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伊吹島(香川県観音寺市)〜晦日瀬戸内島歩き〜

 2022年が目前に迫った12月31日、ふらりと香川県観音寺市にある伊吹島へと足を運んだ。観音寺市はアニメ「結城友奈は勇者である」の舞台となった町である。初めてアニメを見て以降、度々訪れている。来れば来るほどに地方の一小都市という印象が強まっていくが、それでも来てしまうのだから、縁というのは不思議なものだ。

 伊吹島には、瀬戸内国際芸術祭が開かれた際に一度訪れた。そのときはアート作品が多く展示され、観光客の姿も多く見られた。しかし、今回は特にイベントもない大晦日である。普段の島の姿はどのようなものなのか、少し楽しみを抱きながら船に乗った。

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 この日の伊吹航路は、やはり島民と思われる人々が利用客の大半であった(少しだけ、釣りが目的と思われる人もいた)。桟橋で周囲を見渡すと、スーツケースや大きな荷物を持つ人が多数切符売り場に並んでいた。このような光景を見ると、年の瀬であると感じる。

 寒気が襲っていた大晦日の香川の海は荒れていた。2階の屋外の椅子に腰かけると、乗務員の一人と思われる方から、「波を被るので気を付けて」と言われた。普段の穏やかな瀬戸内の姿しか基本的に知らなかった僕は、一体どれくらいの波に襲われるのか、正直想像はできなかった。

 港を出てすぐに、忠告の正体を知る。白波が暴れる燧灘を進む高速艇「ニューいぶき」の船体は激しく揺れ、遊園地のアトラクションかと錯角するほどであった。波は船体上部まで吹き上がり、イルカの群れを見ているかのように、波の中に虹が何度も姿を見せる。メガネはすぐにびしょ濡れになり、写真を撮ろうにも、この状況で波でも被るとダメージが大きそうなのでカメラを出せなかった。

 このような海の状態でも船は動くのかと、非常に驚いた。しかし、これだけ海が荒れていても、船が動かなければ、年の瀬に島へ帰る人は帰ることができないし、極端な話、生活物資が島へ届かない。たとえ穏やかな瀬戸内の島であっても、陸路なき場所での生活とは案外厳しいものなのかもしれないと、揺れる船の中で考えた。

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 島へ付くと、島民の人たちが降船した客を思い思いに出迎えていた。そこから散り散りになっていくわけだが、歩いて帰る者、バイクにヘルメットなしで乗り込む者、トラックの荷台に乗り込む者、その姿は多種多様であった。本土では普通見ない光景だが、海で隔絶された島であればこんなものか。港から船で25分揺られただけで、ある種異世界に来たような感覚になった。

 切符売り場には猫の姿があった。道中では野良猫に何度も遭遇したが、この場所にいる猫は人慣れしているようで、近づいても警戒する素振りは見せなかった。島であっても、流石に年の瀬となれば行き交う人々は忙しないが、猫はやはり呑気なもので、寒さに負けずに港を闊歩していた。

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 伊吹島は、坂でできている。島というのはそういうものかもしれないが、港からすぐに急勾配の坂が見える。島の内部には民家が密集しているが、駐在所を除けば、果たして人が住んでいるのかと疑問を持つ程度には、生活感のない家屋が多い。しかし、注連縄を飾っている家も多数見受けられたので、やはり人は住んでいるのだろう。『住民基本台帳』によると、令和3年度では436人の方が住んでいるらしい。しかし、年の瀬ということもあってか人の気配はほぼなく、時が止まっているかのようであった。

 島の東半分は、僅かな民家とともに漁業関連の施設が立ち並ぶ。ひたすらに歩いていくと、今は使用されていない車両などが、手つかずのまま放置されている。他にも、布団が大量に野ざらしにされているなど、現在も使用されている割には「荒廃」というイメージが湧いてくるような雰囲気があった。ところが変われば、生活様式も変わる。この島が見せる姿は、多様な面で異質であった。

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  帰る間際に、改めて本土の方を見てみる。海の向こうには、急峻な四国山地と、大王製紙の工場を構える四国中央市が見える。瀬戸内海は狭い海だ。しかし、島の姿と工場から立ち上る煙のコントラストが、僅か25分の距離を遥かに遠く感じさせる。

 瀬戸芸の姿を無くした本来の伊吹島は、寂寥感を強く感じさせる佇まいだった。勿論、年の瀬であるということはおおいにあるだろう。平時はもう少し活気があるのかもしれない。しかし、僅かに島を散歩する人がいる以外は船の金属音だけが虚しく響くだけのこの島で、自分は一体何をしにきたのだろうと、今一度自問自答してしまった。

 島の時間は、ゆっくりと流れる。僅か2時間の滞在時間が、永遠に感じられるほどに濃密だった。

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