節日記 復刻版」© 日米協会 
万延元年の遣米使節団 宮永 孝 ©講談社
山本厚子「パナマから消えた日本人」 ©山手書房社
La estrella de Panamá社
 
画像提供:Imagen cortesía:
El sitio de la Biblioteca Rodolfo Chiari de la Autoridad del Canal de Panamá
Lic. Mickey Sánchez
Sr. Eardweard Muybridge
Sr. Theodore da Sabla

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