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プロ初契約までの道のり 前編
自分がフィリピンのプロチームGLOBAL FCとの契約を勝ち取るまでのストーリーです。
契約を勝ち取るまでになかなかたくさんの事があったので前編、後編に分けて投稿したいと思います。
どこへでもすぐ飛び込むチャレンジ精神と行動力を持つ事で人生変えれちゃいます。
ただ後先考えずに行動する事が全ていい方向に向かう訳ではありません。
なんならだいたい失敗します。
ここでもう一つ持って欲しいのが失敗を失敗だと思わないメンタルです。
あなたは最強のチャレンジャーになれます。
無事空港に着いて後輩のDaisuke Satoからチームのスタッフの誰かが迎えに来るから出口で待っていてと言われてたから待っていました。
1時間待っても誰も来ない、、、
いきなりのハプニング!
最初の海外でなかなか不安でしたがフィリピンに来る前に大友慧さんと伊藤壇さん達からたらふく聞いた東南アジアあるあるのおかげでしっかり我慢して待てました。
1時間半くらいかな?ようやくチームのスタッフが自分の事を迎えに来てなんとか合流して空港を出る事が出来ました。
後から大友慧さんから聞いた話で東南アジアのクラブでチームの誰かがわざわざ迎えに来るなんてなかなか無い事で空港着いたら自分で練習場、ホテルに行ってと言われる方が普通だと言っていました。
そう言われてみると0キャリアのなんの価値もないトライアウトを受けに来た選手に対してわざわざチーム側から航空券、ホテルの手配、空港までのお迎え、練習場までの送迎、これら全てを用意してくれるのはありえない待遇です。
現在プロ7年目で東南アジアについてさすがに少しずつ分かり始めて来ました。このGLOBAL FCの自分への待遇はレアル・マドリードが久保建英選手にした待遇と同じです。(言い過ぎました多分違いますいや同じかも、、、)
当たり前は当たり前でない。それが東南アジアです。
本当に感謝しています。
監督が自分に会いたがっていると言うのでホテルに行くのではなく練習中のチームに合流することになり早速スタッフと共に練習場に行きました。
そして練習場に着きビックリしました。
チームが練習していた所がどう考えてもプロチームが練習するような場所ではなかった事です。
人工芝のピッチでゴムチップ畑になっていてロッカールームもなく選手達の荷物はフィールド脇の観客席に置いてありました。
その時思ったのが、、、
JFL、地域リーグのチームむしろ仙台大学の方が環境が良いなと言う事です。
そしてチーム練習を見学している時に選手達を見てまたビックリしました。
フィリピン人どこ?
何人かはフィリピン人かな?と思うような選手がいるだけで他はもうどこの国の選手なのか自分では分かりませんでした。
宮城県出身の田舎者の自分からしたら22年間の人生の中で外国人を生で見る事はあまりなく分かるはずがありませんでした。
練習後にDaisuke Satoに聞いた所、その当時GLOBAL FCに所属していた選手達の国籍が、イングランド、スペイン、イタリア、メキシコ、イラン、カメルーン、ナイジェリア、ガーナ、オーストラリア、日本人、監督がスコットランド人。もう訳わからない、、、
昨シーズン外国人枠がなかった影響と名残で今シーズンも外国人選手が多いのだと思いました。
でもそうではなく、
自分と同じようなハーフの選手がたくさんいたからです。
イングランドとフィリピン、イタリアとフィリピン、オーストラリアとフィリピン、イランとフィリピン、日本とフィリピンなどなど。
練習が終わり観客席に座って見ていた自分に気付いた監督が自分の事を呼びチームミーディングが始まり急にスコットランド人の監督が自分に日本語で
アナタノナマエハナンデスカ?ジコショウカイオネガイシマス。
急にカタコトとは言えないレベルの結構流暢な日本語で自分に話しかけて来たのでまたまたビックリしました。
スコットランド人監督のリーマンソンコーチ過去にユース世代のフットボールプレーヤーをサポートするナイキジャパンが育成年代に向けて行なっている特別強化プログラム「NIKE FC」の選抜チームの監督、コーチをやっていた過去がある日本に馴染みがある日本人選手のプレーの特徴や性格を理解している監督でまさか最初のクラブでこんなすごい出会いをするとは思わずかなりビックリしました。ビックリしたのと同時にこれはかなりやりやすいなと思ったのを覚えています。
とりあえず英語で
My name is Hikaru Minegishi. Call me Hikaru. Thank you.
とカタコトの英語で自己紹介しました。
そしたら選手ほぼ全員が聞き取れずそしてヒカルと発音できずみんなにシカルだのイカルだの言われ自分もちゃんとヒカルと呼んで欲しかったので違う違うと戦っていたらある選手がピカ?ピカチュー?と面白がって言って来たのをきっかけに監督がお前はPIKAだ!となりかなり強引にニックネームをつけられ選手全員にPIKAと呼ばれる事になりました。
もちろん試合中もPIKA、作戦ボードでもPIKA、試合中継のTV解説者もPIKAと呼び今ではすっかりPIKAになってしまいました。
どこに行ってもPIKAと呼ばれなかなかキャッチーで簡単に覚えてもらえるニックネームなので最初は違和感しかなかったですが今ではお気に入りです。どこのチームに言ってもCall me PIKAと今では堂々と言っています。
自分を知っている人でよくなんでPIKAなの?と聞いてくる人が多くて毎回説明していて紹介が長くなっていました。これからはその質問には関しては自分のNoteを見てくださいと言います。
話が脱線してしまいました、、、
自己紹介が終わりチームミーティングが終わり監督、コーチ陣達と話す事になり大事な話らしくていきなり英語で全て話せないし聞き取れないのでDaisuke Sato に通訳してもらいながら話していると衝撃的な事実を知りました。
監督が自分に、、、
2週間後にカップ戦が始まるからそこで自分の事を試したい。
意味が全く分かりませんでした。
フィリピンについて3時間やちょっとで自分はチームで練習もしていないしプレー動画も送っていないから自分のプレースタイルも分からないだろうし自分の事でわかった事と言うと、英語が話せなくて小さい選手と言う事くらいでそれなのに監督はもう自分の事を使う宣言して、、、
スピードがあるんでしょ?速いんでしょ?
とか笑いながら言って来て
本当なのか冗談なのか分かりませんでした。
ただその後に監督が自分にカップ戦の選手登録がちょうど明日の締め切りで枠が空いているからそこに自分をぶち込むと言う説明をして来てそれで少し理解できた自分がいました。
要するに自分はめちゃくちゃラッキーでグッドなタイミングでチームに合流したと言う事です。
ただここで間違わないで欲しいのはまだ自分は契約書にサインしていないし契約の話すらこの時はしていません。
チームと契約もしていない選手を試合に出すなんてありえない、、、
自分は練習の中で監督、コーチ、選手にしっかり認められた後にオーナーとの契約交渉の話し合いをしてからチームの一員になり選手登録されて試合に出るものだと思っていたしそれが当たり前だと思っていました。
順番がぐちゃぐちゃそしてよくわからない監督、コーチ、スタッフ陣からの期待値の大きさとこの何とも言えない感じにまたまたビックリさせられました。
戸惑った後に割とすぐに
現実を受け止めて自分のできる事に集中するしかないと言うメンタルになれた事を覚えています。
このメンタルにすぐなれたのも大友慧さん、伊藤壇さんの東南アジアサッカーあるあるの、その国に着いてすぐ試合をしてサインするかしないかを判断されたと言うクレイジーな話を聞いていたからだと思います。
こんな感じでフィリピン一日目が終わり初めての一人海外でトライアウトを受けにきた自分はただただ日本とフィリピンの違いを感じてずっとビックリしていて一日目でこんな感じだったら今後自分は何を感じどうなっていくのだろうかと不安な気持ちになったのと同時にワクワクしていた自分がいた事を覚えています。
前編はこれで終わります。
後編では契約する所まで書きます。
今思い返してみても相当濃いフィリピン一日目だったなと思います。
フィリピンに来てみないと分からなかった事だらけで数時間でこんなにも環境が変わり人が変わり景色が変わり考え方が変わり多くの事を学んだ自分がいました。
大友慧さん、伊藤壇さんの言う、、、
当たり前は当たり前ではないよ。
そこの国に行けばそこの国のルールがあり人がいる。
外国に行けば外国人になる。
日本人のままでいると損する事、後悔する事がある。
これらの意味がたった一日で少し分かった気がしました。
最後に、まだこの段階では失敗も成功もしていませんがフィリピンに来ると言う行動をした事でこう言った経験をする事ができました。
この経験はきっと一生もんで孫の代まで語り散らかすでしょう。笑
大成功でしょ。
後編へ続く。
初契約時の写真
お願いだからオフィスにユニクロのVネック(ヨレヨレ)で来ないでくれ自分。笑この時はまだプロ意識がなくまだ学生感が抜けていませんでした。