妻は神経が図太い

過日。雨の日でも子どもたちがおもいっきり遊べる場所を求めて、児童会館のような施設を訪れた。その日の萌ちゃんの服装は、白色のサロペットに紺色の無地のプラダのTシャツを着用し、カジュアルコーデの中にどこか品のある格好をしていた。

ちなみにこのプラダのTシャツの価格は10万円で、日頃の感謝を込めてわたしがプレゼントした服である。無論、わたし自身そのような高級な服は持っていないし、これからもたぶん買わない。カネがないということもあるが問題はそこじゃない。

仮にわたしが10万円のプラダのTシャツを持っているとする。それを手に取ったところで、「この服高いから汚したら嫌や」などと考え、「今度着よ」となり、いつの間にか一度も着ることなく数年が経過してしまうだろう。つまりわたしにとって、プラダないしはプラダ的なるモノはストレスでしかない。家にあっても困るシロモノなのだ。

だが萌ちゃんは違う。子どもたちと外遊びをするととんでもなく衣類が汚れる訳だが、彼女はプラダないしはプラダ的なるモノと対峙しても一切ビビらない強靭な精神力を持ち合わせていた。

わたしは、萌ちゃんの神経の図太さを目の当たり、もっとめちゃくちゃにならないとダメだと悟った。例えば「全力でフラフープを回す姿を子どもに見せつける」ぐらいの意味不明を志向しない限り、わたしにブレイクスルーは起きないのだろう。


2023年7月20日(木)

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