私の総合格闘技プロデビュー戦のお話し
身内以外は目を通す事はないであろう昔話である。お暇な方はどうぞ(笑)
※写真葉所英男&勝村vsレミーガ&ダリウスの試合
https://gbring.com/sokuho/result/result2005_05/0503_zst.htm
【清水俊一☆総合格闘技プロデビュー戦 01】
プロデビューのきっかけはガラケーで応募したゼストアマチュア大会プレステージ。
2005年4月3週目辺りにグラップリング70kg級で出場しラスト5秒に一本勝ち。同日にグラップリングで弟・ライダーと後輩・田丸も出場。
ライダーはライブドアの川頭さんと闘い白スパッツ一枚から繰り出す三角絞め?で一本勝ち。
ホイス・グレイシーを彷彿する下は柔道着姿でリングインした田丸はZSTの後のフライ級のコンテンダーとなる新堀さんと闘い、20秒で飛びつき腕十字で撃沈し、肘を痛めるも翌週に練習する。
そんな中で、次はアマチュア修斗に出ようと宇留野師匠と話しをしていたら話しは急展開。
当時はZSTの広報だった上原さんと師匠は知人だったようで話しが進んで5月のZSTのジェネシスバウトに出ないか?と誘われ、自分がどれだけやれるかわからないですが、頑張ります!って流れで試合確定。
当時の清水はアマチュアMMAはPRIDEチャレンジ2戦2勝と総合格闘技がそもそも出来るかわからない実力でした。
師匠はメインが所君と勝村じゃんと話してましたが、当時はPRIDEとK-1と空手イベントの一撃、女子格闘技を何度か見たくらいでよく分かっておらずぶっちゃけ知らなかったのはここだけの話し(笑)
さて試合決まったからには練習しないと、と言うことで練習スケジュールを組み立てる事に。
当時の練習は
月曜
火曜 吉田道場(柔道)
水曜 キックの集まり
木曜 吉田道場(柔道)
金曜
土曜
日曜 宇留野道場
当時は今のように格闘技でどのようにすれば勝てるか?練習体型、パターンは確定しておらず、それぞれのジム、道場の特色が強かったように思える。
当時大学3年生で20歳だった清水は投げと極めしか発想はなく打撃はミルコ・クロコップみたいにハイキックで勝ちたいからハイキックをするだけでそれが駄目なら寝技に行くと言う戦術など皆無でした。師匠は色々教えてくれましたが、とにかく私は勢いで生きてました。
話しを戻して、空いてる日は駒沢公園のバスケットゴールがある辺りでライダーとイサミで買った8オンスグローブでガチボクシングスパーを60分一本勝負でドツキ合いしてオーディエンスに観られても緊張しないメンタルを作ったつもりでいました。
朝バイトして昼夕大学、夜練習と
充実していたと思います。のめり込み過ぎて大学留年したからね(笑)
最強(笑)スケジュールで練習して駒沢公園を厚着して60分走って65kgにして前日計量に師匠のバイクのケツに乗っけてもらい新宿某所のZST事務局へ行き、計量。確か63.8kgだったような。
計量後は師匠とガストかマック行ってバカ食いしてその日は終了。
5/3試合当日。
※写真は本戦前の前座試合の対戦カード
師匠の車でZeepTokyoへ。
緊張していた記憶は今でも覚えてます。
会場入りし、控え室を探すもジェネスバウトの選手には控えなどなく、通路でした。本戦選手との差か、と胸がドキドキしました。あのリングに早く上がりたいと。
試合スケジュールはポンポン進み、ジェネシスバウト開始。
ジェネシス選手は会場で観客からも観えるように座席で待機させられ、試合が開始されるたびにリングに近くなり間近で待つシステム。
5分1Rの試合は何もしないとあっという間に終わるのでひたすらに動くん
事を要求される。
遂に清水の出番が回ってきました。
対戦相手はGRABAKAの大島信哉選手。なぜか上だけ道着を着ていた。
試合はバックスピンキック、タックルと自分の中で動いたつもりでいるも気付けば何も出来ず試合は終了し引き分けに終わった。
当時のZSTはグラウンド顔面パンチ無し、そして判定はなくKO,一本勝ちが、なければすべてドローととにかくアクションが要求される過酷なルールであった。
自身の試合終わり、しょんぼりするも、師匠から所君と勝村の試合は観ようと言われ、2階席から観戦。
試合はタッグマッチで
所&勝村組
vs
レミギウス・モリカビュチス
&ダリウス・スクリアウディス組
試合はものすごくスイングし、勝村さんがレミーガ(レミギウスの愛称)から三角絞めを極め、所さんがトップロープに登って喜んでいた事を記憶している。
その2ヶ月後に所さんはTBSで放送された「HERO'S」で当時世界最強の一角とされていたアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラから衝撃のKO勝ちを収めたのは今でも覚えてる。
ZST全試合終え、清水を応援に来てくれた10人前後のメンバーで東京テレポート近くのバーミヤンによりお疲れ様会をしようと中に入ると店内受付が激込み、あまりの忙しさに中国人のスタッフさんが日本語と中国語でブチ切れていたのがその日一番の強烈な思い出でした。
今でも
レミギウス・モリカビュチス
ダリウス・スクリアウディス
エリカス・ペトラティウスは言える。
つづく
@ Zepp Tokyo