Note100日チャレンジ 6日目 散髪時に感じる感情ついて。
前書き
私のnoteでは、思考した事の整理、問題提起、日々生活のログ、新しい経験、味わった多種多様な他者のコンテンツについての感想、読書のまとめ、または入っているコミニティーの関連レポートなどについて書き連ねる予定です。付き合ってくださる方はよろしくお願いします。
散髪時に感じる感情や自分のファションや服装感について。
自分は2月に一回、もしくは半年に一回散髪にいく。髪型は基本坊主にすることにしている。
以前はずっと長髪だった、長髪だった理由は髪型を決めなくてもよいから、ただ伸ばしていただけなのだが。
そもそもめんどくさがりやなので、髪型についてこれといった決まりがない。
髪型だけではなく服に対しての重要度も低い。ファッション全般に対して重要度が低いと言ってよい。
友達も一人もいず異性もいないので、服がダサいなどの服に対してマウントやそんな服着ている人と一緒に歩きたくないなど言われずに育った為かもしれない。そのような生き方をしてきたので服は私にとって重要度が低いものとしてなったのかもしれない。
服の重要度をあげようと色々試みたことはあるにはあるが、全て一時的なだけで自分の生活、感覚まで落とし込められなかった。例えば半年前ほど、着てもらう服をコディネーターのまめさんという方に五枚選んでもらったことを7千円払ったやってもらったが、そもそも選んでもらった服を買うにお金がかかるので未だに買えずじまいなのである、なので服は相変わらず服に対してセンスある人からしたら、ださいのかもしれない。(まぁ服にもトレンドがあるし、入っている集団的にダサいのも変わると思うが…)
髪型についての話に戻すと、床屋は毎回田端のQBハウスを使ってて、毎回切る人に坊主にしてというときに小っ恥ずかしく感じている。多分坊主が流行ってなく、ありきたりな髪型なのでは感じているためとおもわれる。
切ってもらっている際は目を閉じるようにしている。これは切った髪が目に入るのを防ぐ為と、切る人と目を合わせるのが恥ずかしいから。恥ずかしいのはコミ障だからというのもあるが、先程も行ったように周りのせいで自分の服装に自信がない為と思っていると言ったが…
実は自分は美術などに興味あるのになぜか自分の美いわばファンションになると無頓着になってしまう。群れに属していないから重要性が低い以外にも多分なんらかの理由があると思うがよくわからないが、自分を大切にあまりしてないと為と思っている。セルフネグレクトをしているようにも感じている。
おまけの写真
最後に
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謝辞
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