出産の思い出
37歳、第一子出産の記録。高齢、初産、超肥満、妊娠後期から妊娠糖尿病、高血圧症 よく無事に生まれてくれたなぁ~を緩く思い出して綴っていきます。
出産した日
2019年7月5日 16時4分でした。予定日は7月1日で、ちょっと期待したのが自分と同じ誕生日(6/26)にならないかなぁって思ってたけど無理でした😅
出産前の入院について
予定日直前の妊婦検診で血圧が高くなってたのでリスクを回避するために予定日から入院になりました。期限は5日、促進剤で様子を見て効果がなければ帝王切開。
入院初日(7/1)
旦那に付き添われて入院。妊娠中、何度か入院してたので看護師さんとも顔見知り🤭今度は可愛い赤ちゃんに会えるねーって言われたけど、実感がわかなくて「そうですね🙂」って何となく他人事みたいな感じ。
通された部屋が分娩室で、急に出産が現実味を帯びて焦った。午後から触診。
子宮口が全然開いてない。胎児も降りてきてない。と言うことでバルーンと促進剤(飲み薬)の処置。付き添いの旦那に特にすることもないし何かあったら連絡するからと帰ってもらった。バルーンとの相性が悪くて圧迫感がすごくて激痛と促進剤による吐き気とで軽い陣痛がきた。生理痛と下痢の激しいやつみたいな感じ……けどそれにもなれてしまった😅
夜はバルーンも促進剤も中断。バルーン抜くとき子宮口3センチ開いたって聞いて(明日はもっと開くかなぁ~、ひょっとしたら明日会えるかなぁ)って思った。処置がすんで分娩室兼病室に戻って22時まではモニター着けてずっとお腹の子の心音聞いてた。
ベッドがそのまま分娩台の椅子でそこで寝るのが嫌で部屋にあったソファで寝たなぁ。
入院2日目
朝からモニター、血圧測定。
昨日とは違う先生が「??昨日バルーン入れてたんよね?」触診しながらきいてきた「はい。昨日の夕方には3センチ開いてるって言われましたけど……」なんとなーく嫌な予感したけどまさかの的中「ありゃ、子宮口戻ってるねぇ」って😢また激痛に耐えてバルーン入れて促進剤服用して8時間。間に少し旦那が面会に来た。振り出しに戻ったことが悲しくて不意に来る陣痛で不安になって看護師さんがいない時間見計らって一人で泣いたなぁ
2日目も結局何もなく過ぎた。夕方バルーン抜くとき下半身の感覚で子宮口が元に戻ってる感じがして凹んだ。日中担当してくれる看護師さん達が「お母さんのお腹がよっぽど居心地いいのかなぁ?☺️」って声かけてくれる度にちゃんと生んであげられるか不安になった。けどこの日の夜中、隣の隣ぐらいでお産があったみたいで妊婦さんの命懸けの叫び声が響いて耳に残った。次は自分の番なんだって覚悟が固まってきた。
入院3日目
この日もバルーンと促進剤。また新しく違う先生がバルーン挿入。この人が一番バルーン入れるの上手でした。前日よりは少し子宮口も開いてるけど分娩まではまだまだな状態。この日は旦那も来ず。部屋に来る看護師さんと軽口たたきながら過ごした。陣痛も弱い……。明日は点滴で促進剤投与することになった。3日目でようやく子宮口4㎝ほど😣
入院4日目
人生で2度目の点滴。点滴ずっとしながらモニター着けて動きに制限がかなりかかる。ストレスがMax。感情も不安定で初日ぶりの激しい陣痛。痛みを逃す呼吸法を看護師さんが腰をさすってくれながら教えてくれる。下痢の激しい痛みに近くてとにかくトイレに座ってたかったなぁ。便座の温かいのが最高に気持ち良かった(笑)🤣この日は旦那と喧嘩した。あのとき言われた言葉はトゲみたいに今でも刺さってる。2度と忘れない。
分娩室でこんなに寝泊まりするなんて人生で最初で最後だろうなぁって思ってたら若い助産師さんが心配してきてくれた。「しんどいでしょ?大丈夫ですか?」
いつもなら笑って受け答えするのに色々溢れ出しちゃって声より涙が先にでた
「不安ですよね……いつも笑って明るくて何でそんなに頑張れるんだろう。無理してるんじゃないかなぁってみんなで心配してました」
って優しく声かけられて涙がなかなか止まんなくて泣きながら大丈夫を繰り返して。泣いたのが恥ずかしくて
「もー、大丈夫😃 まだ頑張れるよー」ってわざと元気におちゃらけて看護師さんと色々話した。リミットは明日。明日は泣いても笑っても我が子と対面する。
入院5日目
朝から促進剤点滴……。早い段階で激しい陣痛。感覚も短いみたい。代わる代わる来る看護師さん達がいよいよかもね、頑張ろうね。って励ましながら分娩に向けての準備を進める。お腹のはりも定期的、旦那に連絡とってけっこう慌ただしくいよいよかなぁって雰囲気のなかいきみでトイレ行きたくて、点滴連れてふらふらトイレに何度も行ったり来たり。吐き気もとにかくひどい……朝御飯は食べられたけどお昼ご飯は全然食べられそうにないぐらいの下腹部痛。
脂汗で暑いと寒いとごちゃ混ぜで、とにかくこの世の終わりみたいな大きな試練にぶち当たった感じ。この先に可愛い我が子が待ってるのねーとかって言うほんわかのイメージよりも、とにかく辛い死にそう。どうにかなっちゃいそう🤮って感じ。
旦那に腰を擦ってもらいながら、お守りがわりのタオルケットを握りしめうめきながら大きなお腹で左右に寝返りしながらなんとか痛みの波を耐えてたーー。
この時はまだ自然分娩の方向だった。子宮口もようやく6㎝開いた。意識も朦朧、下半身の感覚なんてない、熱さで溶けたみたい立てない、もう無理。言葉にできない荒い息づかいだけで意思表示。この状態を確か2~3時間、ようやく先生が診察に来た。
「……赤ちゃんがまだ降りてきてないし血圧が高い、赤ちゃんの心拍も弱くなってきたし…………お腹切ろうか」
記憶も曖昧だけどこの言葉にうなづいた記憶はある。
手術の準備と説明と書類に同意のサインと病室の移動とベッドへの移動とすんごい勢いで進んでる時もお腹の子も頑張ってくれてたんだよねぇ(この時はお腹の子を心配するどころじゃなくて自分すらどうにでもなれぐらいの心境だった)
旦那の頑張れに頷いてベッドで手術室まで運ばれた。付き添ってくれたのがちょっときつめな看護師さんと心配してくれて色々話した助産師さん。口々に「もう少しで会えるよ」「頑張って」って気を使ってくれた。当の本人は(ぅわー、ドラマみたい。新しくなった病院だからキレー)とかって陣痛の合間に初めての手術にドキドキしながら変な興奮してたなぁ🤣
手術台に5~6人であげてもらう(超大型妊婦)
重くてごめんねぇって心の中で平謝り😅
麻酔を打つため背中を丸めなきゃいけないんだけど大きなお腹とふんだんに付いたお肉が邪魔してなかなか丸まれない
これまた5~6人によって折り畳まれ20分くらい格闘して何とか針をさせた
段々下半身の感覚がなくなってくる。痛みは感じないし暑いも寒いもわからない、何故かBGMはドリカム🎶麻酔がきいてるけど、何となく感覚が蘇ってきたー。痛みはないから大丈夫。あぁ、きられてるなぁとか何となく分かる
そうこうしてたら、ついにその瞬間が来た
(お?でてきたっ✨)
そう思ったと同時に大きななき声ー&すんごい安堵感。元気な男の子。助産師さんが
「すごい元気、めちゃくちゃ可愛いー。いやーすごい可愛い😍ほら、お母さんだよー」
って息子を顔の近くに連れてきてくれた。
「ようやく出てきたねぇ」
少し見つめあって息子は小児科の先生に色々処置してもらって、私は残りの処置をしてもらって
後処理の方が長かったなぁ。
今これを書いてるのは手術から約四ヶ月過ぎてるけど傷跡はもうぼこぼこしてない。ここから息子が出てきたんだなぁって不思議な感じ。
約二時間の手術。眠りもせず照明器具にたまに映る自分の体を見つつ不思議な感覚を味わってた。もう胎動無いんだよねぇ、変な感じ。
病室に戻ってきたら旦那が待ってた
「ありがとう、お疲れ様」
って言われた気がする
手術終わってから強く残ってる感想は(お腹すいた~)でした。😂😂😂
出産後
旦那も帰って病室に一人。血栓防止機械の規則的な音を聴きながら感覚のない下半身、少しだけ息子と二人っきりで過ごした。自然と涙が出てきた。鼻が上向いてくっきり二重ガッツ石松風だけど完全に私に似てる可愛い息子。私が生んだんだ、10ヶ月一緒にいたのに変な感じ。色々込み上げてきて本当に幸せだった。生きてきた中で一番の達成感感じたなぁ。
まぁ、こんな感じで私の出産レポはおしまいです🍀
読みにくいなぁ、また思い出したら付け加えよっと😋
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