私は昔非常識な人らしいと言われたので、昔の事について思考を巡らせてみた。
某コミュニティーの知り合いに、「かとうさんは昔非常識な人だった」と言われた。
私はそこに入ってもう約3.4年経つ。なぜ、そこに入ったのかは、もう覚えてない。たしか、主催者の人をまともな人と判断したからから、または、好奇心に駆られたからだったと思う。
私は、その某コミュニティーに入って程なくして、主催者が書いたものについて「毎回、内容が同じでつらまらない」と、その主催者がいる場所で書いたり、私がコミュニティーに書く棘のある言葉を火種にして論争を事ある毎に起こして内部をかき乱したりした結果、ルールが整備され、私はなぜかそこでカルト的な人気を得てしまった。
その時の私は、今となっては分からないが、多分、「言いたい事を内に秘めているのが我慢ならなかったり」、または、「金を払って参加しているのだから、自分は何を言っても良いのでは?」と思っていたのかもしれない。それは側から見ると、多分そうとう異常に見えていたに違いない…。
もしかしたら、それ以外にも、自分は世の中の大半の人が経験するであろう生き方(生まれた時から日本語だけを覚えて、発展させ、学校に行き、教育をしっかり受けて卒業し、就職して生きていく正規ルートみたいな)ではなかったから、彼らが心得ている常識や立ち振る舞いを知らなかったので、自分の歯止めが効かずにやってしまったのかもしれない。
私は今までの人生において、家庭環境では日本語とロシア語が飛び交い、学校は小学校2.3日で不登校になったからほとんど行かず、その為、集団生活みたいなものは経験せず、友達はおらず、生活する為に色々なバイトをしてきた。だからきっと世の中の大抵の人が身につけている常識を身に付けてなかったし、ずっと受け身的に生きてきた。
常識や立ち振る舞いなどについては、最近までよく知らなかったし、学ぶ必要性も感じなかったから、やらなかった。学ぶ必要性を感じなかったのは、集団と自分は無縁だからと思っている節があり、正規ルートで生きてこなかったから集団で生きたり、周りに合わせて生きる必要がないと決め付けていたからかもしれない。
しかし、 集団で生きていくとなるとやっぱりどうしても、常識や立ち振る舞いなどは必要になる。私の場合は、この某コミュニティーだけではなく、色々なコミュニティーからの出禁や追放などを経験してしまい、ここのままではいかないと危機感を感じて、集団から追い出されないで生きるならば、どうしても常識は必要になる。だから常識を学び実践している。(できているかどうかは知らないが…)
抽象的な話に話題がそれてしまったので、今一度、この某コミュニティーについての話について戻ろうと思う。なぜ私は、入ってそうそう私の棘のある言葉にして火種から論争になってしまったが、今一度考えてみようと頭を巡らせるが、やっぱりそれがなぜなのかについて具体的に、「こうなのでは?」いうような答えが、はっきりとは分からないが、私はこの某コミュニティーでは毎日新たな刺激を求めて戦っていた感じに近いのではないかと、それは例えるならゲームの「ストリートファイター」はたまた「マンモス狩り」なのかもしれない。
そういった新たな刺激を求めて、衝動的に行動する原因はもしかしたら、断定する事は出来ないが、ADHDのせいなのかもしれない。
もしもそうだったら、全ての今までの色々な場所での悪い行いは遺伝子🧬が原因になり、全ての失態や祖先たちに責任転換する事が可能になるので、「私は精神的に気楽に成れるのに…」と思いたくなってしまう。
謝辞
毎度、私のnoteを添削してくださる、日本語と儀礼が出来る方、ありがとうございます。
添削前の文章
後で返信します。